老いも若きも

2014-06-22 15:51:10 | 塾あれこれ
また、生意気な話で恐縮です。

近頃、家の外で気づくことです。
日本の美徳であった公のマナーが薄れています。

まるで家の中のごとくに振舞う人の多いこと。

昔は、よくも悪しくも家の内外を切り替えていました。

外で大騒ぎしない。
近所迷惑はつつしむ。
(公=世間)を優先する。


公というものを認知しなくなったのか、
いや、そうではないようです。

バスや電車の発車間際に走ってくる客が
乗りこんだとき、いままで待っててくれた車掌や
運転手に、何も言いません。
(ましてや車内の人には「待たせてすみません」はない)

家や近所で何か待っててくれることがあれば
お礼を言うでしょう。
少なくとも態度では示す。

それをしないのは、相手が無視して構わない(と、
思い込んでいる)公の人間だからです。

ダイヤが乱れたJRで職員に文句を言う人
これも相手を見下している感じがありますね。
少なくとも「同じ人間だ」とは思っていません。

食べ物屋を含むお店でも
「金を払えば客だ!」
これも一種、公を認識していることでしょう。


私がよく遭遇するのは電車の中などで
小さな子供連れの家族のマナーの悪さ。

傍若無人。

我家のごとく振舞っているのです。

子供がシートや床を汚しても平気
あるいは大声で「○○ちゃん、ちゃんとしんさい」

親が大声で話をしていることもありますし
スマホのようなものをいじくって子供の不行儀に
知らぬ顔なんてこともあります。

電車だから、お店だから、家とは違うんだという
考え自体が無いようなんですね。

10代がマナー知らずに振舞う、それがそのまま
親になっちゃってる感じです。


日本文化の良い処が消えてゆきつつあるように思え
寂しいかぎりです。

公をきちんとし、住みやすい社会にする、
こんなことができる国民は世界に誇れたのに
今や、少数派になったようですね。


以前の日本人は何も考えず言われるがままに
公衆道徳を守っていたのか?

最近、気づきましたが、よく考えての結論だった
ような気がします。

「やはり、こっちが良いようだ。
 面倒でも義務をはたそうか」・・と。

考えて、文化を維持する、結論に至るのです。


今、足りないのは何なんでしょうか。