沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

金田一と歩く旅@岡山(後編)

2019年12月07日 | 県外 8 Scene

  ついに清音駅(きよね・えき)に着きました。駅名もきれいですが、外見もとても小さくてかわいいですね。 名探偵金田一耕助の顔出しパネルがありました。

 倉敷駅からの電車内にも、金田一耕助にふんしたコスプレの集団がいたのですが、彼ら、彼女らは電車を降りると早速記念撮影。金田一耕助の記念すべきデビューシーンを体感するなんて、粋ですね。

 実は8郎も当初はコスプレを考えたのです(笑)。一生に一度くらいは・・・と。しかし、コスプレとなると、写真を写す側から写される側の被写体へと立ち位置が変わり、このツアー内で終始「集団行動」を取らざるを得ないはめになります。それは、好き勝手に写真を撮ることが難しくなるデメリットも意味しています。この旅を一生の思い出として残すためには、絶対に多くの写真が必要なのです。という理由で、コスプレはあきらめました。集団行動から外れたかった確信的な理由はほかにもあるのですが、それについては後ほど。

 ちなみに、もしコスプレをするなら、どのキャラクターを想定していたかというと・・・もちろん、これです。

 

 【閲覧注意】もし8郎が横溝ワールドのコスプレをするなら

 

 だれですか?  頭部に白いペンキ塗るだけで完成あらに、とツッこんだ人は? その通~り。

 ツアーの受け付けは駅の東側の広場で行われていました。数人のマスコミらしき人達も散見しました。

  おそらく地元の市職員であろう受付の方に、「コスプレに参加せず、写真だけ撮影したい」旨を伝えると、なんと「参加料(500円)はいりません」とのこと。「写真をたくさん撮って、このイベントをもっとひろめてください」とまで言ってくれるではありませんか。感激した8郎、せめてもの地域貢献として記念グッズを買うことにしました。

  購入したのは以下の3つ。計1600円程度でした。使ったり、飾ったりするシチュエーションが想定できないので(笑)、純粋に旅の思い出となります。真備町の復興のためなら安いもの!(2000円で買いたいという方いれば即売いたします)。

 晴れの国とはまさにこの青空のこと! 

 上写真の左下にパトカーが停まっているのが、いかにも金田一ワールドでウケましたね(イベントの警戒だと思いますが)。このパトカーから磯川警部コスプレが降りてきたらもっとウケたのですが。。。司会の方はじめ、コスプレの3分の1は金田一耕助でしたね。人気はもちろん、金田一だけ貸衣裳(¥1000)が用意されていたこともあるでしょう。

 ほかにも、落武者や妙連の尼久野医師ら「八つ墓村」ファミリーがいました。みんな殺される運命です(笑)

 意外に若い女性も多かったです。横溝氏の没後に生まれたはずなのに。やはり名作は世代を超えるのですね。下写真のお二人とも快く撮影に応じてくれました。左の女性は、希代の悪女犬神松子とその息子、スケキヨをコラボさせるという奇抜なアイデア、素晴らしい! 横溝氏も著作権侵害を主張したりしないでしょう(笑)。 

 駅に戻って全員で記念撮影。壮観!

 さあ、出発です。目的地の横溝正史の疎開宅&記念館まで5㌔の道のりです。過去最多の143人となったため、先発の「金田一耕助」と後発の「八つ墓村&その他」という2グループに分かれました。そのため、先頭集団は老若男女、金田一耕助ばかりです。

 時間が停まったかのような真備町ののどかな風景を横目に歩きます。

  みんな楽しそう!

  川辺橋です。長蛇のコスプレが一番絵になるということで、地元の各マスコミもそろっていました。ネットで見る限り、メディアでの露出は毎年、ここからの絵が使われているようでした。

 マスコミがどいた後、どどーっと押し寄せてきました。最初からここで撮った方がいいんじゃない(笑)

 それにしても、これだけ名探偵がいたら、そこらじゅうの難事件は即解決ですな。っていう~。

 8郎が“ただ撮っただけ”の動画もあります。雰囲気だけ感じていただければ。

 『1000人の金田一耕助』@川辺橋

 

 ところで、この旅行記において、書いておかなければならないことがあります。

 この真備町、実は昨年2018年7月の西日本豪雨で大水害に見舞われ、51人が亡くなるという惨事に見舞われていたのです(「晴れの国」とうたう県ですら水害の危険性に直面する時代です)。真備町は今も復興活動の途上です。しかし、その大災害の直後でも、昨年のこの金田一イベントは中止となりませんでした。それどころか、復興の呼び水として全国から寄付が届き、10回目となるイベントを行ったのです(昨年行きたかった、というのはそういう意味です)。地域の方々も金田一耕助は地域のシンボルであると思っているのでしょう。

 散策コース沿いにも復興の途上の光景がまだまだありました。

 更地のそばを歩く金田一たちも真備町の復興を願う気持ちは一つです。

 この日の夜に配信された地元メディアの山陽新聞(デジタル版)の記事はこんな感じでした。ただのコスプレイベントというより、復興支援の側面を強調したいのでしょうね。それでいいと思います。

 

 『“金田一耕助”が真備復興見届け』(山陽新聞デジタル 2019/11/23)

 

 地元有志らによる寸劇第一幕が始まりました。『本陣殺人事件』で、金田一耕助シリーズ最初の怪奇キャラクターともいえる「3本指の男」が売店に水をもらいに訪れるシーンです。原作を読んだ方はおわかりでしょうが、原作におけるこの「3本指の男」の存在意義たるや! 田治見要蔵の使い方と同様、横溝氏のミスディレクションの極致です。

 地元テレビ局もしっかり取材。夕方のニュースでしっかり使われていました。後半で動画をアップしておりますので、後ほどご確認ください。

  歩きに歩いて、やっと看板が見えてきました。

 かわいらしい看板です。

 寸劇第二幕が始まりました。「やだわか」ではなく、一膳飯屋の「川田屋」です。

 

 ところで、8郎はこの寸劇第二幕を最後まで見ることなく、ひとり、集団から離れます(その判断を多少後悔する後日談あり)。

 単独行動に出た理由は一つ。「真備ふるさと歴史館」(実質、横溝正史記念館)の近くにある大池周辺の散策コースを、一人でゆっくり歩いてみたかったのです。そこは、横溝正史が小説のプロットとトリックを考えながら、鬼のような形相で歩きまくった道だと、中学生時分のころ、関連本で読んだ記憶があったからです。33年のときを経て、46歳おっさんも自分の足で歩き、横溝文学のルーツを体感してみたいのですよ! 

 歩いて5分程度で「真備ふるさと歴史館」に到着。まずはここから。

 入口にある金田一耕助像。写真では分かりにくいのですが、像の全校は50㌢ほど。小さくて素通りする方も多いでしょう(笑)。ほかのキャラクターも同じようなサイズですが、金田一だけはもっと予算かけて大きく作ったほうがよかった気がします。まぁ、架空の人物だからでしょうが。

 歴史館を含むこの一帯は「大池ふるさと公園」というようです。

  記念館に入ります。無料! 本陣(大名らが宿泊できる公式の宿場)などで栄えた真備町の古い歴史を一覧できます(『本陣殺人事件』の題名ももちろんこれが由来)。この館は写真撮影OK! 

 横溝氏のご遺族の希望で、疎開宅から移転展示されている書斎がありました。

 この机で『八つ墓村』をはじめ、『獄門島』『本陣殺人事件』『悪魔の手毬唄』などを世に上梓したのだと思うと、一ファンとして感無量です。シンプルです。

 手書きの原稿です。

 ここで、おそらく地元の方でしょう、初老のガイドさんが近づいてきました。この方、右目に眼帯をかけていました。8郎、眼帯をかけている人を生まれて初めて見たので、「誰のコスプレですか?」と思わず聞きそうになったのですが、万一、持病だったりしたら大変失礼なことになります。質問を飲み込みました。コスプレするようなハイな方には見えなかったというのもあります。

 眼帯ガイドさんは、ていねいに、かつ長々と(失礼)、展示物の説明をしてくれました。

 横溝氏の息子さんは音楽家になったそう。偉大なる父の思い出を書き記したパネルがありました。

 横溝氏の執念がにじんだ傑作推理小説がズラリ。

 イラストレーター杉下一文ワールドともいえます!

 横溝ワールドに浸っていると、時間が過ぎていることに気づきました。一生懸命説明してくれる眼帯ガイドさん(コスプレと聞かないことが逆に失礼かもと思いながら・・・)にお礼を伝え、そそくさと退館することに。やばい、予定より遅れている!

 急いで、大池周辺の散策路へ。ついに来ました。横溝文学を生んだ、まさに「金田一の小径(こみち)」です。横溝氏はこの道を繰り返し歩きながら頭の中で描いた原案を、さきほどの書斎で形にしたのですね。池からのさわやかな風が吹き込み、気持ちいい小径でした。向こうから、鬼の形相でプロットを考える横溝正史が、てくてく歩いてきそうではありませんか! 8郎の胸にも感慨がこみ上げてきました。

 道の脇には、赤い藻がなんともミステリーな大池。『犬神家の一族』の名シーン、スケキヨの足が突き出ていても不思議ではありません。

 散策路を歩いていくと、地蔵と小さな銅像がありました。銅像をよく見ると、『悪魔の手毬唄』の“おりんさん”ではありませんか! 

 頭巾で顔が見えない「おりんさん」らしき老婆と、金田一が峠ですれ違うシーンは、横溝文学の中でも、屈指の名シーン。

 「おりんでござりやす。お庄屋さんおところへ、もどってまいりました。なにぶん可愛がってやってつかあさい」

 せっかくなので逆光で撮影。原作を読んだ、または映画を見たファンなら知っています。すれ違ったとき、金田一がおりんさんの顔を確認さえしていれば、あんな惨事は起こらなかったはず! 

 銅像の顔は老婆なのか、はたまた美しい女性なのか、試しに見てみました。感想はもちろんここに書きません。 

 周辺の田園風景。あの傾斜はまさに、田治見要蔵が猟銃と日本刀で大暴れした場所?

 そんなくだらぬことを考えている間に、8郎は時間配分ミスをしていることに気づきました。まるで、すべてが後手にまわった『八つ墓村』での金田一耕助のように。

 ついに、この旅のクライマックスともいえる横溝正史の疎開宅(下写真左)が見えたのですが、コスプレ集団がすでにその直前までたどりついていたのです。それはすなわち、第三幕にして最大の見どころである濃茶の尼の寸劇がすでに終わっていることを意味しているのです。まじか! ここまで来て「たたりじゃ~」🔥を聞けないなんて! 

 走って濃茶の尼の祠に到着。やはり人っ子一人いません。ショック! ここで、金田一ファンにとって最高の歓迎セリフ『来るな、来るな、帰れ、帰れ、八つ墓明神はお怒りじゃ』を聞きたかったのですがっ。

 ぼけ~と立ちすくむ46歳です。

 

 しかし、この地に眠る巨匠横溝正史の魂は、遠く沖縄からやってきた46歳のファンを見捨てることはしませんでした。

 

 がっかりして振り向くと、なんと、助手の方と一緒に車のトランクに荷物を詰め込んでいる濃茶の尼の後姿を見つけたのです!(爆)。もちろんコスプレの中は一般の方(当然)で、地域の商工会関係者のようです。

 「すいません!写真撮っていいですか」。46歳のおっさんは恥も隠さず、頼み込みました。

 濃茶の尼(だから一般人だっちゅーの)は、とてもにこやかな笑みで「いいですよ」と応じてくれたのです。そして、トランクから今しまったばかりの大鎌を持ち出して(笑)、「日の向きはどこがいいかな」と立ち位置まで考えてくれたのです。助手の方が8郎のスマホで撮ってくれました。記念すべき、たたりじゃ~!🔥 カシャ! 

 この旅で、一番思い入れのある写真となりました。この旅一番の写真は、愛機D300ではなくスマホで、しかも他人様に撮ってもらった、という結果と相成りました。濃茶の尼、お名前も知らない方ですが、本当にありがとうございました! 「呪」の鉢巻きが本当にチャーミングでした。

  いざ、遅ればせながら横溝正史の疎開宅へ、コスプレ集団と合流します。意外に豪邸! 

 金田一耕助も入ります(笑)

 しっかりとした日本庭園があり、とても品と風情のあるお屋敷です。ただ今日はコスプレのみなさんでごった返しています。

 紅葉あふれる美しい庭園でした。戦時中の疎開先というので、もっとしなびた屋敷を想像していたのですが。。。この地が、空襲や地上戦に見舞われなかったからでしょうね。74年前にほとんどが焼き尽くされた、わがふるさとを思いました。

 

 美しい庭の動画もアップします。

横溝正史の疎開宅跡

  玄関には粋な2枚の名札が。そして奥には金田一耕助のシルエット! ネットでみたやつだ。ついに来たぞ~(嬉)。たとえ偶像でも、少年時代のヒーローに会えることは、男として感無量以外なにものでもありません。

  動画でもお分かりのように、まるで『本陣殺人事件』さながらの琴の演奏がありました。ちなみにこの部屋こそ、横溝正史の仕事場だったそうです。さきほどの記念館でみた書斎がここにあったということです。70年前に『八つ墓村』はじめ、日本の本格推理小説の夜明けとなる傑作群をここから世に送り出したのですね。再び感無量。 

 いろいろな資料があって、ゆっくり見たかったのですが、ごった返していて、余裕はありませんでした。写真もいまいち。

 裏庭では即席記念撮影会が始まっていました。菊の花はまさに『犬神家の一族』の世界。そして、横溝ワールドの怪奇キャラの中で、最大知名度を誇るスケキヨは、もちろん一番人気でした。8郎も白塗りしていれば、和服のきれいなお姉さんたちに囲まれたかもしれません(笑)

 ところで忘れてはいけません。和服女性の後ろに鎮座しますは、まさに横溝正史大先生の銅像です!(これまたちっせ~。笑)。国民的ベストセラー作家ですよ、もっと大きくして~。

 地域のお母さんたちが甘酒をふるまってくれました。

 集団はこの後、さきほどの記念館へ移動し閉会式を行うのですが、8郎は、すべて見切った、とい満足感があったので、先に切り上げることにしました。電車で込み合うのもいやだったので。

 途中で、さきほどの寸劇第二幕の舞台だった一膳飯屋「川田屋」の中を拝見。しっかりメニューがありました。70年前当時、「豚キムチ丼」などがあったのか疑問ですが(笑)、手作り感に心打たれました。

 街中まで歩きましたが、足が限界。20分待ってもタクシーを捕まえきれないので、スマホで地元のタクシー会社の電話番号を検索し、呼びました(ネットってすごい)。車中で自分の体が非常に汗臭くなっているのが分かりました。コスプレしていた皆さんはもっとそうだったことでしょうね。おつかれさまでした。清音駅から岡山駅まで戻りました。真備町では結局往復7㌔ほどのウオーキングだったのですが、その倍くらい歩いたような疲労感でした。

 

 ホテルに戻ると、早速地元テレビ局のニュースをチェック。放送されていました!

 金田一ニュース

 ちなみに、すべてのメディアのカメラに写らないよう、慎重に動いた8郎ですが、後姿だけちょっとだけ写ってしまいました。妻と10郎はすぐわかったようです(笑)。お暇な方は探してみてください。

  最終日の夜の予定は本来、ホテルから歩いて10分の「後楽園」でライトアップされた紅葉を見るはずだったのですが、足があまりに棒のようになっていたので、断念。「ホテルの部屋付けのせまい風呂に入る」というめったにやらない行動で体を癒しました。多少回復したので、街へ繰り出します。ビールを飲まなければ!

 これまたネット予約していた「魚河岸えびす」という店。酒場詩人こと吉田類さんが選びそうな、こってこての居酒屋でした。

 昨夜と同じくカウンターの隅っこに案内されたのですが、このカウンターと厨房と仕切る壁が高く、大将や店員さんと気軽に話せるつくりではありません。同じくカウンター席の3席となりには二人の若い女性が座っていたのですが、聞こえてくる話の中身からすると、なんと離婚の相談をしているではありませんか! とても、お友達になる気力が起きず(笑)、疲れもあって、純粋に酒とつまみを楽しむことにしました。

 女性店員さんおすすめの「でびら」。木の葉カレイの干物、だそうです。瀬戸内レモンサワー(写真左上)と合いました。 でもエイヒレのほうが好きですね。

 おとなり広島県の名産牡蠣を使ったカキフライ。これは問答無用においしゅうございました。

 実は一番おいしかったのは、刺し盛り(特にハマチ)だったのですが、写真を消してしまい、ご紹介できません。料理は大満足の居酒屋さんでした。

 特に誰とも会話することなく(寂)、1時間ほどで店を出ました。にぎやかな酒場通りには、ひとり旅の身にはちょっと冷たい風が吹いていました。さぁ、明日は一便で沖縄に帰ります。朝食を食べる時間もないほど早めにチェックアウトしなければなりません。このままホテルに帰ろう。そう、82㌔を超えないためにも、コンビニにすら寄らないぞ!・・・。そう心に言い聞かせた46歳です。まっすぐ後楽ホテルに向かいます。

 気づくと、豚の角煮がたっぷり入ったつけ麺を完食していました。

 ホテルに帰り、妻子と電話で会話したあと、爆睡。膨満感に多少苦しんだものの、充実した一日を振り返ると、何かを達成したかのような気分で心地よく眠れました。

 翌朝は午前5時半起き。胃の中の太麺はもちろん消化しきれていません。でも、晴れの国の朝はさわやかです。絶品朝食を取らずにチェックアウト。 

 岡山駅へ向かって歩いていると、ギャー、ギャーという鳴き声とともに黒い影が上空を舞っています。な、なんだ!

 まさか『悪霊島』のぬえが大群で押し寄せたのか。ぬえの泣く夜、だけでなく、朝も恐ろしいのか~。

 ネットで調べると、鳥はスズメの仲間ムクドリの群れで、この時期になるとよく見られる光景だそうです。

 ぬえではなかったのですが、ご参考までに、ぬえの鳴き声を録音したマニアな動画をYOUTUBEで発見。きれいですが暗闇で聞くと確かに怖いですね! お暇な方はぜひ聞いてみてください(笑)。横溝氏はこの鳴き声に着想を得たのでしょうね。

 鵺の鳴き声

 さて、駅発の空港行のバスですが、余裕ぶっこいてバス停に時間ギリギリで到着したところ、何と満席! 予約すればよかったのか。先日のアルプスの旅のような大どんでん返しかと思い、冷や汗が出ましたが、奇跡的に最後の席を空けてもらうことができました(補助席をすべて使ったうえでの最後の1席ですよ!)。旅行は時間に余裕をもって動かなければなりませんね(アルプスの旅の教訓を生かし切れていない46歳です)。

 30分かけて到着した空港では、空腹を我慢できずに、牡蠣弁当を購入(牡蠣好きね~)。1000円近くした割には手のひらサイズでした。アルプスの旅で食べた駅弁「かきめし」を横綱とすると、前頭14枚目くらいのお味でした。

 旅立つ朝も晴れの国、岡山、さようなら。

 帰りの便の座席は、往路よりも空いていました。3列席を独り占めです。気楽~。

 窓からは紅葉の山々が。妻に見せたかったなぁ。

 飛行機の影が雲海に映る珍しいショットです。しかも太陽が落とした光に包まれている? 幻想的なシーンとなりました。

 名残惜しむかのようにまた手に取ります。

 2時間立つと、美しい青空と雲海の世界に入りました。愛しきふるさとももうすぐです。

 帰ってきたぞ~。わったーうちなー。

 空港からはバスで30分かけて、自宅に到着。まだ正午ごろでした(早!)。もっと便数があれば、岡山での時間を有効に使えたのにな~。

 帰宅して、早速体重計に乗ります。せこく100㌘でも軽くするために、もちろん全裸監督状態です(映画『全裸監督』山田孝之主演はネットフリックスで絶賛公開中)。さぁ、こい。

 なんとか、誓いを守りとおせました! でも、あのつけ麺さえ我慢できていれば、81㌔を切っていたはず(悔)

  

 ・ ・ ・ ・ ・

 

 46歳にして、やっと聖地の旅が完結しました。いい年こいて子供っぽい、と笑われても全然構いません。そう言われたと仮定してみると、子供のころのヒーローに会いに行くことが目的だったこの旅は、同時に子供のころの自分に会いに行ったようなものかもしれない、と考えたりもします。33年前の伏線を回収する旅の結末は、『八つ墓村』の章見出しを借りれば、そう、大団円でしたね。

 ありがとう、横溝正史。ありがとう、金田一耕助。そして、復興の途上ながら、毎年、金田一ファンを迎えていただいている真備町のみなさんに感謝とリスペクトの念が絶えません。

 岡山県、倉敷市、真備町。いつか、また、きっと訪ねます。巨匠横溝正史が岡山で書き上げた物語には、8郎が気づいてすらいない伏線がまだ隠されているはずですから。

【後日談】地元のライターさんが書いたイベントの記事が、後日WEBにアップされていました。そこには何と、8郎が中座した寸劇第二幕で、積年の目標だった「延べ1000人目の金田一耕助」が誕生したセレモニーがあったようです。見たかった!(悔) ところで、このWEB記事には、これまた8郎が見逃した濃茶の尼の寸劇の様子も詳しく報告されているので、8郎と記念撮影してくれたあの女性の一世一代の大芝居を確認することができます。ぜひこちらも! ちなみに、すべての写真を確認しましたが、8郎はどこにも写っていません(ほっ)

『倉敷とことこ』