愛息10郎の幼稚園生活が始まりました。体育着が通園服になります。朝飯では気合を入れてトーストをがぶり。後ろの段ボールはもちろん引越し用です。
新居に引っ越すまでの間は登園はかーかーが担当です。10郎は最近、とーとーに付けたあだ名「はげあぶら」を連呼し、元気に出発しました。いってらっしゃい! それにしても痛ましいあだ名だ・・・。
入園式の10郎も記念にUPします。緊張していたと思いますが、終始笑顔でした。友達いっぱい作れよ!
どんどんお兄ちゃんになっていく君がまぶしいです。
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8郎は自分の幼稚園入園式を今でも憶えています。もう38年たつでしょうか。式典の内容ではありません。母の記憶です。8郎の母親は式が終わるのを待たずに、8郎を残して先に帰ってしまったのです。祝福ムードの中、8郎はいるはずの母がどこにもいないので不安で不安で探し回り、泣きながらほとんど歩いたことのない道を記憶を元にたどって何とか帰宅しました。たかだか1キロ程度の道のりですが、そのときは世界中に一人ぼっちになった気分で生きるか死ぬかの大冒険のように感じたものです。家では電気もつけないままタバコをくゆらせた母が座っていました。その虚無な姿に、怒りと悲しみをぶつけようとしたのを子供心にも何とか抑えました。今思えば、母親はその当時からすでに心を病んでいたのかもしれません。
でも、不思議ですね。息子だからでしょうか、自分の人生の失敗を親と妻と子供のせいにする父を心底恨んでも、なぜか母を恨む心境にはなれません。確かに借金を重ね、周りを不幸にしたボロボロの人生でしたが、無知によって育てられ、何の指針も与えられず社会に放り出された、かわいそうだな女性だとしか今でも思えないのです。そして、その姿を8郎姉にも感じるのがさらに悲しいです。
10郎、君には名護の優しくて明るいばあばのほかにもうひとり、おばあちゃんがいるのだが、とーとーはおそらく会わせてあげることはできないだろう。でも、とーとーの悲しい記憶を、いつか君が知るときが来たら、君も生きることの厳しさを分かってくれるかなと思います。それは、会うことのない君のもうひとりのおばあちゃんが残してくれた人生を懸けたメッセージだと思ってほしい。8郎も、どうしても許せない父の生き様をそう考えるようにしています。
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暗い話ですいません。話しを変えます!
シーミーで妻の実家に帰省しました。久々の名護は、あいにくの曇り空でしたが、それでも何だか心が落ち着くものです。8郎にとっても第二の故郷ですから。
妻兄の長男、タカ坊と再会。3歳になったタカ坊は言葉も憶え、愛嬌たっぷり。最初はコワモテの8郎を避けていましたが、最終的には8郎の背中に馬乗りしてきました(笑)。タカ8坊が着替えるときに見せた幼児体型に、むちむちだった10郎を思い出しましたよ。子供って頬ずりできるときにしておかなければ、と痛感しました。今、10郎にほおずりしたら、「えー汚い、はげあぶら」といわれることでしょう。
名護のじーじーがていねいに育てた庭で、仲良く水やりです(雨が降っていましたが)。二人並ぶと10郎がお兄ちゃんに見えました。いとこ同士、いつまでも仲良くな!
先日は、業務で今帰仁村へ。古宇利大橋では、うりずんの空を撮影。島には多くの観光客がいました。ビーチでは泳いでいる人もいました。3割くらいは中国・台湾人でしたね。
ランチは食堂「まんてん」で骨汁を堪能しました。おいしゅうございました! みなさんも今帰仁に立ち寄った際はぜひ。懐かしい沖縄の味が楽しめます。
夕陽に照らされるハイビスカス。ほとんどのウチナンチュが幼少時代を懐かしむ光景ではないでしょうか。Jimamaの名曲は「でいご」ですが、8郎にとって記憶とともにある花はハイビスカスです。
村民運動公園で風車ごしに美しい夕焼け。こんなきれいな景色の下で育った子は、いくつになってもふるさとのことを忘れないでしょうね。マジックアワー(日没後に数十分程体験できる薄明の時間帯)も期待したのですが、雲が増えてしまい、拝めませんでした。
さて! 新居への引越しが迫っています。それに伴いインターネット回線も一時切ることになるので、引越し前の更新はこれが最後になります。次の更新はGWごろになるでしょうか。新居ではPCもプロバイダも一新します。つれづれなるままにつづっていくので、今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。