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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 大森学園創立70周年 徒弟学校から戦後焼跡工場仮校舎の歴史を追う(第2回その1)

2009年11月20日 | 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
kan-haru blog 2009 

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大森学園の創立
大森学園創立の1939年(昭和14年)の時代背景は、第1回その2で記述した様に満州事変(1931年)が勃発し、1937年の盧溝橋事件で日中が交戦して日中戦争に突入し、1941年には真珠湾を攻撃して大東亜戦争が勃発し戦争が拡大しました。1945年8月8日にソ連が参戦し、同15日に日本はポツダム宣言を受諾して降伏文書に調印しました。
今から70年前の大森の機械工場産業では、政府が日中戦争の拡大に伴って重工業化を進めるとともに徴兵の強化とあいまって、政府の指示により大企業が熟練工の確保に努めることになり、国営化の職業紹介所を通さないで大量の労働者を募集することができなくなりました。
これにより大森町の中小工場群では、国策により生産力拡充の要請のため工場の新設拡張が相次いだため、少年工の需要が数倍に膨れましたが、職業紹介所では官営工場、大規模軍需工場の大量募集に忙殺され、大森町の中小規模工場の要求を充たすことができず、さらに大規模工場では好条件な募集条件での雇用により、中小商工業者は大変不利な状況となり大きな打撃を受けました。

 「米沢勇作理事長随想集」と「山崎正男先生の追憶」転記

徒弟学校の誕生
こうしたなか、1926年頃より大森駅から蒲田駅を走る省線(現JR京浜東北線)と学校裏駅(現平和島駅)から京浜蒲田駅(現京急蒲田駅)を走る京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)間の大森町の海岸寄りの細長い地域内に、次第に中小の機械工場が多く集まるようになりました。こうした工場群が相寄って組織をしたのが、大森機械工業同志会があり、1938年末の調査では約150の工場が集中し、大半の工場が大工場の下請け加工をしており、従業員総数が約3,000人で1工場あたりの従業員の平均が20人の規模でした。
折からの生産力拡充政策で労働力の払底を招き、工作機械が工場で遊んでいる状況となり、新規採用の募集や熟練工への育成をどうするかを同志会で検討して、大森機械工業徒弟委員会を創立し大森機械工業徒弟学校の誕生へと進むのです。

 「大森機械工業徒弟学校の誕生と終焉」と「大森機械工業徒弟委員会とその事業」資料

大森学園創立70周年の誕生となった徒弟学校の発足から戦後の焼け跡仮校舎までの歴史を、大森学園理事長 米沢正倫氏よりご提供を受けた諸資料の「戦時下、技術員・技能工養成の緒局面(Ⅰ)―大森機械工業徒弟学校の誕生と終焉― 原正敏 千葉大学教育学部研究紀要 第36巻第2部別刷 昭和63年2月発行」 1)、「大森機械工業徒弟委員会とその事業 大内経雄 財団法人協調会 社会政策時報第230号別刷 昭和14年11月」 2)、「米沢勇作随想集 学校法人大森学園 大森工業高等学校 平成5年9月10日発行」 3)、「現職員回想 追憶 山崎正男 三十周年記念誌から転写」 4)および、「70年の軌跡~創立70周年記念~ 大森学園高等学校DVD ギャラリー」 5)から見て記していきます。

・大森機械工業徒弟委員会の成立
労働力払底により工場の工作機械が休転している状況から、その対策に中小機械業者は悩み腐心していました。こうした差し迫った問題に同志会業者は寄ると触ると、目前の労力不足の補充だけでなく、毎年恒常的に新規採用する少年工の募集と職業訓練をどうするのかを話し合っていました。
これに対して、かってから徒弟養成問題を研究していた、財団法人協調会と日本技術教育協会が同志会に問題解決の具体案を示して実行の考慮を求めました。

 徒弟学校誕生まで(70年の軌跡DVDから)

その解決案には、同志会を母体とした徒弟委員会を設け、業者が協同して徒弟の募集をし、保護教育を行うというもので、条件は賃金、労働時間、積立金、徒弟終了後の待遇は一定にするというものでした。この案に対して同志会では賛意を示し、その実現に移り7社が発起人となり徒弟委員会の設立に向けて奔走しました。

 徒弟委員会発起人メンバー(70年の軌跡DVDから)

徒弟委員会設立の趣旨を見て、大森町近隣の工場主は賛同して62工場の参加加盟を得て、1938年(昭和13年)12月15日に大森機械工業徒弟委員会の創立を見ることになりました。

 徒弟学校委員会加盟工場(70年の軌跡DVDから)

これにより大森機械工業徒弟委員会がスタートして、大森学園母体創立の大森機械工業徒弟学校の設立に進みますが、発起人の1人で富士見製作所経営者の米沢勇作氏は、初代の徒弟学校校長を務め、1941年(昭和16年)に大森工業学校が設立されてから初代理事長に就任し、戦後の混乱、困窮期を乗り越えて現在の大森学園を築かれました。現大森学園理知長の米沢正倫氏は初代理事長のお子さんで、後を継がれ70周年の創立を迎えたのです。創立70周年を記念して、70年の軌跡に書かれているDVDの徒弟学校についての感慨を抜粋してみましたので参照してください。

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