はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「勝手な記念日」

2010-04-03 16:08:53 | 岩国エッセイサロンより
2010年4月 3日 (土)

岩国市  会 員   山下 治子

「どうしたん、これ?」。いつもより豪勢な夕食に、息子はカレンダーに目を向ける。すかさず「本日は母の再生1周年でありまして」。

 私の親族はがん家系、両親もそれで早世している。いずれ私もと覚悟はしていた。いざ向き合うと臆したが、胸中悟られたくはない。息子だちは顔色を変え、手術に立ち会い、術後は交代で付き添ってくれた。だが、何力月もたたぬのにそのいたわりは忘れられた。生き運を得て迎えたありがたい日なのに。

 「あの時はお世話になったわね」とケーキを焼いてキャンドル1本も立てた。息子たちに母の皮肉……分かるかな。
  (2010.04.03 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
岩国エッセイサロン花水木より転載

「道半ば」

2010-04-03 16:07:57 | 岩国エッセイサロンより
2010年4月 1日 (木)
岩国市  会 員   金森 靖子

パソコンには全く興味のない私だったが、ある勉強会でその必要性が出てきた。教えてくださるという人にお願いすることにし5カ月目。メール交換ができるまでになり楽しんでいる。パソコンのふたの開け方も知らない人間に、繰り返し繰り返し直接に、または電話で忍耐強く指導してくださった先生に心より感謝している。

ある時はあきれたような声でしかられ涙が出た日もあった。が、一つ進む度に「アラセブンの一握りの人だ」と褒められ力がわいた。まだ道半ば。折も折、携帯電話が壊れ買い替えた。今、娘に頭が上がらない。
(2010.04.01 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
岩国エッセイサロン花水木より転載

「ケーキの味は」

2010-04-03 16:06:14 | 岩国エッセイサロンより
2010年3月31日 (水)
    岩国市  会 員   片山 清勝

親子教室で作ったという大きなケーキを笑顔で抱いた孫娘の写真が届いた。それを見ながら電話していた妻が声を詰まらせる。「おばあちゃん、近くだったら一緒に食べれたのにね」と言う孫の思いやりの一言に胸が熱くなった。そう話す妻のうれしそうな笑顔、それは病み上がりを感じさせない明るさだった。

京都に住む孫は、進級につれ自分の気持ちを分かりやすく話せるようになり、成長を感じている。4月からは小学6年生。優しい気持ちも一緒に育ってくれたらうれしい。夏に帰省したら同じケーキを作らせ、味わってみようと楽しみにしている。   
   (2010.03.31 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
岩国エッセイサロン花水木より転載

一人を大事に

2010-04-03 15:09:36 | はがき随筆
 一人の生活も2年目に入った。どんなものか想像しなかっただけに現実はきびしく、月日が流れても慣れることはなく、ただ耐えてゆくだけである。まだ現役の開業医なので昼間は退屈することはないが、夜は話し相手もなくて寂しい。
 幸い文芸の趣味があるので、いろいろなことを考え書いたりしているうちに時聞か過ぎるのはうれしい。朝は早く起きる。いろいろな新聞に投稿しているので新聞が待ち涼しい。そして自分の名前が載るのはささやかな喜びであり、それによって生活が活気づく。今からも一人の生活を大事に生きたいと思う。
  志布志市 小村豊一郎(84) 2010/4/3 毎日新聞鹿児島版掲載

夏あざみ

2010-04-03 14:57:06 | はがき随筆
 還暦を過ぎて3度までも手術を経験する羽目になり、死を意識するようになった。そんな矢先の昨年5月に知人の訃報が飛び込んだ。まもなく一周忌だ。
 知人は酒豪でその関係の友人は多かったが、下戸の私と知り合ったのは妻同士の縁である。彼は酒以外にも碁やマージャンを愛したので、たまの休みには私も相手になった。彼は遊びながら世の中の不遜を愚痴った。我々に相づちを求めるでもなくただぽっぽっと話すのである。
 死して表情や語り口が脳裏に浮かぶのは何とも寂しい。はがきの知人の辞世の句。「ありがとうこれでさよなら夏あざみ」
  伊佐市 山室恒人(63) 2010/4/2 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はストーンフェイスさんより