寒い冬のさなか、葉のない枝に臘梅は花を咲かせる。
江戸時代に中国から渡来してきた花で、名前の由来には諸説がある。
臘細工を思わせる人工的な透明感から、臘梅という名前がつけられたという説が、説得力がありそうだ。
また、中国から渡来してきた来歴から、別名として「唐梅」とも言われている。
俳句では冬の季語。
この黄色い花は、何の変哲もない花だ。花を見ただけでは、きっと一顧だにされないに違いない。
しかしその花が放つ艶やかな香りは、人を立ち止まらせずには置かない。
臘梅のいのちは、類いまれなその香りにある。
花言葉も色々あるのだろうが、私の調べたところでは、「慈愛」となっていた。
あの艶やかな香りからは、とても「慈愛」を思い浮かべることはできないのだが……。
もっともあの香りについて、「清らかな香り」と受け止めるか、私のように「艶やかな香り」と受け止めるか、これも問題の一つ。
「艶やかな香り」と受け止めてしまえば、「慈愛」とはならない。
と言って、「妖艶な香り」でもない。
もっとも、私の嗅覚は鈍い。
趣味、嗜好も偏っている。「艶やか」願望もありそうなので、臘梅の香りを正当に受け止めているという自信はない。
諸兄姉は臘梅の香りを、どのように感じられておられますか。
1月12日のこのブログに、次のような俳句を載せた。
臘梅や去りにし人を思ひたる 鵯 一平
臘梅の香りから、過ぎ去った昔を思い起こした句であった。
二番煎じ的だが、あの強烈な香りから、次の句が浮かんだ。
臘梅や香(か)のうしろより人のくる 鵯 一平
艶やかな香りに誘われてそちらを向いたら、楚々としながらも艶やかに微笑む女がやって来たという句。
やはり通俗的で恐縮。
写真は、平成17年1月13日撮影。
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写真は自分の感情を視点を表現するのがなかなか難しいものです
その基本は被写体そのものを良く知ることですよね
またちがった「蝋梅」が撮れそうな気がします
おっしゃるように、写真はメカニカルに動くので、こちらの感情を表現し難いですね。
私は思い入れが激しいので、好きでない花には目が行かないし、その花に撮影時間をかけなくなってしまいます。
だから、うまく撮れません。
ロウバイは花の形が苦手です。
つまり、きっと花の形が好きになれないのかも知れません。
これからはもう少し、ロウバイの花の形に馴染もうと思います。
私も「ろうばいファン」です
花言葉つながりで関心あります
手元の本にこう書いてある
<慈愛・ゆかしさ: 花言葉どおり奥ゆかしい花で、花のない冬期にそっと控え目に咲く姿は、日本人好みといってよいでしょう 茶花としてもよく用いられます>
ひよどりさん 好みの
楚々とした和服姿がお似合いの女性を感じますね フフ
ロウバイの花言葉は、慈愛だけでなく、「ゆかしさ」もあったのですね。
「ゆかしさ」はいい言葉ですねえ。
ロウバイを見直します。
「楚々とした和服」が好みが、バレバレですね。
つまり、年甲斐もなく、「ないものネダリ」で、「高望み」という鼻持ちならない趣味です。
私も初めてのときは蝋のようで好きになれず、
ただ匂いには負けましたね~
ロウバイの思い出は夫が実家のロウバイをみな切って花を咲かせなくしたので、義父の困った顔を見た時から思いはつよくなりましたね。村のロウバイを見て歩きましたよ。
花の形状には、やはり硬質的なものが感じられて、写真には撮りにくいように思っていました。
花が咲かなくなるまで伐ってしまったとは、ご主人は豪胆な人のようですね。
ブログで色々な人のロウバイ観が聞けたので、来年は思いを変えて、しつこく写真で迫ろうと思います。
春一番に咲く花と聞いていましたが、季語は冬なのですか。そう言えば、一番の寒い1月中旬ですものねぇ。
ロウバイが冬でマンサクが春です。
立春(2月4日ころ)から春なので、微妙ですね。
その微妙さをじんわりと身体で感じられればいいのでしょうが、写真を撮る身ですと、ロウバイもマンサクも同じ日に撮っています。
だから、理屈が入ってきます。
たそがれさんのコメントからヒントを得たりして、書きました。ありがとうございました。
12月を臘月という説もあるようですが、なかなかうなずけないところもありますね。