D511は転属だけ見ても
11-04 敦賀 (北陸本線) 新製配置
13-01 稲沢 (東海道本線)
24-04 大垣 (東海道本線)
25-05 上諏訪 (中央東線)
37-06 金沢 (北陸本線)
39-09 盛岡 (東北本線)
43-09 青森 (奥羽本線)
46-10 浜田 (山陰本線)
47-09 梅小路 (動態保存→その後静態保存)
と、かなり異動が多かったカマです。
配置機関区によって時代も表現する事になる機関車です。
IMONの10/20発売のD511は、コミュ二ケーションの不足から
製造サイドは「青森時代」
販売サイドは「盛岡時代」
と考えていたようで、できあがった製品は完全な青森時代のD511である事が判明致しました。
このコミュ二ケーション不足はお恥ずかしい限りです!!
盛岡時代(昭和43年9月までの奥中山越えの時代)と
青森時代(昭和43年9月から昭和46年9月までの矢立峠越えの時代)の外観上の違いは
①煙室扉ハンドル
盛岡・・・標準タイプ・・・もちろん黒塗装されたモノです。
青森・・・大宮工場タイプと言われる十文字の派手なタイプを黒塗装したもの。
交換時期;不明ですが、盛岡から尻内機関区に貸し出し中の43年7月に「十文字」をつけて居る写真があるので、東北本線無煙化最末期と言えるこの時期(盛岡時代末期)に他機から譲り受けたと考えられます。
②ボイラーとランボードの隙間を覆うカバー
盛岡・・・D51の原形と言えるカバー有り
青森・・・後年のD51の普通と言えるカバー無し
ボイラーとランボードは離れています。
火の入った状態のボイラーは熱で膨張しますのでボイラーが動くからです。
ホンモノはボイラーに付いたモノは伸縮に応じてキャブの中でも前後に動けるように作られています。
「ボイラー/ランボード」カバーのない状態ではその隙間から下回りが見えます。
見え具合も梅小路などで確認できます。
カバー撤去時期;これまた不明です。
③空気作用管の形状
盛岡・・・標準、継ぎ目の箇所だけ間隔を開けられ、他は隙間無く配置。(下の写真が一つの例)
青森・・・継ぎ目も含めて全て間隔を開けて配置された極寒地仕様。(上の写真参照)作用管の変わった時期;これまた不明です。
乗工社D51重装備B D51785です。
標準的な空気作用管の表現と同時に、ボイラーとランボードの間にカバーが有る姿です。 (D51の原形は「有り」)
現在のIMONの蒸機はランボードに注力しているのが比較でよく判ります。
④テンダー上の重油タンクの両側の手摺り
盛岡・・・無し
青森・・・途中から手摺りが付きます。
実は他社製品で①=盛岡 ②=青森 ④=青森となっている上に③作用管がハンドレールの下を走っており、何処がD511なのか判らない製品があります。 「子細に拘る」のは好きではないですが、これは少し逸脱が酷すぎます。
D511は青森転属初期、テンダーに亀裂が有って長らく側線で火を落としていたそうです。
その修理が成った時から手摺りが付いたと推察しています。
このテンダー重油タンク脇の手摺りが有った方が格好佳いと私は思います。
(従って、青森時代の方が格好佳い)盛岡時代は無かったテンダー後面ハシゴ最上部の「架線注意」が青森時代には有ります。
この見本は販売サイドの指示で「盛岡」と信じて付けていませんが、「青森」を作った事が判明した以上、製品は「架線注意」付きとなります。
青森時代で区名札「盛」の恥ずかしい写真
もっともこの辺りの造作は余り変化していないかもしれません。
架線注意が付きます。(小さい方、つまり‘200mm=実物’)
架線注意は横200mm(蒸機正面ヘッドライト下に使用)と横300mm(それ以外)の2種類が使われていたようです。
(1/87ですから1/80よりやや大きめ位が見栄えの良い16番には少し小さいですが)パーツとして分売開始致します(10/20~)
0.1mm洋白板に印刷して切り抜き済みのモノですので非常に役に立つと思います。
今回痛い失敗を致しました。 恥ずかしい思いもしました。
今後もっと慎重に事を進める所存です。
IMONの蒸機を今後とも宜しくお願い致します。