箱を写していないので申し訳ないです。
違う作業が始まっているのでもう撮影は不可能でした。
DRの客車は、
シヒト(後のザクセン、ティリッヒ)が19m級「レコ車」と24.5mのトンガリ頭、
PIKOが21.5m級の近代化改装車と機関車
と言う具合に国営の2社で棲み分けていました。
45年間それは変わらないなあと思っていたら、驚きのY形トンガリ頭PIKO製品が出てきました。
ベルリンの壁崩壊に並ぶ大事件です。
パーツ袋の中身です。 エアホースだけ一揃い省略されています。(Am、ABm。Bm全て全く同じパーツ構成でした)
新商品だと思います。(45年間注意深く見てきたわけではないですので細かい事は知りません)
新商品だな!と思うのはパーツのバリの少なさも一つです。
1両宛6個入っているステップだけが付けなくてはいけないパーツでが、エアホースやフックや暖房管、シャープなので取っておきます。
さっさと分解していますが、Tilligのつもりで開けたら簡単に開くことができました。
インテリアは「通路仕切」以外シートの色ひとつでの一体成型なのが残念です。
手前からBm、ABm、Amです。
行き先「看板」が付属していました。
ベルリンから東南東へ向かう国際列車です。
ヴロツワフを通ります。
1976年8月、我々増田・井門組はポーランドに残されたワグナーデフのゼロサンPm2を狙ってポーランド西部を走り回りました。(その記事は鉄道ファン誌1978年辺りで見ることができます)
ヴロツワフへ向かう日、我々は “おまわり列車“ の罠にはまり、予定の列車に乗る事ができず、結果ひどい目に遭います。
盗難に遭ったのです。
その日から我々は「おまわり」を追いかける日々となりました。
それはヴロツワフでの日々です。
欧州を走り回っていた我々ですが、どこへ行っても水道の生水を水筒に入れて飲んでいました。 しかし、このブロツワフの水道水はいくら出しっぱなしにしても濁った水しか出ないし、そのまま飲んだら腹を壊しました。
「欧州で一番水が悪いところ」と言ってしまいます。
更に看板によるとカトヴィツェ経由クラコフ(クラクフ)行です。
1979年1980年と更に続けてポーランドに行きましたが、その度に「推し鼻炎ちむ」を訪問しました。
アウシュヴィッツです。 カトヴィツェこそが近い所にある大きな街です。
当時は我々以外の人影が無い様なところでした。
クラコフは、大学鉄研時代、スラブ系の名前を付け合って遊んでいた事を思い出します。(相当な変人たちですよね)
クラコフという名前で呼ばれていた仲間がいるので非常に馴染み深いです。
私は ヤバシビッチ・P・クマノフ という名前でした。
上がティリッヒ、下がピコです。
パッと派手なのはティリッヒですが、PIKOの凄いのは窓が開きそうなことです。
リバロッシよりよくできています。
一等車の黄色帯はティリッヒが良いと思います。
PIKOは通路側デッキ寄りの窓が「Hゴム」ハメ殺しです。 新製時からこうなっていたのでしょうか?
ベルリン南方と北方では見なかったスタイルだと思います。
2枚の窓以外はあまり大きな違いがありません。
もちろん模型としてはPIKOが数十年(ヘタをすると半世紀)後の制作だから床下などは全然違います。