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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 大森学園創立70周年 徒弟学校から戦後焼跡工場仮校舎の歴史を追う(第1回その1)

2009年11月07日 | 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
kan-haru blog 2009 

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創立70周年記念行事
わが学びやの大森学園高等学校(大田区大森西3-2-12)では今年創立70周年を迎えて、数々の記念の行事が行われました。
5月23日にはグランドプリンスホテル新高輪「飛天の間」で、約500名を招待して行われた大森学園創立70周年祝賀会に、参加させて頂きました。

 大森学園創立70周年祝賀会(写真拡大)

6月27日に大田区産業プラザ(PIO)で開催した創立70周年記念総会・祝賀会は、約250名が参加して午前の記念総会には写真家・須山貴史(昭和56年電気科卒)さんの講演「海からの贈り物」がありました。

 海の祝祭日(須山貴史著)

午後からの祝賀会では恩師の須田恵吉先生の乾杯の音頭で祝杯が始まり、大森はやし会の祝舞やブラスバンド演奏などで盛会に執り行われました。

 創立70周年記念総会・祝賀会(左上:須山貴史氏の講演、中上:鏡開き、右上:須田恵吉先生の乾杯の音頭、左下:昭和27年卒業生、中下:祝舞、右下:ブラスバンド演奏)

創立70周年の出来事
大森学園では地元に密着した行事に参加したりして地域との共生活動を行っており、これは他校では見られない実践行事です。
9月27日には、恒例の学園祭が開催され地域の人も見学に訪れていました。会場には、長期間ボランティア活動を続けている「おもちゃの病院」とタイなどに送る車いすの点検整備活動を見せていました。10月31日には車いす修理会が行われ、OBなど110名が参加して23台の車いすを送りました。

 大森学園祭(:おもちゃの病院、:車いす修理)

これに関連して、今年創立70周年を迎えた大森学園に相応しく、長期のボランティア教育活動が認められて、「第58回読売教育賞」最優秀賞を受賞して、7月17日に表彰状と記念盾が授与されました。

 第58回読売教育賞受賞(地域社会教育活動最優秀賞 ヨミウリ・オンライン)

11月1日には、大森学園ふちの内川の対岸にあるこらぼ大森グラウンドで地域イベント恒例の「ポレポレECOまつり」に模型部・将棋部メンバーや生徒会から参加して、まつり後の片付けなどの様々なボランティア活動に地域住民が感謝しています。

 ポレポレECOまつり(写真拡大)

大森学園70年の歴史
今年は大森学園70周年の節目を迎えましたが、現在は立派な新校舎が完成して活動期を謳歌していますが、70年前に現大森学園理事長米沢正倫氏のお父さんの米沢勇作氏が、大森地区の中小機械工場の協力による大森機械工業徒弟学校創立の生みの苦しみと共に、その後の1941年(昭和16年)の世界大戦により終戦の年の1945年(昭和20年)の大森大空襲の戦災で校舎が全焼し、森が崎の工場焼け跡での仮校舎時代の苦難の時代を経て今日があるのです。

・戦前時代
私が大森町に住み始めたのは、1948年(昭和13年)に父の転勤により勤務事務所の2階に転居して以来、途中の2年間程戦局の悪化により学童疎開で茨城と栃木で過ごした以外は大森の住民として過ごしました。
大森町に移り住んで翌年の1949年(昭和14年)4月に、当時は諏訪神社の横にあった日新幼稚園に通園することになり、住宅のあった当時大森区役所前の産業通りから、内川橋を渡って北岸を京浜急行線の踏切を越えて見た内川の不自然な人工的な直線の印象は今でも鮮明に残っています。
奇しくも幼稚園に入園の年が、対岸の内川南岸で大森機械工業徒弟学校の創立を迎えた時ですが、その折には年令的にまだ大森学園とは関係がありませんでした。

 大森工業学校校舎(大森学園70年の軌跡DVDから)

・戦後時代
大森学園との縁は、終戦の翌年(昭和21年)の国民学校(小学校)卒業による進学によるもので、敗戦の日本は物資・食糧の何もかもが欠乏しており、電車通学は困難であるため、戦後住まいの大森ガス会社横の仮住居から程近い森が崎仮校舎で授業を行っていた、旧制大森工業学校に入学しました。
翌1947年(昭和22年)の学生改革により、小中高教育は6・3・3制の制度となり、2学年目から大森学園中学校の私立新制中学生に編入されました。新制高校は、大森工業高等学校の校名となりました。
1949年(昭和24年)に大森工業高等学校の電気通信科に入学し、1952年(昭和27年)3月に卒業しました。この間の中学、高校時代の記録は当ブログ記事に詳しく記載してあります。(「大森町学びや もりこう会の集い(その1~4)」参照)
また、大森町の4月15日の大空襲の状況は、当ブログの若山武義氏の手記に詳しく記載(「大森町界隈あれこれ(12) 鎮魂!大森町大空襲(第6~9回)」参照)してあります。

 森が崎仮校舎(大森学園70年の軌跡DVDから)

・大森学園生い立ちの記録
大森町の中心を東西に流れる内川沿いにある、いまの大森学園の生い立ちとなる大森機械工業徒弟学校創立に係わる資料を、理事長の米沢正倫氏からお借りすることが出来ましたので70周年を期に、大森学園創設から徒弟学校の終焉までの歴史を次回から紐解いてみたいと思いますので応援願います。

 大森機械徒弟学校資料

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