増税反対を牽制

2014-08-21 20:20:47 | 塾あれこれ
消費税を10%にするかいなか
判断にほんの少しでも影響を与えるべく
7-9期の消費は抑えるべきと書きました。

同じ気分の方もおられるのでしょうか。

さっそく政治家が牽制球を投げています。

甘利が「10%への移行を延期と言っても限度がある」
という趣旨の発言をしているそうです。

いずれ上がるんだからごちゃごちゃするな、という
ホンネが見えますね。

昔の政治家はこんな品のない発言はしませんでした。
今は国民が舐められてるね。

「景気の動向をみて次の10%上げは判断する」
「もしも景気が上向いていないならば上げないことも」

政府はこう説明してきました。

(景気を腰折れさせるようなことはしてはならない。)
(過去の経験に学ばねばならない。)

正しいですね。
ただし口先だけの虞が強いと思います。

で、甘利大臣は景気の動向に不安を覚えたのか
(確かにそうは行ったがいつまでも延期するとまでは
 言っていない)と政治家らしいお話です。
間違ったリクツを言ってるわけではない、と。


おっと、そのご意見、余りに乱暴。

従来の政府の見解は経済を第一に、増税はそれを支える
手段である、と言ってるのです。

経済が衰退しているのに増税はありえません。

ですから、万一にでもいつまでも景気が回復しなければ
増税と言うのはありえない選択肢になります。
甘利発言はあんまり。

ずいぶんと国民を馬鹿にしてるモノ言いですよね。

きっとこう返してくるでしょう。
「じゃ、この先5千年でも8%のままか」

大学生時代、こんなバカがいました。
そんなことを言うから地金が見えちゃうんです。

5千年先の税体系などだれも知りません。
言うにこと欠いて、まあ。


自民党の政治家の多くは、景気=国民のことよりも
消費税を上げることを優先させてるのかなあ。

「君イ。財政赤字はだな・・」

何言ってやがる。
10%上げの損得で動いてきた分、自分の利害が
からむから、そう言ってるだけでしょ。

国家財政を考えてるなら、なぜここまで放ってた?
責任は、あなたがたにある!

『めし』と『早春』

2014-08-21 14:03:54 | 映画
カミサンが「同じような映画じゃねえ」と言います。

そうなんです、ダメ亭主の話ですから続けてみると
こちらは小さくなってしまいます。

『めし』昭和26年 成瀬
『早春』昭和31年 小津

比較的近い時期に似た内容を、しかもタイプが
似ている二人が撮っています。
『早春』は小津としては人気が無い作品ですから
作家論なんて考えれば同じ26年松竹の『麦秋』を
取りあげるべきかもしれません。

『めし』も『麦秋』も原節子ですしね。

結論めいたことを先に言いますと
小津のほうが立派な作品を数多く残しています。
成瀬はいかにも小粒

ただ、個人的な好き嫌いで言うと成瀬のほうが
少しだけ好きですね。
子供のころは分かりませんでしたが。


旦那の「不倫」の描き方は成瀬の方が圧倒的に細やか
小津は簡略に削り込んだ(理由あり)ぶん、見ようでは
ステレオタイプになってしまいます。

まして半世紀後に見れば、当時の「常識」が薄れ
削られた部分がこちらの内部で膨らみません。

同じくサラリーマンの仕事ぶりも描き方の細かさにも
差があるように見えました。

成瀬の方が画面構成やつなぎがまだ現代的
逆にいえば小津のほうが個性的


映画の筋からはワキになりますが、両作品ともに
戦争の傷跡に触れています。
当時の常識が思わず顔を出したのでしょう。

「戦争はひどかった。もういやだ」

『早春』でも加東大介が戦争帰りの酔っ払いを演じ
『秋刀魚の味』でも良く似た役をしました。
(ちなみに両作品とも東野英二郎も似た役をしてます)

けれども前者が戦争を、より否定的に捉え
後者(昭和37年)ではノスタルジーになりかけています。
(『めし』の中北さんはもっと深刻な「戦後」)

復興期の激動とはいえ十年もたたないうちに世の中が
変わっているのが良く分かります。


『早春』は池部良と淡島千景の夫婦物語と同時に
戦後のサラリーマンという存在にも焦点が当たります。
実はこちらが主題ではないか、というほど。
(映画としては半端に終わったけれど)

ここが小津の評論家受けするところで「思想がある」と。
成瀬はただのメロドラマ系監督、低く扱われたところです。

当時の多くの評論家や文化人は、映画の出来は二の次で、
内容が自分の好むものかどうかで作品を評するのです。
共産党系物語であればひたすら持ちあげるとかね。
著名な佐藤忠男などもそれ。

(今でもフェミニズムしか評価基準が無い方がおられます)

成瀬は「幸いにも」そういう嵐とは別に仕事をしました。
そこで見事に「時代の缶詰」が出来あがったわけ。
(ラスト、帰って行く大阪の長屋のなんと美しいこと)
いま江戸浮世絵を評価するのと同じ感覚になります。

人と時代を描くことが映画の道ならば
成瀬も小津に負けていません。


『めし』の大阪弁がひどいのもある意味で「時代の缶詰」