飽きもせずに、今日もまたマンサクを載せた。平成14年1月27日に撮影。
マンサク(1)は枯葉がからまっていて、マンサク(2)は枯葉が散っていた。
同一の木なのだが、陽当たりの違いによるものなのだろうか。
作家の五木寛之氏はある著書の中で、「今は心の戦争時代だ」ということを書いていた。
自殺者が急増してきたことを捉えての言い方だった。
そんな感じがしないでもない。
平成9年の自殺者数は、2万4000人台だったのが、次の年の平成10年では、3万2000人台へと急増したという。
その後も3万人台を下回ることなく推移している。
その内訳的な特徴としては、高齢者の自殺が圧倒的に多いのだそうだ。
原因は様々なのだろうが、識者の話によれば、「心の病」に起因する自殺が多いとのこと。
近頃は、親の子殺しや、子や孫の祖父母殺し、親殺しも目立つニュースだ。
この問題も、心の荒廃を物語っているように思える。
先の戦争(太平洋戦争)が敗戦という形で終わった年、私は国民学校(今の小学校)5年生であった。
8月15日の正午、天皇陛下(昭和天皇)の玉音放送で終戦(実は敗戦)を知ったのだが、大人たちの泣き叫びを見ながら、私も涙が出て仕方がなかった。
なぜ泣いたのか、あまり記憶にはない。
なにしろその日まで、子供ながらも、特攻隊に志願するつもりになっていた時代だったのだ。
あの日から親たちは、食べるために、なりふりを顧みず、必死の形相で働いた。
引き続いて私たちの年代も、「所得倍増論」などに煽られながら、家庭を顧みずに働いた。
東京オリンピックから高度成長時代を経過して、日本は世界有数の経済力を持つ國となっていった。
日本民族の優秀性が証明されたようなものだ。
そのころ、総中流化と言われ、それなりに納得出来そうな時代が現出し始めた。
一方では学歴偏重の傾向が進み、子供たちは友達遊びより塾通いに追い立てられていった。
政治経済のグローバル化の進展もめざましく、否も応もなく国際競争時代に突入していった。
隣り近所を尊重する農耕民族の風潮は否定され、狩猟民族的な市場競争化が進展し、利益至上主義が跋扈した。
やがてバブル経済時代を作り、無理がたたってバブルが弾け、日本経済は大きな傷手を受けることとなった。
あらゆる価値の上に「利益」が置かれ、働く職場にも能率主義が導入された。
時と場合によっては、人間関係にもヒビが入りかねない。
総中流家庭と言われていた日本社会は、いつの間にか格差社会と言われ始めている。
どこから踏み間違えたのか知らないが、「心の戦争時代」とか「心の砂漠」と言われる世相が現れ、目を覆うばかりではないか。
痛ましい殺人等が増加する一方、3万人以上の自殺者は減少しない。
なぜこのような時代となってしまったのか。
どうすればいいのだろうか。
答えは出されていない。
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識字率が高く、生産性も高かった日本は、一人当たりGNPは世界18位です。
かつてトップだったことが嘘のよう。
高校生の勉強レベルも落ちてきてしまいました。
しかも心まで荒んだのでは、何のための「ゆとり教育」だったのかと、教育行政のいい加減さを嘆きます。
国の教育方針のいい加減さにはただあきれました。
その時の方針で卒業してきたレベルの違いにびっくりしますよ。
物を考えさせる教育をそして少々遅くても子供の芽を摘まないように教育を受けさせたい。
国任せだけでは小さな所までは届かず
だからといって 何からやっていけばいいのでしょう?
考えていくととても不安になったり・・
何とかなるさ と持ち前の気持ちがあったり・・
考えていくとつらくなります
考える力、学力の低下、モラルの低下(TV、携帯電話
パソコン、等...)情報の発達による、読書力の低下、
考える力は、昔に比し低下、社会は、ゆとりが無くなり、利益追求主義走り、ストレスの増加に比例して心の病の増加。経済大国日本から今や借金大国日本になり
将来の見えない国に...政治家の皆さん真剣に政治に取り組んで、夢ある日本にして欲しい物だ。
ビジネス戦線は超競争時代をくぐり抜けてきました。
心も荒廃し、そんな親を見れば、子供社会も荒れるかも知れません。
私たちの来し方が原因の一つでしょうが、治す処方箋が見つかりません。
無責任ですね。
國のレベルで考えることと、私たちが個人レベルで考えることがあるのでしょう。
しかし一人一人では動きがとれず、方向も分からず、何も出来ません。
60年かかって崩れたのは、100年かかって直すしかないのかも知れませんね。
おっしゃる通りですね。
図書館へ行って調べる風習はなくなりました。
インターネットで検索すればすみます。
みんなパソコンがやってくれる。
思考能力も体力も伸びません。
伸びるのは頭でっかちで邪な欲望だけ。
軌道修正が必要ですね。
評論家的には色々言えても、確固たる信念で動くにはもう時間がありません。
せめて自分の廻りだけでも、と思うのみです。
時間がかかる話です。