新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

落語

2007年09月05日 11時25分15秒 | 身辺雑記

 ここのところ、落語を聞いていない。
 以前はよく、新宿や浅草の寄席で聞いたものだったが、いつの間にか、行かなくなってしまった。
 今はもっぱら、車の運転中に、CDで聞いている。

 外国のことは知らないが、落語は日本独特の芸能で、身振り手振りや表情があって成り立っている。
 私がCDで楽しめているのも、幾度も高座で聞いていたから成り立っているにちがいない。

 ああ、ここの場面ではこんなだったなあ、と思い描きながら、音の世界に入っている。したがって、以前に高座で聞いた人のものでないと、どこか納得できない。

 音を聞きながら、具体的な映像を思い浮かべるのは、かなり脳を使うらしい。ボケ防止にいいかもしれない。

 勝手に映像を描くので、私にとって好ましい雰囲気が出てくる。
 これはいいですよ。

 古今亭志ん生、古今亭志ん朝、三遊亭園生、立川談志、柳家小さん……
 このような名人のCDに、私の運転の安全がかかっている。

「文七元結」は、志ん朝と談志を聞いているが、それぞれ個性が出ていて面白い。どちらがいいかとなると、これはもう好きずきの話になる。
 私は、志ん朝の「文七元結」がダントツだと思っている。じっくりと聞かすところが、なんとも言えない。幾度聞いても、涙が出そうになる。事実、涙が出たこともあった。

 談志のほうも面白いが、泣けない。あまりじっくり聞かせない。ポンポンとやってくる。だから、私には、「面白いけど、泣けない」となる。
 このようになると、聞く側の好みと、演者の演出哲学がマッチングするかどうかの問題だ。上手や下手の問題ではない。

 近頃のテレビで見る演芸は、なんとも軽薄だ。芸ではない。

 ひどいのになると、笑いを強要している。
「ここで笑わないと、笑うところがなくなりますよ」なんて言っている。ところが、それがまた受けている。変なギャグもギャグなら喜ぶのだから、客も変だ。

 高座はよかった。今は行っていないからわからない。今もきっと同じなのだろう。

 なにしろ客は、笑うために木戸銭を払っている。笑いたくて、笑いたくて……ってヤツが集まっているのだから、笑いは盛大だ。

 連れがいた方が笑いやすい。その連れも、盛大に笑ってくれる人がいい。

 私の家内は「笑い虫」だ。ちょっとしたことで盛大に笑う。
 それでいて、先ほどの、「 ここで笑わないと、笑うところがなくなりますよ」といったギャグには、反応しない。

 ちょっとした仕草で笑う。眼の動き一つで反応する。しかも大声なのだ。

 一緒に行った私も、ついついつられて笑ってしまう。
 笑いは伝搬するので、笑いの輪が広がったりする。

 演者にとっては、とっても好ましい客らしい。小さい席だと、落語家と家内の掛け合いになったりする。

「そこの奥さん、まだ笑う場合じゃないですよ!」と、高座から声がかかる。
「だってえ……」と、家内。
「だってもさってもないの!お陰で、私は話の筋がわかんなくなっちゃった」
 それを聞いた家内が、また大笑い。
「しょうがねえなあ、今夜は奥さんだけが相手だ。みなさん、ごめんなさいねっ。こんなに笑われちゃあ落語にならねえ」
 笑わせる落語家のとぼけた話術が、みんなの大笑いを誘う。

 笑い上戸の家内と行く高座は、時にはハプニングがあって楽しかった。

 しかしながら、このごろは出不精になってしまい、そんな楽しみもなくなっている。

 

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1 コメント

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お邪魔致します! (amym184)
2007-09-05 20:47:51
お邪魔致します!
あなたのブログへ来るまでは、ひよどりさんは
女性の方と芯から思っていました・・・・?

落語に疎い私も、興味を引かれました。早速お勧めの
志ん朝の「文七元結」を聞いてみます。

「漂流にストップ!」と銘打って、政治を切り世相を
切って下さい。ワクワクして訪問致します。
また参ります……!

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