旧東海道 吉田家

2017-06-12 | 喰いだおれ
何か書かなきゃと思ったのですが、最近食べた旨いモノから

旧東海道、立会川(本当は立会川と鮫洲の間の今は無き「浜川」という驛が最寄り)吉田家です。

実は結構昔、しっかり書いている(私も少し記憶が残っていた・・・)のですが、別物をいただきましたので。


今年、TX和風総本家で放送されましたね。

だし巻き卵(滅多に頼まないので正しい名称を知りません m(_ _)m )

焼き鳥

天ちらせいろ(の天ぷらです)

天ざる    (車エビ1本)
天せいろ   (大車エビ1本)
天ちらせいろ(大車エビ、車エビ各1本)

となっています。

海老がニガテな私は鴨せいろです。

北海道、カラカミ観光片山社長と大館(取)管理本部長が訪ねて来られたのです。

実はニセコ町の9643設置を見届けた後4人連れで洞爺“サンパレス”にお邪魔して沢山御馳走を頂いたのですが、その1/10返した感じでしょうか・・・

きわめて美味しかったです。

本当は鴨せいろより鴨なんばんにこそ吉田家の神髄があるそうです。








サッポロビール園の9643

2017-06-08 | 国鉄時代
日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道9643号がサッポロビール園にやってきたのは1973-12-20です。

1972-07-31 炭鉱廃止→鉄道廃止から1年半後の事でした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9B%B9%E7%82%AD%E9%89%B1%E5%A4%A9%E5%A1%A9%E7%A0%BF%E6%A5%AD%E6%89%80%E5%B0%82%E7%94%A8%E9%89%84%E9%81%93


サッポロビール資料室にある当時のアルバムからの写真です。

苗穂駅まで貨物列車に連結されて運ばれてきた9643号機がトレーラーに載せられるところと想像されます。


製造されてから60年近く経ち、鉄道廃止後既に1年半を経過して居ますので決して良い状態では無い感じです。


クレーン車はこの時代もTADANOですね。

http://www.tadano.co.jp/products/crane/ac/index.html


この後9643はピカピカに磨かれ、44年の長きに亘ってサッポロビール(株)サッポロビール園で保存・展示されて居ました。

 
2007年9月〔SL夕張応援号〕運転。 皆で北海道へ!サッポロビール園!へ


9643号の前で記撮です。


2007年の9643です。


2016年5月、9643を模型化するため取材させて頂きました。

そして2017年ビール園の大改修予定をひかえて9643にピンチが訪れました。

一方ニセコ町からは熱烈ラブコール!

急遽IMONが譲渡を受け、ニセコ町の要請に応えて移送作戦が行われました。


6月2日(金)トレーラーへの積込が行われました。


1年前の模型化取材と同じ様に「開店前」です。


大型車待機場所で夜の出発を待つ9643です。


テンダーは別のトレーラーです。


6月2日(金)22時、ビール園閉店とともにトレーラーが動き始めます。


44年過ごしたサッポロビール園を後にします。


深夜の札幌市中心部に向かって進んでいきます。


テンダーが


後を追って進んでいきます。


C623撮影時に散々お世話になったフルーツ街道~~銀山からはトンネル断面「小」の稲穂峠を避けて赤井川国道へと抜けるルートを走ったようです。

全高を抑える為にクルクルパーを外してフロントデッキに載せています。


翌朝羊蹄山を横目に赤井川国道を追います。


正面にはニセコアンヌプリ。


ニセコ駅上り方、転車台側ではクレーンの組立が行われていました。


クレーンが組み上がるまでは機関車は待機です。


ニセコ倉庫群のひとつ、旧でんぷん工場

http://www.town.niseko.lg.jp/machitsukuri/torikumi/souko.html


中は素晴らしい空間に成っています。


今回、ニセコ町と「サッポロビール&IMON」間の媒の労を執った名取紀之鉄道保存協会顧問が作成したサッポロビールへの感謝の横断幕が此処で公開されました。

(残念!サッポロビール園では日の目を見ませんでした)


物凄いトレーラー!、全幅3.2m、本来の目的は洗車、いや戦車の陸送じゃないでしょうか。


2台並んだ巨大トレーラー。

アームを外した巨大クレーン(300t=6軸、220t=5軸、4軸車1両の3台)や、外したアームを運ぶ巨大トレーラー群、敷き詰める鉄板やクレーンに載せる死重などを運ぶトレーラー群に回転灯を付けた先導車など10台近い軍団でした。


元国鉄機関車ながら日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道の機関車は国鉄機とは全く違った耐寒重装備機関車になっています。

同じ北海道なのに面白いですね。


天気予報は雨だったのですが好天になって来ました。

手前が220t、向こうが300tクレーンです。


先ずはテンダーから。 300tクレーン一台で持ち上げます。


ピットが有りますが、今回の展示にあたり安全のためにふさがれています。


熟達のクレーン操作で1発で所定設置位置に持ってきました。


続いて機関車本体がクレーンに挟まれるような位置に移動されて来ます。


主台枠後端梁に吊下げフックが掛けられます。


この様に後天窓を開けてワイヤーが伸びています。


前端梁に220tクレーンのワイヤーが掛けられます。


左右に傾かないようにこの位置にフックが掛かっています。

前端梁の厚みは調べてあるらしくフックと端梁の間にはぴったりのサイズの木材が挟んで有りました。


作業の全景をニセコ大橋から俯瞰します。


長万部発倶知安行 2943D 14:39着14:41発のDCです。

この列車が去ってから作業開始となります。


機関車が持ち上げられ、低床トレーラーは逃げます。 雨が降ってきました。


安定していて軋み音ひとつなく90度向きを変えてキャブを線路側に向けます。


2台のクレーンの間をキャブを前にしてすり抜けます。


そして、再び頭をニセコ駅側に向けて線路と平行方向に向いていきます。


JR線路側に敷き詰められた鉄板は特に厳重、厚みも一際厚いです。


実にスムーズな動きで線路に向かって降りていきます。


前後の位置は慎重に決めます。


ピット上にぎりぎり第一動輪が載ると聞いていたとおりの位置です。


クレーンが重量を半分背負った状態でクレーンで前後に引きずって見ます。

ギヤがやや後に入っているせいか動輪は動かず、僅かに先輪が回りました。


ドローバーを繋げます。


天窓を貫通していたワイヤーが去ります。

ジャッキで機炭間を微調整します。 緩衝器が触れ合う感じで。


工房で作った「門」の区名札を入れてみます。

一休車の札はニセコ駅に新得駅ターンテーブルを移設した媒をした荒川好夫プロが持って来てくれたものです。

似合い過ぎてチョットいけません。


ナンバープレートは取り外して苗穂工場で複製制作中です。


休車が解けて「出発進行!」です。


「狩太機関庫」区名札も取り付け中。


唯一キャブに登った者の努めとして機関士席撮影。


機関士側テンダー前面


助士席側テンダー前面


機関助士席


キャブとテンダー前側デッキを繋ぐ渡り板が失われています。


2016-05 1年前の取材時は渡り板はありました。

一脚にポールを取付け、全部伸ばした先に取付けたコンデジをセルフタイマーにするIMON標準手法で撮影しています。


日曹炭鉱のキャブ屋根延長機独特のキャブからテンダー上に登るステップを登ってみます。 思った通り手摺が充分付いていますのでとても登りやすかったです。

失われし渡り板が最も有りそうなテンダー炭庫内を見忘れ、撮り忘れたのが痛恨です。


ナンバープレートも外し、汽笛も整備中、屋根も塗装もまだですので一旦ブルーシートに包みます。


給水塔はC623がニセコ折り返しになったときに新製されたものです。

金華駅のモノをコピーする位してあれば絵になったのに・・・


根室本線新得駅から移設されたターンテーブル。

これに載せて回転させることが出来れば最高なのですが・・・

ターンテーブルを再び動力で動くようにするには億単位のお金が掛かるようです。


敷き詰めた鉄板やクレーン車に載せる死重の回収作業です。

補修作業・塗装の後、屋根を設置して公開の予定です。

9643車歴

1914-12  川崎造船所兵庫NO.152 新製 配属 神戸局
1936-03-31現在 亀山区
(この間に渡道)
1938-04-30現在 旭川区
1948-12-07 日曹炭鉱手塩鉱業所に譲渡 (翌年、専用鉄道で使用開始)
1972-07-31 日曹炭鉱天塩鉱山閉山 (9月頃採掘済石炭輸送完了で運行終了) 
1973-12-20 サッポロビール園到着
2017-06-02 サッポロビール園出発、ニセコ駅隣接の町有地に移転

http://d51498.com/db/9600/9643

この移送大作戦は北海道新聞に掲載されました↓

http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=tetsudou&v=5459612509001








9600キット組立⑯キャブ・エアタンク

2017-06-05 | 鉄道模型
忙しいだけでなく体が疲れて何も出来ない状況です。

書かなきゃいけないものもあるのですが、忙しくてダメでしたのでUPされた写真から少し9600の話を書きます。


69620のキャブ屋根端部を貼ることにします。

前の端面板の取付方を考えたのですが、この様に2mm角の角材を挟み込んで付けることにします。

右エアタンクの事も進行します。


こんな感じです。

僅かですがウェイトに成り、全く見えないので上手いやり方だと思います。

切り欠きは庇の切り欠きですので「前側」です。


69620の雨樋は北海道らしい低い位置(電車など箱物には普通っぽい位置・・・蒸機キャブにとっては非常識な位置)です。


右エアタンクのカバーを組み立てます。


ランボードにハンダ付けしました。

雨樋もハンダ付けしました。 雨樋には0.6mm甲丸線を使いました。


雨樋です。

雨樋っぽくするためにこんな風に甲丸線を使って居ます。


エアタンクカバーに続いてエアタンクもハンダ付け、この辺りはキットの通りに組むだけなので簡単です。

エアタンクカバー後ろ側に0.8mm×0.3mm帯板で「支え」を付け足しました。


エアタンクのロストワックスパーツの裏側はこの様に大きな欠き取りがあります。

ウェイトにするために5mm×1mmの真鍮帯板を詰め込むことにします。


詰め込みました。

更にハンダを流し込みウェイトにしました。


右のエアタンクと違って小さいですが左エアタンクの溝にも真鍮帯板とハンダを流し込みました。

左エアタンクは小さいですが左には複式コンプレッサーが在るので重量バランスは良くなったと想像しています。






磐西のみ鉄

2017-06-01 | 今鉄
あんまり撮り鉄な記事が無いので「今鉄」な分類にしてしまいました。


五泉~猿和田 ボックス動輪独特の台枠完全抜け流し撮りを狙います。


五十島~三川 私はC55も好きですが、流し撮りにはC57です。

C55の場合「スポーク動輪もどき」が残念でなりません。

現役時代(私は高校生時代)も「あれはスポークと違う」と思っていました。

C55より10年古い「1925年デビュー」のゼロイチの補強水掻きの付け方を知ってからは特にC55はナサケナイと思っています。

「美しさ」を無視した設計は酷いと思います。


鹿瀬~日出谷 いずれ木が伸びて撮れなくなるでしょう。


日出谷~豊美


併走しました。


上野尻~野沢 山は霞んで薄かったです。


荻野~山都 西海枝トンネル飛出しです。


お蕎麦


馬肉を仕入れに行きます。


喜多方~山都


津川~三川 麒麟橋バックですが手前の線路には日が当たりません。


馬下~猿和田 シルエットで終わります。


今回は一番奥の碧水荘です。




とっても美味しかった杜氏魂(とうじだましい)

 
                         女性3人参加!
 
ますいずみとますだいずみさん。    二次会は近作中心の映写大会です。


五十島~三川 10:16発228D


五十島10:51発となる下り227D 停車中に交換で8226レ〔SLばんえつ物語〕が来ます。


五十島~三川 来ましたが煙が流されてアウト!


鹿瀬~日出谷 


日出谷~豊美 踏切を渡れず・・・汽車が来てしまいました。


日出谷~豊美 それでも追いつきます。


荻野~山都 西海枝トンネル飛出し カメラ設定が「流し撮りのまま」だったのでこんなに成ってしまいました・・・


山都~喜多方 もう夏の感じです。

 
喜多方“おはなぼう”既に閉店していました。

なんと「臨時開店!」  いつもの宴会開始です。


“おはなぼう”のラーメン


〔ばんえつ物語〕乗車、“おはなぼう”からの「持ち帰り」も含め宴会開始です。


馬肉は“おはなぼう”のお母さんが準備してくれました。

 
これぞ飲み鉄


今回は参加人数女性3人は「奥様2人と姪ッコ」さん。

 

 


                         新潟着、へぎそば。
 
新幹線車内で最終宴会です。


昔ながらの球磨焼酎


上野駅の判れ、来年もやりましょう!