器用な人は、口の中でさくらんぼの蔕を結べるのだとか。
ところが私は、鬼灯を鳴らすことすらできない。
まさに、無骨、不器用、無風流。
鬼灯の鳴らし上手と暮らしたき ひよどり 一平
器用な人は、口の中でさくらんぼの蔕を結べるのだとか。
ところが私は、鬼灯を鳴らすことすらできない。
まさに、無骨、不器用、無風流。
鬼灯の鳴らし上手と暮らしたき ひよどり 一平
昭和20年8月6日午前8時過ぎ、広島市に原子爆弾が投下された。
私は国民学校(今の小学校)の5年生だった。
写真は、投下された日の翌々日(8月8日)の「読売報知」新聞。
「B29 新型爆弾を使用」との見出しで、被害状況などの記事が掲載された。
2発目の原子爆弾が長崎市に投下されたのは、3日後の8月9日。
8月14日、「ポツダム宣言受諾」の聖断が下され、8月15日に玉音放送。
日本は降伏した。
行く雲のちぎれちぎれや原爆忌 ひよどり 一平
何を言ってみても始まらない。しかし私の胸には、何かが険しく残っている。
いまだに忘れることができないのだ。いや、決して忘れるものか。
一心に通い詰めても、これほどの朝焼けにはなかなか出逢えない。
幾晩か宿に泊まり込み、未明に三脚を立てて2時間ほどは待つ。
そんなことを繰り返しても、雲が無ければ焼けないし、雲が厚すぎても駄目。
空が静かに燃え始めると、もう誰もものを言わない。聞こえるのはシャッター音のみ。
朝焼けて太初の空となりにけり ひよどり 一平
写真は2004年9月11日の裏磐梯秋元湖。午前5時11分撮影。
狂いそうなほどに逢いたいことって、ありますか。
そうなったら何も考えずに、一点突破的な行動で、逢いに行けばいいのです。
宇宙開発やICBMの時代ですから、距離と時間の壁は簡単に乗り越えられます。
ただし、すっ飛んで行ったからと言って、逢えるかどうかは別問題。
相手の意向次第で、逢いたくないと言われたら、もうそれっきり。
そんな時は、蝉の抜け殻を探してください。
空蝉を吹いて過ごしぬ逢ひたきとき ひよどり 一平
(うつせみをふいてすごしぬあいたきとき)
私はこの季節が苦手。
昭和20年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され、8月15日に終戦。
当時の私は国民学校5年生。立派な軍国少年でした。
だからいやーな気分。焦燥感に襲われるのです。
逢いたいからと言って、空蝉を吹いてはいられない。