新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

虚心であれ

2007年08月22日 07時00分00秒 | 身辺雑記

 18歳~20歳のころ、「長生きはできないかもなあ」と、考えたこともあった。
 
多感なころであり、母に似て胃弱で苦しんでもいたので、現実的ではない「死」というものに、若者らしい憬れの感情を持っていたのかもしれない。

 
 就職した次の年、母が胃ガンで死んだ。昭和33年の晩春だった。
 激痛に顔をゆがめている母を、父と二人で看取った。
 父は、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏………」と、幾度も繰り返して唱えながら、母の足をさすっていた。日頃は無宗教だった父の、母を送る姿だった。
 やがて安らかな表情となって、最後を迎えた。享年48歳の母であった。

  
 その夜の夕方まで、弟妹たち3人も病室にいた。
 母は私に、弟妹たち3人を家に帰すよう命じた。
「私は今夜死ぬかもしれない。そんな姿を見せたくないので、帰して頂戴」
 そんな言い方だった。

 しかしながら、そんな経緯はあったにしても、妹には納得できかねたらしく、ずっと後まで、事ある毎に私は非難された。今も納得はしていないはずだ。

 それからも、私は健康ではなかった。もともと、消化器が弱かった。ヘビースモーカーだったことも、原因の一つだったかもしれない。

 好きな女性ができて、28歳で結婚した。今の妻である。
 そうなれば、もはや「死」の影に怯えている場合ではなかった。

 にもかかわらず、結婚4ヶ月後、1ヶ月半の入院生活を送ることとなった。
 それ以来、私はなんやかやと病歴を重ね、数度の入退院を繰り返した。妻に頭が上がらない所以の一つ。

 
「長生きはできないかもなあ」
 絶えずそんな恐れを抱いていた。
 それでいて子供は2人。いい気なものだと言われそうだ。
 

 禁煙に成功したことが、「健康そうな自分」を見つけるキッカケとなったようだ。
 飲めなかった酒も、少しは飲めるようになった。
 大酒飲みと誤解されるまでに、酒量が増えた。

 それでもなお、
「60歳まで生きないと、責任は果たせないぞ」と、絶えず自分に言い聞かせていたほど、健康には自信がなかった。

 父も幾つかの大病をした。その度に生き返って、死んだのは享年72歳。

 私もいつの間にか72歳。父の年齢を越えた。
 こうなると欲が出てきた。「迷惑極小死」などと言い出している。いい傾向ではないぞ。
 もっともっと虚心でなければならない。
 自分の「死」に、条件をつけるなんて以ての外。

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