沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

12年目の男旅@屋我地島(後)

2020年09月02日 | どぅしぐわぁ

 「12年目の男旅@屋我地島」の2日目の朝が来ました。二日酔いと寝不足できつかったのですが、なんとか7時には起床。早速なので昨日足を運んだ海を散歩してみました。ほかのメンバーはまたもYoutube!(数時間前まで見てたよな!)。屋我地島まで来てそのライフスタイルでいいのか~。この朝日を見なくていいのか~。

 ほぼ森ドゥが作ってくれた朝ご飯を食べたあと、8郎は海パンに着替え、一人海に向かいました。海に入るとヤスーンに会えた感が増幅するのです。一人でウインドサーフィンを楽しむ人(移住者でしょう)がいましたが、ほぼ貸し切り状態です。

  旧盆に海に入ると幽霊に引っ張られるという言い伝えがありますが、まったく信じておりません。そもそも8郎にはヤスーンという海の神ネプチューンがついているのです。

 海に腰までつかりました。感想はというと、

 気持ちいい~。超気持ちいい(By北島8介

 でした。台風が連発するだけあって海水温は適度に温かかったです。

 面白半分で逆光で撮影してみると、なんと、海坊主が現れました(笑)。よく言えば、海でトレーニングをする往年のヒクソン・グレイシーです。なんだかめちゃマッチョに見えますね! 理由は、周辺ほど大きく見えるという広角レンズの特徴からくるものですが(47歳にそこまで筋肉量はありません)。

 わずか20分程度の入水でしたが、海から大自然のエネルギーをもらいました(ヒクソンあらに)。ちなみに亀さんだけは浜辺まで来て「旧盆だから深くまで行くなよ」と声かけしてくれました。さすがメンバーきっての優男です(でも何で名義使用であんなに怒る!?再笑)

 後片付けはみなで協力してあっという間に終了。特に亀さんはほとんどの皿を洗うなど大活躍でした。U家の母君がよい教育をしたのでしょうね。

 チェックアウト時に、メッセージ帳に何やら書き残すロックンローラーの森ドゥ。けっして暴飲暴食してしまった名優ニコラス・ケイジではありません。

 何を書いたのか、あとから見せてもらうと、とても素晴らしい文章でした。さすが父君が教師だけある。しかもロックンローラーを名乗るわりには字がきれい。内容だけ読むと女子大生グループの卒業旅行のようにも読めるのが爆笑でした! 誰がこの文面から、その正体が加齢臭ただようおっさん5人組だったと気づけるでしょう。

 そんなおじさん5人組はチェックアウト時に記念撮影。ご心配なく。全員、朝シャワーを浴びたので加齢臭はありません(でも気づけばハゲと白髪しかいません)。左端の男は国宝級陶芸家のような貫禄がありますが、普通のリーマンです(笑)。前回のドタキャンを汚名返上(?)するかのように、唯一無二のギャグ連発で旅を盛り上げてくれました。ありがとう!

 写っているのは5人ですが、ユタにでも聞けば主賓のヤスーンと、残念ながら不参加だった砂吉も写っているはずです(笑)。ヤスーンも楽しんでくれたことでしょう。

 さらば、屋我地島。お世話になりました。

 

 さて、帰路の途中で最後のランチです。8郎おすすめ恩納村の「なかむらそば」にしました。8郎も数年ぶりです。

 8郎は「ソーキそば」(いなりセットで¥950)。おいしゅうございました! 本部町の「岸本そば」が東の横綱なら、こちらは堂々と西の横綱を張っており、10年来その地位は変わりません。自家製麺、ソーキ、すべてが完璧ですが、特にスープは県内一だと思っています。透き通っているのにあじくーたーという、唯一無二の存在感です。このスープだけでもペットボトルに入れて持ち帰りたい。

 コロナ感染防止のため、各テーブルにはラップ式のシールドが備え付けられていました。ところで亀さん(写真右)、ファイティングポーズとってるけど、無断名義使用した8郎にパンチしようとしてるばぁ~。もう許してくれんかぁ~。

 大満足のランチでした。

 帰りがてら、メタボおじさんたちは、恩納道の駅でブルーシールのソフトクリーム(¥350)をなめなめし、この旅を締めます(ポン先生だけかき氷系を選択していました。高校教師だけに“正解”だったかも)。あまりの猛暑にクリームが溶けるの早いのなんのって。ちなみに8郎はこの旅で81㌔台に戻ったことは言うまでもありません。

 おじさん5人がそろってアイスを食べる、という絵にならない話ですが、でも気分だけは、授業をさぼった7人が公園裏の階段でゆくっていた30年前にタイムスリップできたのかな、と思います。

 以上、おじさんたちによる「12年目の男旅@屋我地島」報告でした。動画撮影に注力するあまり写真がほとんど撮れなかった、特段のイベントも実行できず酒とYoutubeに終始してしまったなどなど、計画倒れに終わったのがとても残念ですが、できる範囲でやるべきことはやれたのかな、と今は思っています。

 みんな、参加してくれて、ありがとう!

 

 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 ヤスーンが天に召され、心に大きな穴が空いた直後から、集まり始めたこの会。言い出しっぺである8郎は当初から、十三回忌となる12年目の今年で一定のめどをつけたいと考えていました。ヤスーンの供養を目的とするイベント企画は今回で終わりになるだろうと考えています。少なくとも8郎が企画するという意味では。年2回とはいえ幹事役にも疲れたという個人的な理由もありますが(言い出しっぺは終わりまで責任を持たなければなりません)、もうヤスーンを解放してあげなければヤスーンが成仏できないのでは、という気が年々募っていたのが一番の理由です。50歳の大台が見えてきた8郎らが、いつまでも35歳当時のヤスーンに甘えていていいのかと反省することもしばしばでした。そういう意味で、「完結」を意味した今回の旅はぜひ7人全員参加にしたかったのですが、47歳にもなれば個人的な事情がいろいろあるので、実現できなかったのは仕方ありません。ヤスーンも12年間本当によく付き合ってくれました。もしかするとヤスーンが一番疲れているのかもしれませんね(いつもぐだぐだの飲み会だったね。申し訳ない)。そう考えると、今回の屋我地島での一泊ドライブというイベントは楽しくも、さみしい、そんな男旅でした。でもそんな複雑な思いを共有できるどぅしぐゎたー(親友たち)が、そばにいたということはとても幸せなことです。

 

 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 ヤスーンを慕う仲間たちは、誰かが呼びかけ、これからもごく自然と集まるでしょう。でも、8郎がヤスーンの名を使って呼びかける集まりは忘年会が最後になります。店の予約には亀さんの名前を使うかもしれませんね(怒らんで~)。

 前にも書きましたが、この2日間で撮った動画と過去の写真を編集して一つのカタチにしておきたいと考えています(素材不足のため実現するか微妙ですが)。それを何らかの媒体にして、その忘年会で仲間たちに寄贈したいと思います。それが8郎なりの、亡き親友に対する12年分の供養の総括であり、集まってくれたどぅしぐゎたーへの感謝の表れだと考えています。

 それが、この旅を企画したもう一つの理由でした。

 今年2020年の忘年会はヤスーンを主賓に招く最後の飲み会であると同時に、ヤスーンとの2度目のお別れになります(法事的な堅苦しいことはしませんが)。ただ1度目とは違って、12年間の楽しい思い出を共有してきた仲間たちは、笑顔で友を送り出してあげることができるはずです。その会には、ヤスーンもきっと笑顔で現れるでしょう。今回参加できなかった同じK中出身の砂吉を連れて。

 では、どぅしぐゎーたーよ、その宴で会おう。ぐだぐだの飲み会で大いに結構。屋我地で飲み干せなかった祈念泡盛も、新たな旅立ちの祝い酒として持参します。今から楽しみです。

 

 最後に天国のヤスーンへ。

 

 12年間、楽しい思い出を本当にありがとう。

 

 これからも最高のどぅしぐゎでいてくれ。

 

2006年1月6日午前0時56分 NIKONのD200で撮影) 


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