あの「もみじマーク」が見直される。
当初は貼付を義務づけし、罰則規定もあった。
不評だったので、その後、罰則については凍結されていた。
あの「もみじマーク」は、公募したものだったらしい。
不評だった理由は、「枯葉みたい」や「涙のしずくを連想させる」だったとのこと。
これは少し勘違いもありそうだ。
高齢者が付けたがらない理由の大きな一つに、「高齢者と認識されると、運転の上で不愉快になる」がある。
今の社会は、高齢者にとりわけ優しいとは思わない。労りの気持ちは希薄だ。
むしろ、イジメの対象としたり、詐欺のカモにされたりしている。「振り込め詐欺」がいい例ではないか。
だから、「高齢者の看板」たる「もみじマーク」は、付けたくないのだ。
どこかのテレビで報じられていた話。
「もみじマーク」を付けた車が、尾行されていた。 信号でストップしたとき、うしろの車から男が降りてきて、保険の勧誘を始めたという。信号が青になっても離れず、やむを得ず、その男を乗せて走ったとのこと。
もう一つの例。
「もみじマーク」車を、うしろを走っている車が煽り行為をして、恐ろしい感じを抱いた。
つまり言いたいことは、今や高齢者はイジメの対象であり、カモなのだ。
どんなにスマートなマークにしても、私は貼付して走りたくない。
こんど公募する際の選定方針は、「高齢者が誇りをもって付ける気持ちになる」とか、「親しみやすい」ということらしい。
どんな方針で選定しても、私は付ける気持ちにはなれない。
そんなマークを付けたら、危険にさらされそうだ。
高齢者に対する社会の認識が変わらない限り、とてもその気にはなれない。
もちろん、高齢者自身も、信頼される人生経験者にならなければならない。
別館として、写真俳句ブログ「いのちの囁き」を、開いております。
ご覧いただけると嬉しいです。
→ こちら
留守中、コメントありがとうございました!
来週からちょつと子守りを仰せつかったので、
旅の様子をアップするのは先延ばしですが。
暇があれば、ドドッと載せるつもりです。
いい報告になるよう、こころがけます。
ひよどりさんのブログは、楽しみに拝見していますから~
むしろ、励行することで、周辺の車が気遣ってくれてる様に思えております。
然し、世間の見る目は、この記事の通りかも知れませんね。
すると、小生は錯覚してるのかも…、気をつけねばならぬ。
線引きは難しいものですね
何かいい方法があるのでしょうか?
後は自己責任といいたいのですが
そうはいえない世の中で・・・
公助・自助・福祉が円満に行く
シビアに・自助・公助・福祉に近づくよう
政治家プラス国民が考える時かも知れません
と酔っ払って帰りました
ごめんなさい
お帰りなさい。
如何な旅でしたでしょうか。
素晴らしい走りをしてのお帰りと存じます。
再始動はゆっくりとなさって下さい。
私の方がひねくれ者なのかも知れません。
しかし、老人に対する白い目は、いつも気になっております。
今の日本人に、特に都会人に、敬老の心は薄いです。
弱い者に対する心遣いも少ないです。
電車の中で、赤ちゃんを抱いている若いお母さんに対し、席を譲るのは年寄りの方が多いですよ。
車椅子に対しても、若い世代はあまり気を使いません。
優先席へ座って、携帯電話を取り出して操作をするのも若者です。
そんな若者を育てた責任は私たちにあります。
「高齢者マーク」がどのようなデザインになろうとも、高齢者は弱者であり、若者にとっては「尊敬」の対象より、「邪魔者」か「苛めの対象ブツ」程度にしか思われないと思います。
私は僻んでいるのかもしれません。
福岡県でも、大きな災害になってしまいましたね。
分かっていたのか分かっていなかったのか、同じような災害が起きてしまいました。
何処までが自己責任かが、とても難しい。
お互いにオーバーラップすればいいのでしょうね。
走りではなく、あくまでも歩きでのトレッキングでした。
走るなんて無理無理!
仲間が二人ジョギングが日課なのです。
失礼致しましたm(_ _)m
どんなマークでも付ける以上、付けたが故のメリットがなければいけません。
しかし、デメリットばかりですね。 これでは付けたがる人はいません。
お上の言うことはなんでも言う通りにする気の弱い人だけが付けることに
なるのではないかと心配です。
いじめやすい人と思われていじめられるかもしれません。
ご免なさい、私の表現違いです。
つまり、そそっかしい結果です。
トレッキングだと言われておりましたし、私もそのように承知しておりました。
悪い風潮が蔓延しています。
みんなイライラしているので、苛めやすい対象がいると、苛めます。
つまり、国家も品格がありませんが、個人も品格が地におちているのです。
思いやりを残したいですね。