目の高さ、人と猫

2015-01-03 10:28:11 | 塾あれこれ
本の広告に『猫が人を育てる』とかいった風なものが
あったと記憶しています。
最近です。

たぶん「人間は猫を飼いならしたと思っているであろうが
実は反対で、猫が人を躾けているのだ」という内容で
あろうと思いますね。

本の題名としては惹きつけます。

ま、「実は正反対なので」という発想はよく見かけます。

レトリックとしては面白いし、人間の発想がいかに
言葉に縛られ、かつ自己中であるかが明らか。

二つのものの関係は、Aだ、いや反対だ、と言える
ものです。

どちらも正しいけれど、一方的であるに過ぎません。
「名前をつける」ように恣意的なことなのです。

人と猫と、仲の良い組み合わせがあれば、どちらがどちらを
飼いならしている、とも言えますし、飼いならすという関係は
ありえない、とも言えます。

本当はそんなことで(目新しさ)を覚えること自体が
陳腐なことかもしれません。


それにしても猫と人の関係は不思議ですね。
ペットとして人が癒されるということを除けば
すでに「人間の役にたつ」面は消えています。

戦後しばらくのわが国では天井裏をネズミが走り
対策に苦労したものですが、ゴキブリより先に
遠のいていってしまいました。

役目を終えた「家畜」は消えるはずなのに。

消え去るどころか、家族としての存在感は増すばかり。
主従関係ではないところが猫の最大の魅力です。


猫にしてみると、人間は巨大な肉体を持ちます。

目の位置は人間のヒザくらいですから、彼らが人を
見上げる時は、人が何階建ものビルを見上げるのと
同様の感じです。

敵対すると、危険極まりないものでしょう。

そこが、犬が見る人間との関係との大きな違いです。

猫は頭が悪いから人間を怖がらないのでしょうか?
いや、自分の生命維持のためには、危険なものから
離れてしまうのが、安全です。
すべての動物に共通のことですね。

ジンベエザメと小判鮫の関係でしょうか?

そこまで一方的な関係ではなく、友達とハウスシェア
するような関係ですよね。
独立性が強い。

それにしても、ビルディングと暮らさなくても
よいでしょうにね。


猫同士はあまり声を出し合いません。
喧嘩をするときくらいですね。

ところが人間に向けては良く鳴きます。

人間が喋るのを真似ているのでしょう。

「こいつら、鳴いてやらねえと意思が通じない。
 感性が鈍いやつらだねえ。

 ほら、メシだって。にゃ~。早くしろよ」