『アヒルの子』

2010-11-15 17:48:07 | 塾あれこれ
『アヒルの子』を見ました。

カミサンは別に用があり珍しくも一人の映画観賞。
暗そうな作品でしたので私一人で見ることにしたのです。

若い女の子が自分のそれまでを振り返り、家族に思いを
ぶつけるという内容です。

以下ネタバレといいますか、私なりの感想を書きます。
どのような映画であるか、内容はネットでご覧下さい。
手抜きでスミマセン。

書くべきことは3つありそうです。

小野監督が作品で主張したかった内容について。
映画製作の仕方や出来について(←これは問題、多々あり)
人の関わり、特に教育におけるそれについて。

欠点は多くありますがドキュメンタリ好きは見ておくべき
作品ですね。
若くて見るか、年配で見るか、でもずいぶん違いそうです。

いずれにしろ、若い人の「異議申し立て」は当然というか
特権というか、ぶつけなければ次へ進めません。

私から見れば他人事でもあるし
「何を言ってるんだか」「甘えですよ」
というところもありました。

ただ、たとえそうであっても
「こんなにつらかった」
「いまそれを明らかにするのもつらい」
こんな思いは正面から受け止めねばなりません。

私だって若いころは多少の悩みもありましたが
彼女ほどのつらさではありませんでした。
それでもそれなりにきつかったのです。

彼女は五つの時にヤマギシ会の幼年部に入れられ
親に捨てられたという思いが強くなり
それがずっとトラウマになっていたのです。
それを両親にぶつけ、大騒動になります。

このあたりまで家族の一人ひとりに言いたいことを
ぶつけてきたのですが、さすがに「大事件」でした。


次にヤマギシで同じ体験をした人を尋ね歩きます。
(教育にも繋がることで私にとってはここからも重い)

幼年部で同じようにつらい思いをした人
つらかったけれども彼女ほどではなかった人
いろいろおられます。

皆さんが(映画に出ると云うこともあるのでしょう)
冷静な総括をしておられるのには驚きますね。
若いのに本当に「偉い」

また送り出す親の側の気持ちも聞きに行きます。

そうしてたどり着くのがヤマギシで子供を預かる側
におられた方です。
学校で言うなら先生のお立場。

体験がトラウマになるほどつらいものであったと
「先生」にぶつけます。
当惑しながらも正面から受け止めようとされる「先生」
この方も立派です。

私がその立場ならどうだろう?

次第に彼女の異議申し立てが私自身に向かってくるような
錯覚を覚えました。

私にはただ黙って聞くしか出来そうもありません。


私が今までに出会った先生で最も尊敬するT先生は
小5、小6の担任でした。
(このブログでも初めのころに触れています)

本当に立派な先生でしたが、十年前ほどにあった同窓会
の帰りの電車で、同級生が
「自分には合わなかった先生だ」
というのを聞いて驚いたことがあります。

考えてみれば、先生も神様ではありませんから
百%完璧な人間関係を築けるわけはありません。

先生の側も人間、生徒の側も人間です。
お互い欠点もあれば、カン違い、すれ違い・・
意思疎通の欠落が大きいでしょうが
たとえ疎通が十分であっても納得できないものが
残ることもあるでしょう。

生徒の側にトラウマになるようなことがおきていても
先生が気づかないことだってあるでしょう。
案外多いかもしれません。

それへの異議申し立ては教師は黙って聞くしかないのです。
こちらに言い分があっても子供は傷ついたのですから。

多分、こういうことはどこでも必ず起きているはずで
あとになって言いに来られることが少ないから
先生も救われているのです。

しかし、そのことは常に自省しなければなりません。
言い分もあるでしょうが相手の言うことを聞くしか
道はありません。
彼・彼女に替わることはできないのですから。

他人と同じことをしていると多少気が楽です。

違うことをしていると「なぜ?」と訊かれます。
説明すればするほど言い訳になりますね。

私のように生徒にキツイ仕事振りだと
余計に相手のことが気になります。
きっと多くの人間を傷つけてきたことでしょう。

良い死に方は出来ないだろうなあ。

(つづく)