私の友人から見ても井門義博は余裕綽々でやっている様に思われている様なのですが、内情は酷いモノで発狂寸前を踏みとどまるのがやっとという状況です。
色々な人から頼まれたり頼られたりしたことが多く、それを忘れたりという不義理を無数にやっているに違いないのです。
それをこなすことになったら本当にビルから飛び降りるしかない事になりそうです。
仕事面ではIMONスタッフは良い仕事をしてくれては居ますが、趣味的要素の濃い仕事での助手が居ない厳しい状況にもう神経的に限界・・・
もう後は発狂ですね。
ブログに関しても、数年前まで日々の30%報告がやっとでした。
現在は15%報告するのがやっとです。
本当は趣味的に充実していた時代の事を書きたい!
全く出せないのが悔しいです。
この有田の話は古い時代の話が出来た事件の報告ですから、少し癒やされながら書きます。
母親の実家です。 従姉妹と叔母です。
叔母は母にそっくりです。
余りにも似ているので子供の頃びっくり仰天した記憶があります。
リリーズみたい?
(勿論リリーズは双子でそっくりですが、最近少し区別できるようになりました!)
でも、母の姉妹は4姉妹で似ているから恐るべき!です。
お仏壇、お参りしました。 いとこが額の傾き修正中。
私の祖母と祖父(第十代深川栄左衛門)
有田の祖父は第十代でした。 12代は井門本家のおじいちゃんの方でした。
祖父の母と父(第九代深川栄左衛門)
曾祖父の母と父(第八代深川栄左衛門)
http://www.koransha.co.jp/koransha/koransha_eizaemon.html
この方が凄かった人です。 長男は跡取り、二男が深川製磁創業者となります。
17世紀の初代様でしょうか・・・間違いなくご先祖様です。
土曜の夕方ですから誰も居ませんが本家(右側)裏、川を挟んだ碍子工場ミニ見学。
古い建物のまま、其れが渋いです!
川の支流に沿って両側に続いています。 想像より大きくてびっくり!
一周して本家の横に出ます。
工場に入るとき渡った橋が遠くに見えています。 左側が深川本家です。
香蘭社赤繪町工房
振り返って見た香蘭社本家(奥の方)とショールーム
早岐機関区でC11192に乗務していた元乗務員の方もみえました。
C11192をバックの若き日の記念写真と模型を撮影されていました。
いよいよ始まります。
聡窯 辻聡彦さんに口火を切って頂き、出先から駆けつけた香蘭社深川祐次社長からご挨拶いただきます。 祐次さんも早く言えば「いとこ」です。
http://www.2016arita.com/jp/interviews/interview-mr-fukagawa-koransha#
生まれて初めて自分で作ったパワーポイントを動かしていただきながらレーザーポインターで示しながら話します。
陶山神社への階段の途中に佐世保線が走っています。 階段の途中に立っているのは私の母です。 昔から記撮に執念を燃やしていたイモンがみえます。
佐世保線がどのようにして出来たのか・・・当初の目的地が長崎だった事・・・それが早岐駅の構造に繋がってC11が20系を牽く事になった話、唐津周辺の路線の付け替えの話、昔の写真と思い出話、上有田でD51の汽笛に飛び上がってからブルトレと電車屋だったイモンが蒸機に傾倒していく話・・・
ゼロイチのギラリを狙う話です。
夏、冬、夏3シーズン、ほぼ毎日狙い続けてようやく撮った写真です。
バケペンで流すように追いながら切った写真で完璧だと自負していたのですが西独フランク社から出した写真集には使って貰えませんでした。 ドイツ人による選定を尊重したのですがワンパターンの写真ばかりが選定されて我々が選んだ方が趣味世界の遺産としては良かったと少し後悔しています。
ドイツ人の指向がどうこうではなく、大学生だった我々から見ても編集が少し拙かったと言うことです。
(この6×7ポジの行先も大変困った問題が後に発生しています)
ほどほどの聴衆も居たのは良かったのですが、予定より少し話が長かった・・・
ゴメンナサイ
早岐機関区の機関助士だった先程の方からも説明頂きます。
C11特有のサウンドを響かせて走らせて見せているところです。 客車はヴェスターヴィーゼ製客車(組立;林工房、仕上;イモン)2両です。
大役を果たしてほっとしています。
赤繪町工房の中に置かれた金庫、なんだか由緒有りそうな感じ。
上有田鉄道ふぇすたスタッフにお好み焼き屋さんに連れていって貰いました。
松浦線にちなんだ8620形レンタカーを運転して伊万里に帰る都合から酒無しです。
ハチロクは近代機ではなくマニュアル6速で、運転代行は無理っぽいです。 (フライホイール極小、低回転トルク無し、全く普通の車じゃないです)
とっても美味しく
いっぱい頂きました。
時間が遅かった事に気が付きませんでした。 全く申し訳ない。
車の中で時計を見るまで気が付いていませんでした。 m(_ _)m
色々な人から頼まれたり頼られたりしたことが多く、それを忘れたりという不義理を無数にやっているに違いないのです。
それをこなすことになったら本当にビルから飛び降りるしかない事になりそうです。
仕事面ではIMONスタッフは良い仕事をしてくれては居ますが、趣味的要素の濃い仕事での助手が居ない厳しい状況にもう神経的に限界・・・
もう後は発狂ですね。
ブログに関しても、数年前まで日々の30%報告がやっとでした。
現在は15%報告するのがやっとです。
本当は趣味的に充実していた時代の事を書きたい!
全く出せないのが悔しいです。
この有田の話は古い時代の話が出来た事件の報告ですから、少し癒やされながら書きます。
母親の実家です。 従姉妹と叔母です。
叔母は母にそっくりです。
余りにも似ているので子供の頃びっくり仰天した記憶があります。
リリーズみたい?
(勿論リリーズは双子でそっくりですが、最近少し区別できるようになりました!)
でも、母の姉妹は4姉妹で似ているから恐るべき!です。
お仏壇、お参りしました。 いとこが額の傾き修正中。
私の祖母と祖父(第十代深川栄左衛門)
有田の祖父は第十代でした。 12代は井門本家のおじいちゃんの方でした。
祖父の母と父(第九代深川栄左衛門)
曾祖父の母と父(第八代深川栄左衛門)
http://www.koransha.co.jp/koransha/koransha_eizaemon.html
この方が凄かった人です。 長男は跡取り、二男が深川製磁創業者となります。
17世紀の初代様でしょうか・・・間違いなくご先祖様です。
土曜の夕方ですから誰も居ませんが本家(右側)裏、川を挟んだ碍子工場ミニ見学。
古い建物のまま、其れが渋いです!
川の支流に沿って両側に続いています。 想像より大きくてびっくり!
一周して本家の横に出ます。
工場に入るとき渡った橋が遠くに見えています。 左側が深川本家です。
香蘭社赤繪町工房
振り返って見た香蘭社本家(奥の方)とショールーム
早岐機関区でC11192に乗務していた元乗務員の方もみえました。
C11192をバックの若き日の記念写真と模型を撮影されていました。
いよいよ始まります。
聡窯 辻聡彦さんに口火を切って頂き、出先から駆けつけた香蘭社深川祐次社長からご挨拶いただきます。 祐次さんも早く言えば「いとこ」です。
http://www.2016arita.com/jp/interviews/interview-mr-fukagawa-koransha#
生まれて初めて自分で作ったパワーポイントを動かしていただきながらレーザーポインターで示しながら話します。
陶山神社への階段の途中に佐世保線が走っています。 階段の途中に立っているのは私の母です。 昔から記撮に執念を燃やしていたイモンがみえます。
佐世保線がどのようにして出来たのか・・・当初の目的地が長崎だった事・・・それが早岐駅の構造に繋がってC11が20系を牽く事になった話、唐津周辺の路線の付け替えの話、昔の写真と思い出話、上有田でD51の汽笛に飛び上がってからブルトレと電車屋だったイモンが蒸機に傾倒していく話・・・
ゼロイチのギラリを狙う話です。
夏、冬、夏3シーズン、ほぼ毎日狙い続けてようやく撮った写真です。
バケペンで流すように追いながら切った写真で完璧だと自負していたのですが西独フランク社から出した写真集には使って貰えませんでした。 ドイツ人による選定を尊重したのですがワンパターンの写真ばかりが選定されて我々が選んだ方が趣味世界の遺産としては良かったと少し後悔しています。
ドイツ人の指向がどうこうではなく、大学生だった我々から見ても編集が少し拙かったと言うことです。
(この6×7ポジの行先も大変困った問題が後に発生しています)
ほどほどの聴衆も居たのは良かったのですが、予定より少し話が長かった・・・
ゴメンナサイ
早岐機関区の機関助士だった先程の方からも説明頂きます。
C11特有のサウンドを響かせて走らせて見せているところです。 客車はヴェスターヴィーゼ製客車(組立;林工房、仕上;イモン)2両です。
大役を果たしてほっとしています。
赤繪町工房の中に置かれた金庫、なんだか由緒有りそうな感じ。
上有田鉄道ふぇすたスタッフにお好み焼き屋さんに連れていって貰いました。
松浦線にちなんだ8620形レンタカーを運転して伊万里に帰る都合から酒無しです。
ハチロクは近代機ではなくマニュアル6速で、運転代行は無理っぽいです。 (フライホイール極小、低回転トルク無し、全く普通の車じゃないです)
とっても美味しく
いっぱい頂きました。
時間が遅かった事に気が付きませんでした。 全く申し訳ない。
車の中で時計を見るまで気が付いていませんでした。 m(_ _)m