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農を語る

自然にやさしい不耕起栽培

多古染井での冬期堪水田15年目の今

2024-03-04 10:06:57 | 日本不耕起栽培普及会
休耕田を開田して15年目、私が最初かかわって5代目の大塚君がやっと5年目になる。最初は3セの小さな3枚の柳やくずの小灌木が生え耕すとミミズがザクザク,水没させてかわいそうだった。2014年さらに3枚が増えて堪水田が広がると2月コウノトリが飛来した。地域の話題となった。でも餌となるドジョウが少なかったのか3泊4日であった。4セの1枚は畑で麦と大豆を栽培した。そこでも農薬を使わなかったのでかやネズミが麦畑で巣を作ったり、畑シジミがとれたり、野生のウサギが運動会するのを観察でき楽しい時間をすごした。現在の大塚家族にバトンタッチしてすでに5年になる。不耕起栽培普及会の理論に近い形で堪水で続けている。機械を使わず手作業で家族で取り組まれてきた。助っ人まんもようやく増えて昨年からホタルの飛来なども出てきたりで大塚君の技術から学ぼうと賛同者が現れ近くの休耕田を5セ2枚を増やしたり畑だった土地を水田に戻したりして1枚が増えた。都会からやってくる若者に半Xの農業を体験してもらう場所として今後の発展をきたいしている。
イチョウウキゴケやサヤミドロがある、昨年はイセヒカリで20,30本の大きな株にそだった。
12,3名の若者が協力して休耕田に厚い波板をとりつか堪水をはじめた。

能登半島地震続報、二つの地震が連動してエネルギーが倍に

2024-02-12 10:35:32 | 日本不耕起栽培普及会
奇跡と考えるような地震すら日本列島では発生することを予想しておかなければならない。私は82歳だが戦後100年、関東大震災から振り返って120年であるがその間に巨大地震が3回、4回ということであるがその中で能登半島地震は原発の災害を肌で感じ薄氷を踏む思いで、原発の災害を予想しなければならない。現在の政権の甘い考え方では日常の生活が不安である。阪神淡路の地震の時にボランテアで出かけたが、強固であるはずのコンクリートビルが外見は丈夫そうに見えても配管部分の露出部分が地震の揺れで破壊されていた。原発が40年、60年現政権は安全だと言っているが老朽化した配管の耐用年数には限りがある。一刻も早く日本列島から原発を停止すべきである。福島の原発の廃炉にしても現政権は更地に戻したい考えだろうが12年たっても全く展望はない。ロシアの原発と同じに廃炉のままにすべきであった。とにかく国の存亡にかかわることであるから甘い補助金程度で口車に乗ってはいけない。今日の東京新聞の1面記事であるがありがとう。京大解析ありがとう。

地震国日本での原発は要らない証明は能登地震にある

2024-02-04 09:27:25 | 日本不耕起栽培普及会
珠洲原発は幻の原発で1989年当時塚本真如、円龍寺住職が命を懸けて阻止した。それに対して志賀原発は現在稼働はしていないが休止していた。同じ狭い能登半島の中で薄氷を踏む形で原発の存在を日本人として考えるべきである。とにかく単純に土地が隆起して道路が陥没し寸断された。移動手段が飛行機や車など全くストップであった。志賀町の町長は前年12月就任したばかりで原発再稼働をすぐにでも開始したいと就任の挨拶をしていたという。しかし地震後一転、慎重な姿勢に態度を変えた。今回の地震では、壊れた変圧器から2万リットル以上の油が漏れ、想定された周辺の避難経路が寸断された。
いずれにしても原発の立地が海に近い位置に建設され便利な都市からは離れたところに建設されている。単純に活断層の存在程度が問題視され移動手段は深く考えていなかった。人口過疎地帯の所に多額の金をつぎ込んで甘いニンジンで釣る。経済成長のシステムは過疎地だけでなく逆に都会でも乱開発がすすんでいる。所さんの目がとんでいるの里山再生を日本中で考えて進めて欲しい。

伊豆の武重さんの多年草化に面白い事例

2024-01-13 10:26:51 | 日本不耕起栽培普及会
不耕起栽培普及会の相模原の小川誠さんは稲の多年草化に研究をシフトさせている。そんな時伊豆の武重さんが面白い事例を紹介している。1昨年前見学させていただいたが、1例は脱粒性の朝日という品種で前年に刈り取った後にまさにこぼれた種が翌年発芽する事例で前年の脇の畝に守備よく発芽することで適度に雑草を刈り取れば新たに田植えしないでも済むというまさに多年草化と同じ原理である。彼はそれを2年体験している。
もう1つの事例は小川誠さんの湛水はしないが、品種は亀の尾というコシヒカリの親で伊豆の武重さんの水田は棚田で冬の時期は水がなく、暖かなせいか水がなくても枯れないで株が残り、株元から翌年芽が出て改めて田植えしなくても稲がそだつ。いずれにしても慣行栽培で農薬、化学肥料、除草剤で当たり前の農家でなく自給的な形で参加できるコメ作りが今後目指すのには愉快な事例ではないだろうか。