6月5日は福山市へ行ってましたが、その時のお話をもう少しほど。
前回の記事で玉城ちはるさんによる『命の参観日』を拝見しに行った事を書きましたが、同日の午前に福山自動車時計博物館を訪問しました。時系列的には順番が逆になりますが、取り上げてみましょう。
しばらく御無沙汰になってしまってましたが、今年に入ってから初めての訪問となりました。
最近、トヨペット関連の車両の新収が続いてる博物館ですが、そのトヨペットネタを3台紹介。
今年に入ってトヨペットクラウンとトヨペットマスターラインがやってきました。
トヨペットクラウン RS21 1960年式。
クラウンの初代モデルの後期型です。
黎明期の1950年代、日本の自動車業界は他社メーカーは海外のノックダウン生産で手探りで乗用車製造に乗り出しましたが、1955年登場の初代クラウンは完全にトヨタの手によって設計から生産まで純国産を実現されました。国産乗用車の本格的な幕開けとなったクルマとして歴史に残る1台であります。真ん中から左右に開く観音開きのドアや、当時の過酷な道路事情ながらも前輪独立懸架のサスペンションを採用したのが、大きな特徴でした。このクラウンの成功でトヨタの乗用車事業は一気に拡大していきます。
黎明期の1950年代、日本の自動車業界は他社メーカーは海外のノックダウン生産で手探りで乗用車製造に乗り出しましたが、1955年登場の初代クラウンは完全にトヨタの手によって設計から生産まで純国産を実現されました。国産乗用車の本格的な幕開けとなったクルマとして歴史に残る1台であります。真ん中から左右に開く観音開きのドアや、当時の過酷な道路事情ながらも前輪独立懸架のサスペンションを採用したのが、大きな特徴でした。このクラウンの成功でトヨタの乗用車事業は一気に拡大していきます。
トヨペットマスターライン ピックアップ RR19 1958年式。
マスターは初代クラウン同じ1955年に発売された乗用車で、主にタクシーでの用途を見込みました。クラウンは当時としては異例な前輪独立懸架のサスペンションだったのに対し、マスターはオーソドックスに車軸懸架を採用。トヨタとしてはクラウンが本命だったんでしょうが、信頼性や耐久性の観点から保険的な意味合いもあってマスターを発売したそうです。結果的にはその心配は杞憂だったようで、マスターは短命に終わりました。ただ、マスターへの投資を無駄にしないためにも、派生車種として商用車となるマスターラインが登場したのでありました。バンとピックアップトラックのラインナップでしたが、この個体はピックアップトラックです。
生産期間が短かった(1959年にクラウンの車体をベースした2代目へ移行)うえに、酷使される商用車ということを考えると残存数は極少かと思われます。
生産期間が短かった(1959年にクラウンの車体をベースした2代目へ移行)うえに、酷使される商用車ということを考えると残存数は極少かと思われます。
トヨペットSB型トラック 1950年式。
情報量が少ないクルマですが、終戦直後の1947年に登場した小型ボンネットトラックです。ほぼ同時期に登場したSA型小型乗用車と共に『トヨペット』を初めて名乗った車種でもありました。戦後復興に不可欠な存在として、日本国内で扱いやすい小型サイズということもあり、当時としてはヒット作になったようです。後に登場するスタウトのルーツといえたでしょう。
なお、『トヨペット』の名称は、上に掲載したクラウンやマスターラインなどトヨタの小型車のブランド名として使われていきました。やがて、トヨペットを名乗った車種は順次トヨタに改称され、現在はディーラーのひとつでもあるトヨペット店に名称が残っています。
なお、『トヨペット』の名称は、上に掲載したクラウンやマスターラインなどトヨタの小型車のブランド名として使われていきました。やがて、トヨペットを名乗った車種は順次トヨタに改称され、現在はディーラーのひとつでもあるトヨペット店に名称が残っています。
最後はまったく話が変わりますが、おまけのネタ。
福山駅で撮影した鞆鉄道のバス。正面に自転車ラックが取り付けられています。
福山230あ199、N5-199、日産ディーゼルスペースランナーRA、2005年式、元西武バス。
福山駅で撮影した鞆鉄道のバス。正面に自転車ラックが取り付けられています。
福山230あ199、N5-199、日産ディーゼルスペースランナーRA、2005年式、元西武バス。