はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

美しい小瓶

2010-04-26 17:09:03 | アカショウビンのつぶやき
 I市にすむ随友から電話がありました。

 「今日はねぇ釣りに行ったのよー、なんも釣れん日もあるんだけど、今日はねぇワッゼー大漁じゃったー」
   あらぁ、その魚を送ってくれるって話かなあ…。  

 彼はずっと前ですが、美味しい干物を作って送ってくださったことがあり、欲張りの私はついつい期待してしまいました。

 ところが話はどんどん別な方向に展開していきます。

「海岸に、きれいな小さい瓶が落ちて居てねぇ、気になって拾ったのよ」
   うんうん、それで中身は何だったの?
 
 中には小さな紙切れがあり、亡くなられたお母様をしのぶ娘さんのお手紙だったそうです。

 お母様と海を見に行ったときの思い出を書かれた文章の最後には、
「この瓶を拾ってくださった方は、母がいつまでも海を見られるようにどこかにそっと置いてください」と。

 ロマンチストの彼はいたく感動し、波にさらわれないようなところに、そっと置いてきた…というお話でした。

 お手紙の主は熊本市に住む女性だそうですが、どうやってI市の海岸に流れ着いたのでしょう。興奮さめやらぬ彼に
「それを、是非、男の気持ちに投稿して!」とお勧めしました。

「はがき随筆」常連の彼は、いつもユーモアあふれる楽しいエッセーを書くのですが、
「じゃっどん、僕はねぇ、250字になれっせえねぇ、長い文章はかかならん」とおっしゃいます。

 彼は、97歳で寝たきりの奥様のお父様を介護しながら、居酒屋を経営し、お店はいつも予約でいっぱいという腕のいい調理師なのです。
 思い出のいっぱい詰まった小瓶が彼に拾われて良かった。
 心がほわーっと暖かくなる電話でした。




命も要らず

2010-04-26 15:34:44 | ペン&ぺん
 「命も要らず」と鳩山由紀夫が演説したのは1996年秋、鹿児島市の天文館に近い街頭だった。
 「命も要らず名も要らず官位も金も望まざる者は御しがたき者なり。しかれども、この御しがたき人にあらざれば艱難(かんなん)を共にし国家の大業を計るべからず」と続く。ご存じ「西郷南洲翁遺訓」からの引用だ。
 当時、鳩山は新党さきがけを脱して民主党を立ち上げた直後。私は鹿児支局で選挙を担当していた。
 古い取材メモを取り出してみた。我ながらの悪筆。自分でも一部判読不能の走り書きだが、自社さ政権では十分な行政改革ができなかったことなどを演説していたことが分かる。締めくくりは薬害エイズ問題を打開に導き、脚光を浴びていた菅直人に触れ「第2、第3の菅直人を民主党から生み出したい」と述べていた。
 ちなみに、その時は自民党に対抗する最大野党として小沢一郎が率いる新進党があり、鳩山・菅の民主党は第3極という位置づけ。のちに新進党が分裂し、小沢の自由党や公明党を除く部分が民主党に合流。それが現在の民主党につながる。政党史では通常、合流前を旧民主党、合流後を新民主党と区別することが多い。
 さて、その旧民主党発足から14年ほどが経過した。「官位も要らぬ」と語った人が首相になり、「金も望まぬ」はずが、政治とカネの問題で政権は揺れる。対する自民党。今一つ支持率は上がらず離党者が出て「たちあがれ日本」という新党も発足した。舛添新党も動き出した。今の政権与党も、かつては新党だったことを思い出す。
 参院選が近づき、鹿児島にも各政党の幹部らがやってくる。昨年の政権交代役初の有権者の審判だ。できる限り判断材料として有意義な記事をお届けしていきたいと考えている。(文中敬称略)
 鹿児島支局長・馬原浩

スズメの大欠伸

2010-04-26 07:36:10 | はがき随筆
 日は差しているがすっきり晴れあがってはいない。スズメが一羽、玄関の瓦屋根の上に来て首を傾げたり、羽づくろいをしたり、後ろを振り向いたり。
 ガラス戸越しだがカメラを構えた。ひょいと首を伸ばしてこちらに目を向けたと思ったら、なんと大欠伸をしたのである。
 カミさんにその写真を見せたら「仲間を呼んでいるのよ」と一言。私としては旧式のシャッターの切れが遅いデジカメで、スズメが□を開けた一瞬を撮ったことも自慢したかったのだが
 「偶然撮れたのでしょう?」とそっけない。それでも「可愛いい写真ね」に納得。
  西之表市 武田静瞭(73) 2010/4/26
写真は武田さん提供