本の広告に『猫が人を育てる』とかいった風なものが
あったと記憶しています。
最近です。
たぶん「人間は猫を飼いならしたと思っているであろうが
実は反対で、猫が人を躾けているのだ」という内容で
あろうと思いますね。
本の題名としては惹きつけます。
ま、「実は正反対なので」という発想はよく見かけます。
レトリックとしては面白いし、人間の発想がいかに
言葉に縛られ、かつ自己中であるかが明らか。
二つのものの関係は、Aだ、いや反対だ、と言える
ものです。
どちらも正しいけれど、一方的であるに過ぎません。
「名前をつける」ように恣意的なことなのです。
人と猫と、仲の良い組み合わせがあれば、どちらがどちらを
飼いならしている、とも言えますし、飼いならすという関係は
ありえない、とも言えます。
本当はそんなことで(目新しさ)を覚えること自体が
陳腐なことかもしれません。
○
それにしても猫と人の関係は不思議ですね。
ペットとして人が癒されるということを除けば
すでに「人間の役にたつ」面は消えています。
戦後しばらくのわが国では天井裏をネズミが走り
対策に苦労したものですが、ゴキブリより先に
遠のいていってしまいました。
役目を終えた「家畜」は消えるはずなのに。
消え去るどころか、家族としての存在感は増すばかり。
主従関係ではないところが猫の最大の魅力です。
○
猫にしてみると、人間は巨大な肉体を持ちます。
目の位置は人間のヒザくらいですから、彼らが人を
見上げる時は、人が何階建ものビルを見上げるのと
同様の感じです。
敵対すると、危険極まりないものでしょう。
そこが、犬が見る人間との関係との大きな違いです。
猫は頭が悪いから人間を怖がらないのでしょうか?
いや、自分の生命維持のためには、危険なものから
離れてしまうのが、安全です。
すべての動物に共通のことですね。
ジンベエザメと小判鮫の関係でしょうか?
そこまで一方的な関係ではなく、友達とハウスシェア
するような関係ですよね。
独立性が強い。
それにしても、ビルディングと暮らさなくても
よいでしょうにね。
○
猫同士はあまり声を出し合いません。
喧嘩をするときくらいですね。
ところが人間に向けては良く鳴きます。
人間が喋るのを真似ているのでしょう。
「こいつら、鳴いてやらねえと意思が通じない。
感性が鈍いやつらだねえ。
ほら、メシだって。にゃ~。早くしろよ」
あったと記憶しています。
最近です。
たぶん「人間は猫を飼いならしたと思っているであろうが
実は反対で、猫が人を躾けているのだ」という内容で
あろうと思いますね。
本の題名としては惹きつけます。
ま、「実は正反対なので」という発想はよく見かけます。
レトリックとしては面白いし、人間の発想がいかに
言葉に縛られ、かつ自己中であるかが明らか。
二つのものの関係は、Aだ、いや反対だ、と言える
ものです。
どちらも正しいけれど、一方的であるに過ぎません。
「名前をつける」ように恣意的なことなのです。
人と猫と、仲の良い組み合わせがあれば、どちらがどちらを
飼いならしている、とも言えますし、飼いならすという関係は
ありえない、とも言えます。
本当はそんなことで(目新しさ)を覚えること自体が
陳腐なことかもしれません。
○
それにしても猫と人の関係は不思議ですね。
ペットとして人が癒されるということを除けば
すでに「人間の役にたつ」面は消えています。
戦後しばらくのわが国では天井裏をネズミが走り
対策に苦労したものですが、ゴキブリより先に
遠のいていってしまいました。
役目を終えた「家畜」は消えるはずなのに。
消え去るどころか、家族としての存在感は増すばかり。
主従関係ではないところが猫の最大の魅力です。
○
猫にしてみると、人間は巨大な肉体を持ちます。
目の位置は人間のヒザくらいですから、彼らが人を
見上げる時は、人が何階建ものビルを見上げるのと
同様の感じです。
敵対すると、危険極まりないものでしょう。
そこが、犬が見る人間との関係との大きな違いです。
猫は頭が悪いから人間を怖がらないのでしょうか?
いや、自分の生命維持のためには、危険なものから
離れてしまうのが、安全です。
すべての動物に共通のことですね。
ジンベエザメと小判鮫の関係でしょうか?
そこまで一方的な関係ではなく、友達とハウスシェア
するような関係ですよね。
独立性が強い。
それにしても、ビルディングと暮らさなくても
よいでしょうにね。
○
猫同士はあまり声を出し合いません。
喧嘩をするときくらいですね。
ところが人間に向けては良く鳴きます。
人間が喋るのを真似ているのでしょう。
「こいつら、鳴いてやらねえと意思が通じない。
感性が鈍いやつらだねえ。
ほら、メシだって。にゃ~。早くしろよ」