『極悪がんぼ』

2014-06-24 14:42:28 | 見る
昨日で終了しちゃいました。
続編は、ないね。
視聴率が悪かったそうですから。

私はまずまず最後まで見られました。

脚本も演出も、発信する側も盛り下がっていくのが
よく分かりましたが、それでも大丈夫でした

演技陣が上手い!
みんなで大喜利をやっているようで
わいわいと楽しく。
顔見世興行というほうが正しいかな。


んー、欠点も多くありましたね。
世間で言われているのは客層と違う商品を
提示した失敗。
月9らしくない、というものでした。

分かりづらいところもあったようです。

私も「え?ちょっと待ってよ」がありました。

無理やり主人公を女性にしちゃったこともあると
いうことです。

いろいろなことがハンパになってた。


とはいえ達者な人たちの顔見世的な楽しみは
それだけでも十分楽しめました。

視聴率?

どこが?というドラマでも高い場合があります。
一種の行列効果で、数字が高く出ると引っ張られる
のでしょう。

朝ドラなど、出来と視聴率とが関連していないように
思われます。

視聴率が低いだけでは、つまらないドラマかどうか
判断できませんね。


ただし、昨日の最終回は出来が悪かった。
ま、連ドラの最終回はそういうものですけれど。

付添

2014-06-23 19:36:32 | 塾あれこれ
ここんとこ病院通いばかりです。

待ち時間も長いのでいやでも待合室内を眺めます。

男性のお年寄り、しんどそうな方ばかりです。

たいがい10歳は若く見える(たぶん奥さま)が
付き添っておられますね。

もう、一人では通院が難しいのでしょう。
車の運転もありますしね。

私もそのうち付き添いが必要になるのかしらん。
嫌だねえ。

それは私自身の草臥れ度が強まっていることだし
カミサンには迷惑をかけるし、ね。
できるだけそんなことが無いようにしなけりゃ。

・・こんなことを考えるトシになっちゃったか。嗚呼


病院でもいろいろな経営があるようです。

予約制、予約制でも長時間待たせる病院、
早いもの順で沢山待たせている・・などなど。

病院にも『行列効果』があるのかな。

「わー、ずいぶん待ってるな、さぞ評判が良い。
 これは待っても価値がありそうだ」

逆に、アシスタントを置くなどして診察その他の
無駄になりそうな時間を削っている処もあります。

患者のためを考えておられるのですね。


行列効果を狙ってるとおぼしき病院は
診察も治療も済んで、あとはお支払いだけ、
という、そこでもずいぶん待たされます。

待合室に人が溢れるわけですね。


医者だけじゃありません。

待ってる側にも問題があります。

混んでる待合室では調子が良くなさそうな方も
立っていなければならないことがあります。

みんな良くないからな、と思ってふと気づきました。
元気な付添が椅子に座ってるじゃないですか。

付添の方も高齢、なんて場合は仕方が無いでしょう。

子供らしき4~50の方が平気で座って
雑誌なんか広げているのです。

昔は公の場にそんなことをする人はいなかった
・・と思います。

上記の付添者は我が家にいる感覚なのでしょうか。
それとも、病人に席をなどと考えないのか。
あるいは、ものごとを何も考えないのか。

・・・日本人もダメになった・・・

注意をするのも大人げないしなぁ、とか思いつつ
座り続けた私もよくないか。。。

だって2時間も3時間も待つんですよ。
調子が悪いのに。

老いも若きも

2014-06-22 15:51:10 | 塾あれこれ
また、生意気な話で恐縮です。

近頃、家の外で気づくことです。
日本の美徳であった公のマナーが薄れています。

まるで家の中のごとくに振舞う人の多いこと。

昔は、よくも悪しくも家の内外を切り替えていました。

外で大騒ぎしない。
近所迷惑はつつしむ。
(公=世間)を優先する。


公というものを認知しなくなったのか、
いや、そうではないようです。

バスや電車の発車間際に走ってくる客が
乗りこんだとき、いままで待っててくれた車掌や
運転手に、何も言いません。
(ましてや車内の人には「待たせてすみません」はない)

家や近所で何か待っててくれることがあれば
お礼を言うでしょう。
少なくとも態度では示す。

それをしないのは、相手が無視して構わない(と、
思い込んでいる)公の人間だからです。

ダイヤが乱れたJRで職員に文句を言う人
これも相手を見下している感じがありますね。
少なくとも「同じ人間だ」とは思っていません。

食べ物屋を含むお店でも
「金を払えば客だ!」
これも一種、公を認識していることでしょう。


私がよく遭遇するのは電車の中などで
小さな子供連れの家族のマナーの悪さ。

傍若無人。

我家のごとく振舞っているのです。

子供がシートや床を汚しても平気
あるいは大声で「○○ちゃん、ちゃんとしんさい」

親が大声で話をしていることもありますし
スマホのようなものをいじくって子供の不行儀に
知らぬ顔なんてこともあります。

電車だから、お店だから、家とは違うんだという
考え自体が無いようなんですね。

10代がマナー知らずに振舞う、それがそのまま
親になっちゃってる感じです。


日本文化の良い処が消えてゆきつつあるように思え
寂しいかぎりです。

公をきちんとし、住みやすい社会にする、
こんなことができる国民は世界に誇れたのに
今や、少数派になったようですね。


以前の日本人は何も考えず言われるがままに
公衆道徳を守っていたのか?

最近、気づきましたが、よく考えての結論だった
ような気がします。

「やはり、こっちが良いようだ。
 面倒でも義務をはたそうか」・・と。

考えて、文化を維持する、結論に至るのです。


今、足りないのは何なんでしょうか。

そうめん

2014-06-20 10:54:11 | 食べる
『素麺の頂きたるを食べつくし』

暑い日があったり寒くなったりと
気候の変化が大きいですね。

今日は暑いね、となると冷たい麺に頼る
ことが増えてしまいます。

お盆くらいになると素麺も飽きちゃう、
よってスタートを遅らせればよいのですが。


祖母は素麺出汁を椎茸と干しエビでとっていました。

ずっと真似をしようとしているのですが、なかなか
再現できません。
バランスが悪いのだと思います。

今年からは減塩生活ですから少し趣向をかえて
ミリンを使っています。

本来甘いのは好きではないのですが病気には
勝てません、甘味を増やして塩の足りないのを
胡麻化してやろうという作戦。

そこで出汁も椎茸と干しエビ以外に昆布も使って
厚みのある味にしているつもり。

あまり大きな減塩にはならないと思いますが
たとえ10%でもカットしないとね。


私の場合、梅干の種を入れるのですが
これの塩分が分からない。
自家製ですからかなり濃い筈で・・・

17~18%もあるのかもしれません。
(漬けた本人がしっかりしなくちゃいけない)


梅干しそのものは食べる量を極端に減らしています。
種んとこはどうなんだか。

ま、減塩が大切だからと素麺まで禁止する様じゃ
生きててつまんないでしょ。
オオゲサですが。

「素麺そのものも塩分が高いよ」という声が
やめてくれい。

「うどんも・・」

優等生になれないですね。

苦手

2014-06-19 20:02:37 | 塾あれこれ
TVのバラエティで、彼の養老孟司先生が
「一番困るのが、私バカですから、っていう学生」と
言われていました。

居直ってしまって、出来ない処から動こうとしない
・・大学生にもなってそれでは、手の打ちようが
ありません。

もちろん、口には出さず腹でそう思って、努力しない
人も大勢いるでしょう。

その人へ「本当は自分のことをそう思ってるだろう」とも
言うわけにはいかないので、難しい。


おだてても怒っても通じません。

特に近年、自分のための勉強、という気持ちが薄く
「頑張ってみよう」がない学生生徒が目立ちますね。

この感想は多くの賛同を得られると思います。


が、よく考えれば、かなりの人間はそうかもしれません。

(オレは英語がどうも)(私は数学オンチで)
(国語って苦手だな)(絵が下手で)・・・

思い込んでるだけかもしれないのに。

という私も「苦手」が山ほどあって努力不足でした・・・

塾業界に入って、苦手でも易しい処を勉強し返すと
「なんだ、なぜこんなことに苦労してたんだ」

結構多くの苦手がただの思い込みかもしれません。

その原因の一つが、点数をつけられてしまうこと、
それで点が低いと「苦手だ」となっちゃうのです。

点数化なんて、たった一つの視点から、とある傾向を
数値化して見せるにすぎません。

学校でも塾でも、点数化してオニの首をとったように
「評価」しますが、大学入試のペーパーテストむけの
チェックでしかないものが殆どなのに。
ずいぶんと偏った数字です。

それが証拠に東大卒の出来の悪いの。
20年近く数値の洗礼をうけて、あれです。。。


したがって、現行の数値優先主義は人に寄り
損得がでることは間違いないでしょう。

問題は、損をしかねない人のケアです。

小学校高学年から中学にかけて「苦手」が多く発生し
また固定しやすいと思います。
それにどう手をうつか?

①様々にありうる原因の特定
②粘り強い対策

いずれも長いスパンが必要です。
また保護者や家族の協力も。

集団授業でも対策は可能ですが、できれば個別が
ありがたい、と思います。
我田引水になりますか?

といっても個別でも失敗しやすいので要注意です。


とある生徒は算数が苦手
計算はある程度(難しめでも8割以上)できます。

新しい単元の理解度もよろしいし、応用も易しければ
できます。
算数数学の「才」は悪くなさそうでした。

ところが年に何回かのテストで、算数の偏差が悪い。
ふだんあれだけ真剣に取り組んでいるのに。

個別授業を進めながら、チェックを入れてゆきます。
(弱点探しを気取られてはいけません)

計算が「分かって」いない。

割り算の意味
小数とは何か
分数の考え方  などなど

教師の説明が上滑りして捉えられている。

難しい哲学の本(入門くらいでも)を読むときに
活字は追っているのだが、意味がさっぱり、
そんな状態でしょうか。

本人は、説明を受けている間は分かっている、と
思えているので大変です。
「直ぐ後に練習問題やって、できるもん」

テストでは、できません。
学力の剥落の一種か?

何カ月か間をおいてみて以前に「分かって」いた
ところをノーヒントでやらせ→できない。
本人がやっている解き方を尋ねると
みごとに、以前の「正解」を忘れています。

図を描いてみるとか、基本的なアプローチの手段までも
忘れ果てているのです。

そんな状態で上に新しいことを積み上げても
次第に「苦手」になっていきますよね。


端折りますがこの生徒の場合、勉強とはマルをとるゲーム
、マルになれば瞬時にすべて終了の世界、だったのです。

宿題に苦手な問題が含まれている場合、完璧にやって
提出します。
家で教わってきたのですね。

それでも、出来るようになれば構いません。
ところが、塾ですぐに同じような問題をさせると
まったく手が出ないのです。

家でじっくりと考えてみるなんて方法は使えない
ことが分かりました。


上に兄弟がいたことも大きく影響したでしょう。
下の子はムリに背伸びしやすいのです。

保護者の視線もあったでしょう。
「上のはすぐにできたのに、この子は・・
 いい、これはこうやるの、覚えなさい!」

。。このあたりからまず改善!

分からなければすぐ教える、学校などのような接し方
では、上記の欠点は治りません。
あれが勉強だと思っているのですから。

まず、自分で考えようとしなければなりません。
本当に分かっているか、自分に問いかけねばなりません。

通常の授業に上記の練習を組みこむのが大変です。

時折、思うように進まない時間帯ができます。
「マルをとることが勉強」の子にはシンドイですね。

しかも、あなたのドコソコを直さねば、とは
伝えられないのです。
(うちの塾の勉強のやり方)はこうなんだ、という
形しか見せられません。

小6も終わりかけて、やっと一定の効果が表れ
自分で考えることをし始めました。

さっそくお母様にも手紙で上記を詳しく報告。
「じつは、やっと山を超えてくれましたので・・・」


しばらくして唐突に電話があり
「塾を明日から辞めます。
 こどもが先生を嫌いだと言いますので」

あの、手紙のとおり、まだ課題は多いのですが・・・
ま、一番大切な第一歩はクリアーしたから良いか。

「でもね、お母さん、あなたも子供をスポイルしてた
 かもしれませんよ。
 これからの幸運をお祈りします。」
・・・って言ってみたかったなあ。

金目・・・

2014-06-18 16:31:13 | 塾あれこれ
腹が立つと言うかコメントもできないというか
・・「金目」発言。

こいつら何も変わっていない。三百代言。
しかも頬を叩こうとする札束は自分の金じゃありません。

税金を使って
「おめえら、最後は、金だろ、
 いくら欲しいか言ってみろ」

福島県民や被災者のみならず、日本国民全体への
侮蔑が彼らの中にはあるのではないか?

人間が人間に見えなくなったクズ共

政治家の世界では「最後は金目」でしょうが、ね。
お前らと一緒にしないでくれ!と言いたい。


石原大臣は発言撤回はしないそうですね。

それってもしかして「公の発言ではなく
何かのはずみで出たホンネ」だから
撤回できないということなんでしょうか。

間違いがあれば訂正すればよいのですが
それも出来ない、ホンネらしい。

ですから言葉を間違えた失言や揚げ足とりの類の
「ニュース」ではない、根の深さが見えます。

戦後ずっと続いた自民党支配は問題も多かった
けれど、結局今になっても何も変わっていない
ように見えます。

小役人や財界人とうまくやっていけばよい。
対米追随はそれらとも関係します。

さえない話。


石原大臣は19日に発言を撤回するとしました。

祖父

2014-06-17 10:33:49 | 塾あれこれ
祖父は明治18年生まれ。
この年に政府が太政官制から内閣制度に変更
されている、ってんだから、昔ですね。

19歳の時、日露戦争が始まり、何歳でかは知りませんが
出征・従軍していたようです。

家では暗い祖父を孫の私は大嫌いでした。
それもあって会話をすることが少なかったのですが
あるとき、私が小学生低学年だったでしょうか、
戦争に行き、乗っていた船が沈没、
「あんときゃ、怖かったで」

今となっては貴重な思い出話です。

明治44年、26歳で結婚、できちゃった婚らしい。。。
若い綺麗な嫁さんだったようです。

長女を幼いうちに亡くし、長男を可愛がっていた
大正、昭和初期が祖父の人生のヤマかもしれません。
(同窓会的な価値感では)

「仏の」とつくような人だったそうです。
外面は良かったのですね。
子どもと踊ってる写真などが幾葉か残っています。

趣味は義太夫、
しろうと義太夫は最悪だったでしょうね。
(落語の『寝床』)

家には見台が残っていました。

尤も「仏」とは、人が良すぎる=甘い、という面で
言われていたのかもしれません。

問屋の組合設置に尽力し、出来あがったあと弾きだされて
しまったようです。
下り坂の始まりですね。

戦争に長男を取られ、仕事も上手く行かず
敗戦の経済混乱、長男はシベリア抑留のまま
こんな向かい風の中、蓄えを剥がすような生活です。

人生設計がまるまる狂っちゃった。

やっと帰って来た長男は別人のようで
男の孫ができて、喜んでも生活は見通しがたちません。

「おおだんな」が「ぼてふり」をしてまわる
落語のようなことまでしています。

祖母が大反対したのですが・・・
「ふーが悪い。なんぼも儲からんどころか
 損をしとる」

皆が集まる夕食で爺さんの「はー」が始まると
電灯を点けていても、真っ暗~

「○○のコウセンが、なんぼじゃけえ」

仏さんが思いっきりグチるのでありました。


晩年は同居をしていませんでしたから
よくは分からないのですが「認知症」が出
同居の叔父を困らせていたようです。

彼が80をすぎ孫(私の姉)が結婚するのですが
その頃にはもう名前も続柄も分からず
ともかく式には呼んであげようと。

親戚一同で祝っている時に、爺さんが突然たちあがり
両手をあげて
「ばんざ~い」「ばんざ~い」

何か目出度いことだとは分かったのでしょう。

一同が困惑するほど万歳は続きました。


暗い人だったから認知症も暗く覆っていたでしょう。
でも、明るい灯がさすこともあったのですね。

式の翌年、昭和44年に没しました。

認知症行方不明者

2014-06-15 14:31:19 | 塾あれこれ
マスメディア、特にNHKが取りあげ、身元不明だった
認知症のかたのご家族が見つかり
現在のシステムの弱点が明確になりました。

時代についてゆけないのですね。

多分それをきっかけに全国の自治体なども
体制を再構築しはじめているようです。

悪いことじゃありません。
どころか現代日本においては歓迎すべきこと。

だけれども、今までなぜ、ぜい弱な体制のままだった
のか、そちらが気になる処ですね。

「人手がない」「予算がない」「連携がとれない」
なのでしょうが、こちら素人サイドからすると
マスメディアが騒がないと何もしないように見えます。

彼らは仕事ということをどう捉えてるんだろう。
市民が本当に必要とすることを受け止め
組織として取り組むようにするのが仕事じゃないか。

日々の仕事で、たいへんだとは思うけれども
たかがNHKが取り上げたらすぐに役所が対応できる
じゃありませんか。
「ヤル気になったらやれるじゃん」と思うのですよ。

市民の声が後押し、とか政治家の働きかけとかも
力になるのでしょうが、組織内部からの情報の
上への上がりようが少なすぎるのか
上が腐りきっているのか。


認知症、っていったらヒトゴトではありません。

病気によれば「突然」じゃないですか。

身寄りの確認すらまったく不十分な体制の、この国は
・・・イヤになりますね。


現代の日本は世界的に見ればリッチなほうでしょう。

それは、現在の「認知症の世代」が築いたものです。

アベノミクスの部分的成功(に見えるもの)も
じつはその世代の富の食いつぶしです。

政治家が「くいつぶし」たあとは貧乏日本が
残るだけでしょうね。

人口はそこそこいても、ちっとも働かない。
貧富の差が大きく外国人労働者に頼る社会。

『外国語 命を左右するツール』

戦闘でなく戦争を議論せよ

2014-06-12 20:53:17 | 塾あれこれ
『集団的自衛権』を中心に、主に与党間で議論が
なされています。

いかにもヘラヘラした解釈変更の説明は、私などには
どうにも分かりかねるものがあります。
議員の方々は、よほど粗っぽい論理で平気なのですかねえ。

素人談義で恐縮ですが、国政の元は一般市民の
ひとつひとつの意思にあるのですから。


何だか、レアなケースを引っ張り出して
この場合我らは撃てないのか、という話です。

では、他のケースはどうか?

まったく違うケースが出てきますが、話はまた
特殊なケースに終わります。

いずれにせよ
①アメリカ軍の下請けとなるための一歩
②自衛隊が防御の自由を得ること

この二つが大きな目的です。
日本人が乗った米艦など小さな例にすぎません。

米軍の存在は日本の軍国化を抑えるため、という
ビンのふた、論争が以前盛んでした。

そこで米軍は保険をかけたのですね。
自衛隊の徹底的な下請け化です。

これで本体の米軍には歯向かえません。

つぎに、子分を使いたいな、ときたのが
今回の集団的自衛権です。
安倍政権にエサをまいたら喰いついた!
「今じゃなきゃ」という思いもあるようです。


「~の場合、○○力を行使できる」

よく言われるように、そこから深化拡大することも
あります。

確かに目先、力がないとフィリピンやベトナムのように
なりますから、あらゆることを想定し、場合に寄れば
実力行使もやむをえません。
(一触即発、もかなり現実味があります)

しかし今まず国民が検討すべきは、各個の戦闘ではなく
戦争ということ。
小さなきっかけで大戦争が起こりうるのですから。

今は昔より政府の統制が利かない国ばかりですから。

直通電話を設けるくらいでは不十分きわまりない!

お互いに相手都市に被害を与えようとするでしょう。

エネルギー、食糧、経済物資、・・・
すべてがぜい弱なまま、万一にでも戦争になる道を
安易に選べますか?

勝利などはない、痛み分けの戦争を。