菅平へ行って来ました

2011-08-09 | ラグビー
2男(高3)3男(中3)が菅平に合宿に行っていますので慰問に行ってきました。


関越道を行きます。

上越新幹線とクロスする上里S.A.に近付く地点、初めて新幹線と並走しました。

車はトヨタ・グランビア。 なぜ大きな車が必要かというと、板氷を大量に仕込んで差し入れなくてはならないからです。 ポリバケツに水道水を入れ、粉末ポカリを溶かし、板氷を何本も入れて冷やしてひしゃくですくって「がぶ飲み」しながら練習するからです。

各校のラグビー部で同じ事をやるので菅平高原のコンビニから板氷は消えます(大量・頻繁に納品しても需要と供給は絶対に釣り合わないのです)

言ってみればこの大きな車は給水車みたいなものです。


横川S.A.で昼食です。 カフェテリアですが、私は駅弁にします。

此処、横川S.A.下り線は「たかべん(高崎駅弁当株式会社)」の担当なのです。

こんなに鶏めしがあると嬉しくなってしまいます。

(私が慶應高校鉄研の時、日吉祭で売る駅弁、「鶏めし」を大量に仕入れ「だるま」は不要だったのに「たかべん」は僅かな「鶏めし」と大量の「だるま弁当」を押しつけてきました。 当然「鶏めし」は瞬殺売り切れ、だるまは大量に売れ残り、鉄研会員全員大量に自宅に持ち帰ったものです。 私が思った事は「鶏めし」は原価が高く「だるま弁当」は儲かり易い・・・幕の内的に内容を変えやすい総花弁当は儲かるのだ!と言うことです)












でも、珍しさに負けて「復刻だるま弁当」を買ってしまいました。

金箔付のお品書きでも判るように高かったです。

でも実を言えば、もう一つ買ってしまったのです。


当然鶏めしです。 (普段でも2つ買う事があります・・・叔父は2人なら駅弁10個買っていたと聞きますので・・・多分一人だと6個食べて居たはずです)


ここ四十数年食べて居ますが、ここ30年間はこのスタイルに落ち着いてきました。

舞茸の旬の頃は舞茸が入っていますが、今頃は「鶏つくね」ですね。


ツバメがそこここに巣を作っています。


上田菅平出口、ETCの出口がトラブル中で赤になっています。

ETCが一つというのは正気の沙汰ではないですね。 「頭が可笑しい」かもと思います。


「スイスホテル・サブグラウンドB」で高等科が練習中でした。

著名なグランド以外に100箇所ほど番号を持つグランドがありますが、こういう「番号なし」の変形地、サブグラウンドが沢山あります。


BKの練習にBKでは見かけない顔が居ました。


もしかすると先頃股関節を脱臼した者かもしれません。

上田で仕入れた板氷をとりあえず6本供給しました。


痛んだところをアイシングするためのクラッシュアイスと、アイシング用の小さなビニール袋も大量に必要です。

この瞬間、クラッシュアイスはこの菅平高原店にもありました。


菅平を日夜疾走する救急車。

試合中に一人倒れ、救急車を呼んだら間違えて2台来てしまい、1台断ったら途端にもう一人病院行きが出て走って呼び戻したという現場を見てしまいました。

手、指をスパイクされて切れて病院に行った父兄の話では菅平の病院は凄惨な野戦病院だそうです。
(もう報告した話でしたっけ・・・)


スイスホテル


中等科と高等科が同じ時期に同じホテルに居るのはとてつもなく嬉しい配慮です。


スイスホテルのフロント

泥まみれの生徒、学生は玄関から出入りしません。 玄関を使うのは来た時と帰る時です。


我々の泊まる「あずまや高原ホテル」のフロント

四阿高原と書きます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E9%98%BF%E5%B1%B1

菅平の戦場からトンデモナイ山道を車で15分走ったところに天国は有ります。


部屋です。


窓からの眺め、下界は雲の中、この後露天風呂で雨に遭いました。


ラグビー部員父兄大宴会一次会です。






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