ペット飼育の後悔

2015-01-20 16:46:55 | 塾あれこれ
上から目線で「飼ってやる」はありません。
一緒に暮らせば暮らすほど、持ちつ持たれつ
互いに頼りあって生きていることを実感しますね。

そのうえで
ペットなんか飼うんじゃなかった、
今の娘たちはまだまだ元気ですが
今からペットロスの心配です。

ご近所にも猫を飼っておられましたが、先頃亡くなり
ペットロスから次を考えられたそうですが
寿命を考えるとネコが後に残されそう、
これは飼うのを諦めなければなるまい、と。

自分たちの都合だけで、後は何とでもなる、と飼い始めて
しまわれない処が、年上の方に向かって失礼ながら
「あんたはエライ」

もっとも若いうちに飼い始めたって、事故などで
ペットだけが残る事もあります。
「余り考えずに」という立場をとるか
確率を考えてやるか、難しいところですね。


我家の娘たちとの付き合いは、そろそろ二十年
少なくともあと数年は生きるでしょう。

ただそれくらいなら我々も面倒を見てやれそうな年齢です。

しかし、万一のことがあったりしてお別れをしちゃうと
後は飼いづらいですね。
そこから二十年以上生きていられる自信はとてもありません。


遺言書に後を頼むような手はあります。
現に私はそうしています。

平均寿命からするとカミサンのほうが長生きですから
心配は小さいのですけれど、二人が交通事故、なんてことも
あります。念のため。

最近は後を引き受けるボランティアもあるそうですね。
面倒見専門の会社もあるのかなあ。

広島にも出来れば安心です。
(遺言を書きなおさねば)

先日は、保険会社を使って猫に遺産相続させ
余生を全うさせてやる、というニュースも見ました。

どういう形が良いのでしょうか。


万一、我家の娘たちが取り残されたりして
彼女らの我がままな生き方が続けられるか、
そんなことも心配ですね。

ペットとなんか暮らすもんじゃない。

一緒でない人生も考えられないのですが。


こんなことを書くとカミサンからブーイングが来そうです。

「あなたは何も世話をしていないくせに」

そう、飼い主とはとても言えません。

そのおかげか彼女たちの懐きようが違いますね。

「まみー」だってやんの

こちらには一瞥を投げるだけです。
パパ、くらいは呼べよな。