お墓

2014-08-11 19:34:36 | 塾あれこれ
お盆ですね。

お医者さんが休みなのが何となく不安。
暑い時間帯をさけて墓参りにいきましょうか。


新聞に、無縁墓のことが取りあげられていました。

無縁として片付けられた墓碑を廃棄して
一か所に集めているのです。
山のように積み上げてありました。
墓の墓場、だって。

増えているのだそうですね。

墓の移転などの場合でも石材が出てくるでしょう。

人情の変化も追い打ちを掛けているかもしれません。
遠くの墓まで面倒がみきれない、と。


お寺の都合もあるでしょうね。

墓地の管理保全だけでも人手・経費がかかります。
長い間、無縁のままなら片付けてしまいたい・・

で、官報に載せて「処分」

んなもの誰が見るか。
実質、寺が自ままに処分できるのです。

そして新しく売りだすのでしょう。
けっこう良い商売じゃないかと思えますが。

・・墓地の維持費に回るって?
本業でも非課税で儲けてるじゃん。


墓はさっさと片付けるくせに、売る時はどうですか。
「未来永劫、世話をします」風に売ってない?
だから高い、と。

ところが、維持しつつもお金が入らないとなると
最短10年で無縁墓に合葬されちゃう。

ユーレイになって出たら他人のものに変わってる!
私なんか「迷い爺」になっちゃいそうです。


私は無宗教、もしくは原始仏教、がホンネです。
が、縁者の法事も行ないますから仏教徒でもある。

父母や祖父母が私たちを育て「亡くなったあとは
墓の面倒を見てくれ」と思っていたのですから
ごく当然に墓参りや法事をします。

心には彼らがまだ生きているのですから。


話は変わりますが、今の若い人が、割に合わないからと
年金などの出費をしぶりますね。

金を持っていても「世代間でやってよ」なんて
フトドキを口走ります。
だから、あなたたちの子育てが間違うっての。

父母祖父母がお世話になった社会保障です。
それを維持するのは人間として子として当然でしょう。

人は心を受け継いで生き、次の世代にバトンを
渡すのです。

親が当然と考えていたことは子は守らねばなりません。
育てていただいたのですから。

生まれて良いことなど無かった、
産んでくれなきゃよかった、なんて人もいるでしょう。

でもね、良いことはあったでしょう。

友達と楽しく遊んだとか、美味い物を喰ったとか
美しい景色を見たとか、映画を楽しんだとか

それは親が育ててくれたからこそ、だと思うのです。

思想信条の違いとか、感情のもつれなどはあるでしょう
でも、親が、「これは当然」と思って口にも出さない
ということは、子供は引き継がねばなりません。

義務?
ん~、もっと当たり前な、何か。


とはいえ我が家は子供がいません。
井上家累代の墓はたぶん私たちまでしか守る人は
いません。

よっていずれかは無縁墓で片付けられちゃう。

しかたありませんよね。

地球だって人類だっていつまで持つか分かりません。
未来永劫なんてありえないのです。

個人的には先々私をお参りして頂くのもナニです。

こんな私がお参りしては叱られるかなあ。
ま、財産だけはしっかり権利を主張して、法事もしない
姉や弟より若干はマシじゃないかしらん。