原爆展示は恐く

2014-08-07 20:44:02 | 塾あれこれ
何度も書きましたが私の「原爆体験」は
小5のときです。

尾道にいたものが広島へ転校し、すぐのこと。
父が資料館へ連れて行ってくれました。

私が頼むなんてことではなく、父が見ておけと
原爆資料館へ同行したのです。

弟はまだ小3ですから、早いと思ったのでしょう、
私一人の恐怖体験でした。

何年たっても薄まる事はありません。
本当に恐ろしかった。

ある部分の全てがここから始まります。

でも、情けないながら、何か運動をするとか
自己を鍛えるなんてことはありません。
気分だけ「恐ろしい。これは良くない」

よって原発も早い時期から危険だと認識できました。

若いころは「原発反対」なんていうと
左翼運動家ではないか、なんて思われる時代です。

塾の同僚が、私が平和の集まりに行くというと
真剣に「サヨクに利用されるだけだから止せ」

政治色が薄いものなら、たとえ「利用」されても
構いません。

とにかく「核」は危険です。


広島の平和記念資料館が改装されます。

被ばく直後の様子を示した人形などは展示しない、と
いうことらしいですね。

賛否両論あります。

私が怖かった展示は、今の撤去されようというものの
一つ前、もっと怖いものでした。

つまり怖さを薄れさせようと言う方向が強まって
いるようですね。
不必要な核アレルギーを正す、のだそうです。

原発再稼働や核武装の地ならしでしょう。

私は反対ですね。
もっと怖くあるべきです。

少しでも本当のありさまに近づけ、警鐘をならさねば
なません。


被爆者の団体のひとつ、代表者はよくマスコミに
現れます。
どうもピンとこないんだな。

悪口は止しておきますが、そのT氏が先日TVで
「展示は変えにゃ、いけんよね」

小さい子供は恐ろしさに泣くばかりだから、
だそうです。

あほちゃうか。

連れてゆく大人がコントロールすればよいし
場合に寄れば展示室への入場に年齢制限、で
よいのです。

彼が言うような「考える」展示とは何?
怖さに泣くだけの子供にどれほどの思考力?


理屈より皮膚感覚、理性より感情

そこから人間の人間らしく生きる道が始まります。

ですから、怖くあるべきです。
絶対、核は許されないのですから。