沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

勝手に清原論

2008年10月05日 | むぬかんげー

 姉妹に清原和博そっくりといわれているハチローです。姉妹以外にはいわれたことがなく、妻にいたってはTKOの鶴べえの物まねをするほうに似ているといわれる今日このごろです…。

 そんなことはともかく…(笑)。22年間におよぶ選手生活に幕を下ろし、清原和博が引退しました。引退試合、すぽるとで見ながら目頭が熱くなってきた35歳サラリーマンです。

 ハチロー世代にとっては、高校野球、プロ野球ともに、まさに清原和博と歩んできたといっても過言ではありません。高校野球でも凄かった。プロの1年目も凄かったなぁ。プロ野球選手に憧れていたハチロー。スポーツ新聞で毎日のように、清原がHRをうったかどうか、打率、打点は増えているかどうか、チェックしていたのが懐かしい思い出です。西武ライオンズが勝とうが負けようが、正直、どうでもよかった(笑)。

 ところで清原和博、残した成績を見てみると、一流選手であることは間違いないのですが、決して「一時代をなした」といえるほどの選手ではありません。代名詞でもある本塁打は、525本で歴代5位。1シーズンの最高は37本です(一度も40本超えならず)。それでもすごいじゃないか、というのは逆に本当の清原ファンではないかと。王さんのもつ世界記録を簡単に塗り替えてくれる、メジャーに行ってもガイジンが度肝をぬかすほどのHRを打つ、と思わせるほどの男が清原和博だったのです。そういう意味では、600本も打てなかったし、メジャーに挑戦すらしなかった。 結果的に、期待倒れの選手といえなくもありません(超失礼)。

 それでも好きなのは、清原和博という男が、一打席一打席、ロマンを背中に背負ってバッターボックスに入ったからだと…。たとえ、結果的に外角スライダーで無様な三振に終わろうとも、一振り一振りに、ロマンを感じさせたのは彼だけだったのです。 

 数々の名勝負を見せてくれた清原ですが、その数だけライバルがいました。KKコンビの桑田、日本人最速158㌔で勝負した伊良部、自慢のフォークを捨てストレートで勝負した大魔神佐々木、そし新世代の松坂藤川あたりまで。みんなストレートで勝負を挑みました(桑田だけはここぞいうときはカーブを投げましたが)。清原にはピッチャーをその気にさせる何かがあったのですね。その中でも、個人的には平成の名勝負といわれた野茂英雄との対決にしびれました。この二人が対峙するSCENEは、もう試合の勝ち負けを超えていましたね。侍VS侍という迫力を感じました。今のプロ野球では見られないっす(イチローVS松坂はそれに近いものがあるが、もはや外国)。

 しかし清原和博。人間臭いところが、選手生活の後半戦ではマイナスにも。

 巨人にFAで移ったときから、何かがおかしくなってきました。背番号がからに変わったことで、ツキも落ちたかのように見えました。同時に過剰なウェートトレーニングを始めたのもそのころ。もともと下半身に比べて上半身が弱いとは言われてましたが、あれはやりすぎです(泣)。ナントカ山崎(?)に感化をされたのが間違いのもとかと(しかも好きなアスリートに「ジェロム・レ・バンナ」を挙げていました。どうして格闘家なんだよう)。TV番組では「技術は一朝一夕には身につかないが、パワーアップは短期間でできると思った」と理由を話していましたがね。過剰な筋肉が天性、芸術とまで呼ばれたバットコントロールをさびさせたのは素人のハチローにも分かります。

 当時三冠王の落合博満も「来年からはキヨがライバルだ」と言っていたのに、巨人でチームメートになったころには「あいつは間違った方向に行っている」と距離を保ったとか。引退試合で、同じく「なぜマッチョ」になっていた長渕剛と並んでいるところも何故か悲しかった。曲が好きなのはいいのですが。戦争容認発言など、思想的にどこかで偏っていったのかもしれません。日焼けサロンやピアスなど、個人の勝手ではありますが「そんなことに時間を浪費しなくても」と…。後半の清原には一ファンとして非常に残念な気持ちが残ります。

 なぜってイチローや、松井、そして最大のライバル野茂英雄にはそんなところはなかったから。

 しか~し! それでもなお清原和博が永遠のスーパースターであることに変わりはありません。20年に一人という天性の才能を持ちながら、満開とさせることはできなかった清原和博。でも、それが、日本中の男たちを感情移入させる理由なんでしょうね。イチローや松坂のためには泣けないが、清原和博のためには泣ける、っていう。

 ちなみに、現在西武ライオンズの主砲おかわり君がすでにHR46本でタイトル確実だと。つまり成績的には、清原和博、ついでに秋山の全盛期(最高43本)を超えたことになります。でも、おかわり君は本当に清原和博よりすごいでのしょうか? 数字でいえばそうでしょうが。でも、その答えは世代によって異なるのでしょうね。 

 さらば、清原和博。血わき肉踊る(古)男と男の勝負、そしてドキドキするプロ野球を見せてくれて、本当にありがとうございました。

 最後に、清原和博が残した記憶に残る記録です。

 通算サヨナラ本塁打12、通算サヨナラ安打20、通算最多三振1950(いずれも日本記録)。

 サヨナラは、ここぞというときに打ってくれた証。三振は、夢を追ってバットを振った証です。

 

 追記:明日は休み、でも、出勤(泣)。もう寝ます。