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日大学長の記者会見。僭越ながら言わせてもらうと…

2018-05-25 21:16:15 | チラシの裏
  連日日大が世間を騒がせているが、今日は学長が記者会見を行った。ちなみに僕は初めてその姿を見る。今日の司会はとても低姿勢で、冒頭の闖入者を除けば無難な進行だったのではないだろうか。会見は、各学部や系列校の父母らや学生がざわざわしはじめたので、マスメディアを通じて釈明するという意図で行われた──全学部全高校を回ってられないから──とのことである。記者会見をそういう風に使っていいのだろうか、という疑問は残るのだが、とりあえず中身を聞いてみる。

  まず大学としての、被害者、関学、アメフト関係者、日大の学生やその父兄に対して謝罪があった。件の事実関係についてはわからない、コメントしないとのこと。ただし学長は、指導者と学生とのコミュニケーションに齟齬があったと理解しているようだ。「最近の学生は~」という感じで、一般論を語りつつも、例の学生の「精神の弱さ」をほのめかしていた。大学としては、これから学生にフェアプレー精神を教え、彼らのメンタルをケアしてゆくという。第三者委員会はまだ結成途中とのことである。

  大学としてやっと対応を考え始めたことについては評価したい。ただし、どうにも論点がずれている気がしてならなかった。そのため、日大学部および系列校の学生生徒およびその父兄が持っている懸念、これを払拭するような解決策を提供できていなかったように思う。つまり、診断が誤っているために処方が適切でない、という状態なのだ。フィールドで起こったことの真偽は、学長のいうように確かに当事者の問題である。コメントしないというのはありだろう。しかし、大学としての問題があって、会見ではそれを語るべきだった。その問題とは、この会見で示されたような「学生が、教員やクラブの指導者とうまくコミュニケーションがとれないこと」ではない。アメフト部の問題が大学全体を揺るがす問題になってしまったのは、大学の教職員と学生が対立することになったとき、大学が中立的な立場を維持できなかったこと、これにある。

  今回、学生と前監督の言い分が対立したのだが、大学は形だけでもいいから中立的な立場を堅持して対処するべきだった。しかし、大学広報は前監督側の言い分だけを公式見解としてアナウンスしてしまう。せめて両者の言い分を同時に示すか、調査中とでもすべきだった。大学側のこの立ち位置が、大学に頼れなくなってしまった当該学生を、捨て身の記者会見に挑ませる方向に追い込むことになったのだ。これで、世間を巻き込まずに学内で解決するという方向が閉ざされてしまった。当事者ではない学長が姿を見せた今回の記者会見は、大学が一旦立場を巻き戻して学生と前監督の言い分に中立的な態度を採るチャンスだった。第三者委員会に言及するならば、信頼回復のためにそうすべきだっただろう。現段階でさえ「当該学生は前監督の指示に正しく従った」という可能性が否定されていないのだから、学長は「両者のコミュニケーションに齟齬があった」というような一方の立場の肩を持つ発言は慎むべきだったと思う。

  すなわち、受験生や父母らが日大に対して持っている恐れは、「日大は学生よりも教職員に味方する。トラブルが起こっても大学は学生を放置し、最悪の場合自分または子どもが刑法犯にされてしまうかもしれない」ということである。この会見で学長が彼らに提案すべきだったことは、この恐れに対処する仕組みなりなんなりである。前監督が常務理事だったから大学が機能しなかった、というのなら、なおさら大学は当事者間で中立を保てるようなあり方を模索する必要がある。学内のトラブルにおいて、大学が公平な裁定者として振る舞うことのできる仕組みや方法を考えること、これこそが今回の問題のみそぎとなる処方箋であろう。今からでも遅くはないので、日大の上層部の方々は考え始めてほしい。
コメント
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