波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

昭和の小堀遠州・中根金作氏

2021-07-10 02:23:07 | 人物伝

こんばんは、白黒茶々です。

皆さまは中根金作氏という人物のことはご存知でしょうか? 彼は昭和中期から平成初期にかけて活躍した、静岡県磐田市出身の造園家・作庭家で………

鹿苑寺(金閣寺)慈照寺(銀閣寺)天龍寺栗林公園などの庭園を保存修理し、さらに城南宮楽水苑ボストン美術館天心園足立美術館庭園などを作庭しました。 その中でも足立美術館の庭園は今年の1月に、18年連続で庭園日本一にランキングされたと発表されました。 彼は私のいる湖西市とも縁があって、同市内にいくつかの作品を残しているので、今回はを伴い、それらの場所やゆかりの地を訪ねながら、彼の軌跡をたどっていきます。

………ということで、私たちは磐田市の市街地を南西方面に外れた、下岡田地区に来ています。 田園風景が広がるその一角には………

金作氏の没後20年となる平成27年(2015年)3月に、地元の有志たちの手によって彼の生家跡の近くに生誕地を記す石碑が建てられました。

中根金作氏は大正6年(1917年)8月28日に、この地で生まれました。 浜松工業学校(今の浜松工業高校)の図案科を卒業後、一時染色図案の仕事に就いたのですけど、造園家を志して旧制東京高等造園学校(現在の東京農業大学)造園学科に入学しました。

ところが、在学中の昭和18年(1943年)に軍隊に召集され、豊橋歩兵第18聯隊に入隊。 現在、豊橋公園となっているところなのですけど、金作氏は2年ほどその地で軍隊生活を送っていたのですね。 軍役を解除された後に復学し、修学旅行で訪れた京都の名園や文化財を目のあたりにして、現場で学ぶことの大切さを痛感しました。
戦時特令によって造園学校を繰り上げ卒業し、学校長の計らいによって京都の植木職に就き、その現場から修業を始めました。 さらに、京都大学農学部造園学教室の無給副手にもなり、二足のわらじの忙しくも充実した日々を送っていました。

しかし戦局が悪化して、功さんとの結婚からわずか3ヵ月後に、今度は静岡第34聯隊に召集 ちなみにこちらは、現在の駿府城公園となっているところです。 すぐに中国戦線に駆り出されるも、程なく終戦。その翌年に帰国しました。

戦後は、社会教育課を経て文化財保護課の京都府技師記念物係長となり、史跡・名勝・天然記念物と美術工芸品を統括する行政事務責任者となりました。 さらに彼が申請していた国庫補助金の交付を受けて、戦前戦後に荒廃した古庭園の保存修理を実施。天龍寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、西芳寺高台寺清水成就院、………など、日本を代表する多くの名園の文化財保護事業に携わってきました。
京都府を退官した後は、昭和41年(1966年)の49歳のときに中根庭園研究所を設立。 大阪芸術大学長なども歴任し、生涯にわたって国内だけではなく、世界に300庭以上もの作品を残し、「昭和の小堀遠州」とも呼ばれるようになりました。 ちなみに、小堀遠州(政一)は江戸時代初期に徳川家康に仕えた大名兼芸術家兼建築家兼作庭家で、二条城の二の丸庭園など、現在国の名勝に指定されているものも含め、数多くの庭を造った人物であります。

金作氏の生誕地から近いといえなくもない宝珠寺には、彼が造った庭園があるというので、寄っていくことにしました。 「無料で見学できるが、事前に連絡が要る」ようなこともいわれていたので、私は念のためにお寺に電話してみました。 そうしたら、快く受け入れてくれたのですけど、なんかわざわざ事前に予約しなくてもよかったようなニュアンスでした。 それはさておき、いよいよ中根庭園に迫らせていただきます

宝珠寺は観応元年(1350年)に創立した、臨済宗の寺院です。 その本堂の向かいには………

「涅槃の庭」と呼ばれる庭園が広がっています。

手入れがしっかりとされていて、ずっと見ていたくなります。 そうしたら、今度は場所を湖西市の旧新居町に移します。 「ガヴリール ドロップアウト」でいうところの「あららまち駅」こと、新居町駅から南に8分ほど歩いていくと………

新居文化公園に行き着きます。 こちらも金作氏が手掛けたところで、花壇や芝生広場、遊具などがあって地域の人々の憩いの場となっています。

ただし、ワンコを連れて入ることはできないのですよ。 いい公園なのですけどね。

その一角には新居図書館があって、日本庭園も整えられています。 こちらでも、金作氏は腕を発揮していますね。

私は、新居図書館のほうは以前から利用していたのですけど、中根庭園はスルーしてしまっていて、申し訳ございませんでした。 改めて見てみると、いい眺めでありがたみを感じます。 せっかくなので………

その図書館で「造園家中根金作の軌跡」なる関連本を借りてきました 一緒に手にした狛犬のヤツも、けっこう面白いですよ。
文化公園や図書館での用事を済ませた私は、再び波&狛とともに………

今度は湖西市老人福祉センターにやって来ました こちらにも、金作氏が造った庭があるのですけど………

私たちが行った日曜日は休館で、さらに目当てのものは四方を建物に囲まれている中庭なので、ガラス越しに見るしかありませんでした。 それだけではナンなので………

いい角度から撮ったものを載せておきます。 こちらの枯山水の庭園は、地元のボランティアが手入れしているそうです。 さらにその施設の近くには………

浜名川親水公園があります。 こちらも、金作氏が手掛けたところなのですよ

こちらはワンコに対しての規制はないので、波と狛を被写体に入れてみました。

それから公園内のモニュメントには、夏至と冬至になると見ることができる仕掛けがあるそうです。
中根金作氏は平成7年(1995年)3月1日に、77歳で亡くなりました。 それでも、彼は国内外に多くの公園や庭園を遺しました。著書の中で「作庭とは、空間に石や樹木という素材を使って、立体的に絵画を描くことである」と述べています。金作氏が手掛けた作品は芸術的で、その所々に彼の個性が表れているので、説明をしなくても伝わってくると思います。 また、庭は一度造ったら残るものではない生き物でもあるので、維持管理はもちろんのこと、先人に感謝しつつ大切に育てていかなければなりません。


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