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人間とは論理を超えたところで動くのが現実ですが
だからこそ論理を学ぶべきなのですがねえ。
グチはさておき論理の続きで③他との比較、です。
他の論理と比較すると言っても、論理を充分に理解
できない段階では所詮、無理な話かもしれません。
ただ、比較しての感想ならば言えるでしょう。
「AとBと、あなたならどちらに賛成?」と
論理を並べて質問します。
これなら「比較」の導入になりますね。
力がついてくれば、感想に対して根拠を求めます。
そうして徐々に比較することを学んでもらいます。
また自己の論理に関して、正反対の考えを思い浮か
べる、とか視点を変えて考える、など相対化してみ
ると比較の力が伸ばし易いのではないでしょうか。
いずれにせよ「比較」は高度なことと思います。
更に高度な技術として小泉流「比較断絶の術」など
もありますが、子供に教えると、モノを考えなくな
る恐れが強いので危険です。
④分析する
論理を展開することができないと、分析は不可能
です。
論理を勉強して間もない人に、いきなりやってみろ
とはいえません。
理科にしろ社会にしろ、まず教師が分析してみせ、
つぎに生徒と共にやってみる。次第に独り立ちでき
てゆくことになれば成功ですが時間はかかります。
やはり国語で教えるのが、早い時期から始められ
かつまた、じっくりと進められそうです。
作中人物の心理、行動を追い、簡単な心理分析を
してみる、というのも一つですね。
テーマを示して、作品分析させるという手もありま
す。当然、学年に応じて難易度は調整すべきです。
小4くらいなら、作品にでてくる色彩を追う、
そしてこちらから色彩と心理を説明する、程度は
可能でしょう。
次第に様々な分析をしてゆきます。
また、分析をしている論文やエッセイを読む。
最近の傾向に反するかもしれませんが、韻文の作品
分析なども、ぜひとも読んで勉強して欲しいもの
です。
分析をしないで、ナントナク感じるというのは
弱いものです。
自由に感じればよいというものではないからです。
キチンと内容を捉えて、後、自由に鑑賞の幅を
広げるのでないとね。
韻文の方が案外分析の力がつくかもしれない、
と勝手にモウソウしています。
9.29
人間とは論理を超えたところで動くのが現実ですが
だからこそ論理を学ぶべきなのですがねえ。
グチはさておき論理の続きで③他との比較、です。
他の論理と比較すると言っても、論理を充分に理解
できない段階では所詮、無理な話かもしれません。
ただ、比較しての感想ならば言えるでしょう。
「AとBと、あなたならどちらに賛成?」と
論理を並べて質問します。
これなら「比較」の導入になりますね。
力がついてくれば、感想に対して根拠を求めます。
そうして徐々に比較することを学んでもらいます。
また自己の論理に関して、正反対の考えを思い浮か
べる、とか視点を変えて考える、など相対化してみ
ると比較の力が伸ばし易いのではないでしょうか。
いずれにせよ「比較」は高度なことと思います。
更に高度な技術として小泉流「比較断絶の術」など
もありますが、子供に教えると、モノを考えなくな
る恐れが強いので危険です。
④分析する
論理を展開することができないと、分析は不可能
です。
論理を勉強して間もない人に、いきなりやってみろ
とはいえません。
理科にしろ社会にしろ、まず教師が分析してみせ、
つぎに生徒と共にやってみる。次第に独り立ちでき
てゆくことになれば成功ですが時間はかかります。
やはり国語で教えるのが、早い時期から始められ
かつまた、じっくりと進められそうです。
作中人物の心理、行動を追い、簡単な心理分析を
してみる、というのも一つですね。
テーマを示して、作品分析させるという手もありま
す。当然、学年に応じて難易度は調整すべきです。
小4くらいなら、作品にでてくる色彩を追う、
そしてこちらから色彩と心理を説明する、程度は
可能でしょう。
次第に様々な分析をしてゆきます。
また、分析をしている論文やエッセイを読む。
最近の傾向に反するかもしれませんが、韻文の作品
分析なども、ぜひとも読んで勉強して欲しいもの
です。
分析をしないで、ナントナク感じるというのは
弱いものです。
自由に感じればよいというものではないからです。
キチンと内容を捉えて、後、自由に鑑賞の幅を
広げるのでないとね。
韻文の方が案外分析の力がつくかもしれない、
と勝手にモウソウしています。
9.29