最新のレールマガジンに掲載されている
水沼信之さんの「01逢いたや2011」のオープニングページです。
(是非買って読んでください!)
このブログではレールマガジンに紹介されていない写真などなど紹介したいと思います。
(当然ですが写真は水沼さん撮影です)
水沼信之さん;
JAM初代会長である水沼信之さんとの出会いは、JAMあればこそでした。
JAM開催中のパーティーやJAM関係者による忘年会で顔を合わせ始めたのです。
鉄道趣味界に突如彗星のように顕れた水沼さんは癌研の著名な医師だという事以外「謎」多い人でした。
徐々に判ってきたのは消化器系の化学療法で日本癌学会をリードする医師で長いアメリカ留学や本業で多忙を極めて遠ざかっては居た「撮り鉄」兼「模型鉄」だったのです。
(「鉄」の中での団塊世代・・・・私と同い年です)
「鉄」としての顔と「著名な医師」としての顔を両方持っていて、その落差がめちゃくちゃに大きいので「謎」を呼ぶ存在だったわけです。
(他にも中1からの鉄仲間、ドイツを含め10回一緒に旅行した知人でそうなっている者が居ます)
さて、
かつて水沼さんをドイツに連れて行った罪深き記事がコレです↓
鉄道ファン1974年6月号に載っている
「01逢いたや」斎藤晃 斎藤晃さんの名文は火を付ける威力充分です。
鉄道ファン1977年2月号に載っている
「ゼロイチは東独に生きる」増田泉 ワグナーデフ付01が撮影可能な事を紹介しています。
012204 ザールフェルト近郊 32年前に水沼さんが捉えたワグナーデフ付01です。
(ワグナーデフ付きの01はじめ石炭炊きの蒸機奇跡の大復活は、ポーランドのワレサが騒いだことが原因だったように私は記憶しています・・・・それも1979年3月(←私の4回目の東独入り時)にはかなり騒ぎになりかけていた様に思うのですが)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E8%87%AA%E4%B8%BB%E7%AE%A1%E7%90%86%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E3%80%8C%E9%80%A3%E5%B8%AF%E3%80%8D
そして2011年
「撮り鉄」水沼信之を再び01のもとへ連れて行ったのは医師としての水沼信之でした。
学会出席の為ストックホルムへ向かう途中、SWRのアイゼンバーン・ロマンティック放映20周年記念ツアーに少しですが参加可能なのです。
アイゼンバーン・ロマンティック (鉄分を100倍にした「世界の車窓から」です)
http://www.swr.de/eisenbahn-romantik
「題」が出たところです。
SWR (サウスウェスタンレイルウェイではありません、放送局です)
http://www.swr.de/
バーゼルから国境を越え、Weil am Rein(ヴァイル・アム・ライン)の街でIGEのAndrew Thomas(アンドリュー・トーマス)さん率いるツアーと合流するところから始まります。
IGE (旅行会社、今回のツアーを協同で企画しました。 鉄分の濃さに驚愕!)
http://www.bahntouristik.de/ige/cms/
Andrew Thomasさんです。 さしずめ彼の地の大谷連隊長でしょうか。(そこまで凄くないか)
Weil am Reinを出発した列車は015重連に牽かれてLauchringen(ラウッフリンゲン)に到着しました。
015重連 01 1533 + 01 0509 Lauchringenにて
50 2988 + 93 1360 Wutachtal Bahn(ヴータッハタール博物鉄道)区間内の牽引を担当しました。
Immendingen(イメンディンゲン)から再び015重連牽引です。 直径2mの動輪。
Warthausen(ヴァルトハウゼン)から乗客はOechsle Bahn(オエクスレ保存鉄道)に乗り換えます。
ここで水沼さんはキャスターのハーゲン・オルトロフさんから取材を受けます。
キャスターのハーゲン・オルトロフさん
インタビューに英語で答える水沼さん
http://www.swr.de/eisenbahn-romantik/archiv/folgen/754-dampfreise-swr-sendegebiet-teil-2/-/id=2249894/nid=2249894/did=8748990/4hfuke/index.html
其処へ並走する標準軌路線を015重連が走ってきて併走するという驚くべき演出!です。
Oechsle Bahnのフォトランです。
フォトランバイ;
①乗客を降ろし
②列車は充分後退する
③乗客達に撮影させるために元気よく走り
④また後退してきて乗客を乗せます。
Ulm(ウルム)に到着したミットローパの食堂車です。
翌9月23日
Ulmにて01 1533
41 018
UlmからShondorf(ショーンドルフ)に向い、DBK保存鉄道に乗り換え、フォトランをします。
064 419 背の高いドイツ人の「壁」に阻まれどうにもならない状況です。
01 2066 登場!
ゼロイチのドレーンは横ではなく前に吹くようになっています。 (駅の乗客に掛けない為かも)
Shondorfに戻ると待望の01 2066がツアー列車の先頭に付きましたが、水沼さんはコレを撮影後直ちにストックホルムに向かわなくてはいけません。
明日は癌学会の千数百人の聴衆の前で英語でスピーチするのです。
(一説には日本の癌学会の威信が関わっているという情報も・・・・)
Mr.Detlev
残念!BEM(バイエルン鉄道博物館)のデトレフには会えずに32年ぶりのゼロイチとの邂逅は本当に一瞬だったようです。
(正確には7分間)
しかし、僅か2日いや1日半としては驚くべき充実と思います。
私(最後は1996年5月)もチャンスが巡ってくる事を願っております。