♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■これなくては生きられない

2006年05月22日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

えー、クリスチャンがよく歌う歌の中でですねえ、「ただ信ぜよ、ただ信ぜよ。信ずる者はみな救われん」というそういう歌があるんですねえ。で、ただ信じなさいという、何か「ただ」って言われるとですね、それが非常に価値にない値うちのないもののように思われる、そういう傾向があるかなと思うんです。で、イエス・キリストによる救いというのは、ただで提供されるものということなんですね。

 で、私たちがただのものというのは価値のないものと考えてしまうことがある訳なんですけど、ダイヤモンドはすごい買い物、高価な物というふうに言われていますよね。で、空気はただですよね。で、ダイヤモンドは無くても人間は生きていくことができますね。えーダイヤモンド、私もそうですけど、持っていません。持ってなくても全然生活に差し支えがありません。でも、空気がもし何分間でも無くなったらもう生きていくことができませんね。まったくただの物なんですけども空気が無かったら生きていくことができない。すごい高価な物であっても実はそれは無くても生きていける。

 聖書で言う神様の愛というのは、それは無代価で無償で私たちに与えられるもの、与えられているものなんですね。で、他のこの世のものはいろいろ高価そうに見える、価値があるように見える。けれどそれらのものは実は無くても生きていくことができる。けれども空気が無かったら生きていけないように、神様の愛が無かったら私たちは生きていくことができないんですね、本当に。私たちは毎日生かされているこの命も意識しないとするとに関わらず神様によって命が与えられて生かされている。この空気も神様が無代価で提供して与えてくださっている、それをもって生きていくことができる。

 実は私たちが罪から救われて永遠のいのちを持つ、神の国に入ることができることのために神様は御自分の独り子を十字架の上で犠牲にして、このイエス・キリストを信ずることによってだけ私たちが罪から救われて永遠のいのちを得ることができるという。人間が良い行いをしなければならないとか、どれだけの代価を払わなきゃいけないとか、そういうようなものではなくって、ただ信じなさい(と)。それは神様の愛がどんなに、いわゆる人間の価をもってしては計り知ることのできない所の大きなものであるからそれを提供しておってくださる。私たちもそれをただで受けることによって救いに与ることができるってことなんですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2006.05.22放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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