(11)選択肢全部答えりゃいつかマル

2006-10-14 10:37:25 | 考える
C 続きです
「あてもの」のごとく適当に答えを言って、当たれば
終わり、というのはいつの時代でもありますね。

選択肢など、何か一つ答えて様子を見、違いそうだと
なると次々に答えを変える、なんて今も多いですね。

「A!違う?じゃB。いやCかな。あっDだ」
選択肢のすべてを瞬く間に口走ります。
これにはいつも困ってしまいますよね。
悪気があるわけじゃないんだから。

でも仕事をしている私の立場からは
「子供っぽくて可愛い」では済まされません。
難敵の一人になります。

はたして、子供だからと言って無責任で良いのか?
そのまま成長して行くのにリスクはないか?

けれども、そういう子に口で説明して相手の理解を
得られるでしょうか?
では何をすれば考えるようになってくれる
でしょう?

教えるに難しく、かつ大変なエネルギーが要るので
大人は甘くなりがちになるのではないでしょうか?

さらに「自由でのびのび」という教育法をズルイ
大人が勝手に振りまわします。
放任主義、で放ったらかし。
本当は、放任主義をとるならば、大人は自らの姿で
人のあり様を教える、という大変なことをしなく
てはならないのです。が、それはしません。

更には、お金の為に都合良く「自由」を口走る人も
多いようです。
悪口を言いたくはないのですが小さな塾でも無責任な
所があります。
その最大の理由は、やはりお金。
辞められると困るので「自由でのびのび」やってもら
うところもあるようです。
毎日が運動会とか・・

学校でも、役人ゆえの事勿れ。
学級が崩壊するハズです。

私は、わが身を優先させ、月給を貰うためには子供は
二の次というお役人(もしいれば)が大嫌いです。

もしくは無責任の裏返しの厳罰主義。
大声で叱ってばかりいる、とか体罰でいうことを聞か
せる、あるいは軍隊的規律と洗脳。
これらはパターンに安住する無能力無責任の現れなの
です。学校や大手進学塾にはありそう。


本題からどんどん離れてきました。
答には根拠が要る、これを分かってもらう話でした。
(コーフンして忘れそうになってた)

根拠を問うためには、逆にまずヤマカンでいいから言
わせて次にそれに基づいて調べたり、考えを進めたり
します。
そうすることで、間接的に根拠がないことを無責任に
言わない、ということを分かってもらうのです。

ヤマカンも大切ですがここでは触れません。
そして本当のカンを磨くには、ここから始まる長い道
のりが必要になります。

繰り返しますが、「適当」を排し、推理推論で考える
ということを身につけてもらわねばなりません。
きちんとした大人になってゆくために。
9.23