(18)譲られた席に座らぬアホ爺

2006-10-04 15:08:59 | 考える
昨日の話です。
電車に乗っていると後ろで声がしています。
振り向くと、どうやら若い娘さんがお年寄りの男性に
席を譲ろうとしているらしい。
「もう次で降りるン?」
「いえ、まだ」
「ジャあ、エエです」

見かけ70~80の方ですから席を譲ろうというのは
納得できるところです。少々お疲れ気味だし。
それを座らないものだから、譲った側も中ブラリン。
二つ三つ先の駅から乗った人が座るまで空席になって
いました。
よくありそうな光景です。
男性の側にもお考えお気持はおありでしょう。

ただ、どうして少しモノを考えないのか、とても残念
な気になりました。
気持の話でもモノは考えねばなりません。
そうオオゲサなことではなく、ほんの少しだけ。

相手の気持や、公の場でとるべき行動ということを
ちょっとでも考えれば上記のような気まずさは起きな
くて済んだのです。
「お宅何年生きてらしたの?」面と向かって言いたい
くらいでしたねえ。

座りたくなくても「ありがとう」と言って座ればよい
じゃないですか。
そうではなく、自分のお考えがあるのなら、それを話
してあげればよいのです。
それもご面倒なら適当にウソついてもいいでしょう。
「ありがとう。実は腰が痛いので立っている方がラク
なので、折角だけれど、ごめんなさい」

思いきって声をかけたであろう相手の気持を考えない
いや、もうこれは公の場でのエチケット違反。
次に彼女が同様の場面に出会ったとき、気持が重く
なるかもしれません。
オジサン!ご自宅でならお好きに行動されればよいの
ですがね。場面を考えて欲しいなあ。

まあ、こういうモノを考えていないとしか思えない
お年寄りの何と多いことでしょう。
エチケットどころか、ワガママとも見える行動。
不躾な若者と違いは見つけられません。
ジベタには座ってないくらいで。

TVでは文化人がたまたま目にしたであろう若者を
例に挙げて「戦後教育はナットラン」とノタマウ。
では先の物を考えない老人を作り出した教育は何
だったんだろう?

ここで言いたいのは~教育に直ぐ結びつける短絡的
な言説、ステレオタイプの発想のお粗末さです。

戦後教育を手放しで褒めるものではありませんが
美しい国を壊した責任を戦後教育に求めるのは相当
無理があります。冤罪でしょう。

老人達が美しい国を壊したからこそ若い人たちの
居場所がなくなっているのです。

ええ・・
感情にも理性の裏打ちがいるというつもりで書き
始めたのですがオオゲサな話になりました。
ただ少なくとも、例をあげて短絡的な話につなげる
のは危険だという「例」にはなったでしょうか。

D⑥例を示す

論理の展開では例を示す事を忘れてはいけません。
例を探すことで考えが深まることもあります。

ただし、例が適当かどうかは検証すべきです。
でも少し難しいですね。
できれば短絡思考にはなりたくないものです。
10.2