例によって朝ドラは新聞のBGMです。
以前は一度に複数のことを受け取れたものですが
今は、難しい。
一度にひとつ。
中学くらいではTVで野球中継を見ながら
学校の宿題をし、よく親に叱られたものでした。
今、受信能力は落ちていますが、朝ドラは話が単純で
ときおり耳に残るセリフだけでおよそ筋を追えます。
暫く前の回ですが耳に入ったセリフ
「はよう稲」
ベテラン女優さんが仰った。
???だったのですが1秒して「早う去ね」だったと
気づきました。
方言のアクセントを間違えていたのですね。
方言における「音」はとても重要なのに
学芸会のような気分にさせられましたね。
○
主演のマッサンは比較的、広島弁になっています。
難しいでしょうにねえ。
廻りの有名な俳優さんもまずまず。
とはいえ時に妙なセリフになっています。
著名な役者さんはお忙しいし、
スタッフも駄目出しをためらわれるのでしょう。
(ドラマ作りとしては二流だけど)
もっとも戦後の日本映画の巨匠作品でも
大阪弁すら奇妙でしたから、TVでここまでくれば
進歩はしていると言えますけれど。
ベテラン俳優としても折角方言に苦労しているのに
妙な発音はホントは恥でしょう。
もっとも私も戦後のことしか知らないし
小5迄は備後で育っていたりで、大きな口は叩けません。
(現在と戦前とそれほど違わない、という前提で続けます)
全国の方が見るドラマですから、方言は「印」です。
落語にでるお百姓言葉と同様のことで、必ずしも
リアルである必要はありません。
でもね、その中で少しは「らしさ」も欲しくなります。
マッサンが、広島を離れていつまでもコテコテの訛りで
あったかどうか。
特に、対外的に敬意を現さねばならないときに
「よろしゅう、おねがーしますで」は無いよね。たぶん。
○
方言の豊かさも欲しいですね。
『どのように』をいつもいつも「どがいに」だけでは
不自然です。
「どがいな」「どがい」「どがあな」「どがあ」
他にも
「どげな」「どげえな」「どげえ」
共通語に近く「どうような」「どうな」「どう」「どっ」
もちろん「~な」だけではなく「~に」もあります。
場合によっては感情を込めて語尾に「ら」を加え
「どげえなら」なんて使い方もあります。
尾道から広島に来て驚いたのは「どんとな」
女の子がよく使っていましたね。
「これ、どんとな組み合わせじゃろ」なんてね。
以前は一度に複数のことを受け取れたものですが
今は、難しい。
一度にひとつ。
中学くらいではTVで野球中継を見ながら
学校の宿題をし、よく親に叱られたものでした。
今、受信能力は落ちていますが、朝ドラは話が単純で
ときおり耳に残るセリフだけでおよそ筋を追えます。
暫く前の回ですが耳に入ったセリフ
「はよう稲」
ベテラン女優さんが仰った。
???だったのですが1秒して「早う去ね」だったと
気づきました。
方言のアクセントを間違えていたのですね。
方言における「音」はとても重要なのに
学芸会のような気分にさせられましたね。
○
主演のマッサンは比較的、広島弁になっています。
難しいでしょうにねえ。
廻りの有名な俳優さんもまずまず。
とはいえ時に妙なセリフになっています。
著名な役者さんはお忙しいし、
スタッフも駄目出しをためらわれるのでしょう。
(ドラマ作りとしては二流だけど)
もっとも戦後の日本映画の巨匠作品でも
大阪弁すら奇妙でしたから、TVでここまでくれば
進歩はしていると言えますけれど。
ベテラン俳優としても折角方言に苦労しているのに
妙な発音はホントは恥でしょう。
もっとも私も戦後のことしか知らないし
小5迄は備後で育っていたりで、大きな口は叩けません。
(現在と戦前とそれほど違わない、という前提で続けます)
全国の方が見るドラマですから、方言は「印」です。
落語にでるお百姓言葉と同様のことで、必ずしも
リアルである必要はありません。
でもね、その中で少しは「らしさ」も欲しくなります。
マッサンが、広島を離れていつまでもコテコテの訛りで
あったかどうか。
特に、対外的に敬意を現さねばならないときに
「よろしゅう、おねがーしますで」は無いよね。たぶん。
○
方言の豊かさも欲しいですね。
『どのように』をいつもいつも「どがいに」だけでは
不自然です。
「どがいな」「どがい」「どがあな」「どがあ」
他にも
「どげな」「どげえな」「どげえ」
共通語に近く「どうような」「どうな」「どう」「どっ」
もちろん「~な」だけではなく「~に」もあります。
場合によっては感情を込めて語尾に「ら」を加え
「どげえなら」なんて使い方もあります。
尾道から広島に来て驚いたのは「どんとな」
女の子がよく使っていましたね。
「これ、どんとな組み合わせじゃろ」なんてね。