今から50年前の1962年、いすゞから上級乗用車、ベレルが発売されました。いすゞの乗用車事業はヒルマンミンクスのノックダウン生産から始まりましたが、ベレルは完全なるいすゞ自社開発を実現しました。
まずは前期型から。2009年12月撮影。
欧州車テイストのシンプルで上品なスタイリングが印象的でした。しかし、サイドウインドウがリヤ側に比べてフロント側が極端に小さいなど、未消化な部分があったのも事実でした…。
さて、このベレルはクラウンやセドリックなどを意識した上級乗用車として登場したわけですが、クルマそのものの完成度の低さや生産初期の品質問題、後発ゆえのブランドイメージの低さや販売力の弱さなど負の部分が重なってしまい販売は振るいませんでした。特に自家用車需要は極めて少なく、タクシーなど営業車需要が大半だったようです。
エンジンは1.5リッターと2リッターのガソリン、2リッターのディーゼルが搭載されましたが注目はディーゼルでした。当時はディーゼル乗用車というのが極めて珍しく、経済性が評価されてタクシーで積極的に導入されたそうです。
しかしながら、騒音、振動があまりにも激しいゆえにタクシーの乗務員からは疫病神扱いされてしまい、タクシー事業者は乗務員に『ディーゼル騒音・振動手当』を払っていたとか…。いくら経済的でも余計な手当を払ったのでは本末転倒といえたでしょう。
1965年、マイナーチェンジで後期型に移行しました。2009年11月で撮影。
高級感を高めたかったのかスタイリングを大幅に一新しましたが、初期型のシンプルで上品なイメージから一転してゴテゴテと飾り立てられ、かえって野暮ったく不気味になってしまいました…。売れないクルマは最後は過剰なまでに高級化するというジンクスに嵌ってしまった典型的な一台といえるでしょう…。
販売は悪化の一途を辿り、タクシー業界がLPG車に移行すると頼みの綱だったタクシー業界からも見放され、真偽は不明ですがモデル末期には3台でいくら?という具合に在庫処分で叩き売られてたそうです。1967年頃にひっそりとラインナップから消えたようです。
なお、ベレルの名称ですが鈴を意味するベルと50を意味するエルの造語です。つまり、ベレル→五十鈴→いすゞ。しかし、社名を背負って登場したにもかかわらず登場から終了まで悲惨な生涯を送ったのは皮肉以外の何者でもないでしょう…。合掌。