(16) ワの世界、論理で人は動かせず

2006-10-06 22:24:36 | 考える

人間とは論理を超えたところで動くのが現実ですが
だからこそ論理を学ぶべきなのですがねえ。

グチはさておき論理の続きで③他との比較、です。

他の論理と比較すると言っても、論理を充分に理解
できない段階では所詮、無理な話かもしれません。
ただ、比較しての感想ならば言えるでしょう。
「AとBと、あなたならどちらに賛成?」と
論理を並べて質問します。
これなら「比較」の導入になりますね。

力がついてくれば、感想に対して根拠を求めます。
そうして徐々に比較することを学んでもらいます。

また自己の論理に関して、正反対の考えを思い浮か
べる、とか視点を変えて考える、など相対化してみ
ると比較の力が伸ばし易いのではないでしょうか。

いずれにせよ「比較」は高度なことと思います。

更に高度な技術として小泉流「比較断絶の術」など
もありますが、子供に教えると、モノを考えなくな
る恐れが強いので危険です。

④分析する

論理を展開することができないと、分析は不可能
です。
論理を勉強して間もない人に、いきなりやってみろ
とはいえません。
理科にしろ社会にしろ、まず教師が分析してみせ、
つぎに生徒と共にやってみる。次第に独り立ちでき
てゆくことになれば成功ですが時間はかかります。

やはり国語で教えるのが、早い時期から始められ
かつまた、じっくりと進められそうです。

作中人物の心理、行動を追い、簡単な心理分析を
してみる、というのも一つですね。
テーマを示して、作品分析させるという手もありま
す。当然、学年に応じて難易度は調整すべきです。
小4くらいなら、作品にでてくる色彩を追う、
そしてこちらから色彩と心理を説明する、程度は
可能でしょう。

次第に様々な分析をしてゆきます。
また、分析をしている論文やエッセイを読む。

最近の傾向に反するかもしれませんが、韻文の作品
分析なども、ぜひとも読んで勉強して欲しいもの
です。
分析をしないで、ナントナク感じるというのは
弱いものです。
自由に感じればよいというものではないからです。
キチンと内容を捉えて、後、自由に鑑賞の幅を
広げるのでないとね。

韻文の方が案外分析の力がつくかもしれない、
と勝手にモウソウしています。
9.29