91歳の母が、昨年の11月に天に還っていき、納骨を済ませ、香典のお返しの手配や位牌の手配も、やっと終えることができました。
年内の喪中の葉書を出すのをためらい、年越しの寒中見舞いとなりました。 お返しの紋切り型の文章では、母が天に還っていったことが、相手には伝わらないと思い、パソコンに残っていた母の写真と、私がブログの中で書いた母とのことをまとめ、お返しの通販会社に、カタログと一緒に送ってもらうようにしました。
写真などをまとめたものを、姉と弟にも送付しておきましたので、姉に電話をして、内容についてどうであったかを聞きました。 一昨年の5月からブログを書き始めましたので、まだその頃の母は、特別養護老人ホームにいて、元気に歌を歌ったり習字をしたりしておりました。
一昨年の9月に救急車で病院に運ばれて以来、14ヶ月の闘病生活をする中で、私が日々母と接した記録をブログという形にして残していました。
姉は、実は昨日、母と父の夢を見たので、私に連絡をしようとしていたと話してくれました。 姉の家で、母が眠いといって和室に布団を敷いて寝込んだら、庭においてある車のライトがピカッと光ったので、あれ、なんだろうと思い玄関のほうに向かうと、そこに父が立っていたといいます。 どうしたのと声をかけたところで、目が覚めたとのこと。
子供の頃に、父への不満を全て姉に向けていた母。 そんな母のことを、つい最近までトラウマと考えていた姉。 父が30年ほど前に亡くなった直後に、姉のことが心配で、姉の枕元に現れた父。
そのような背景がある中での、姉の夢の中に現れた父と母。 思わず姉の話を聞きながら、とめどなく涙が出てきて堪らず、涙声を姉に聞かせたくないように、我慢をしました。 姉は、いつも夢の中で交信をするようです。
年内の喪中の葉書を出すのをためらい、年越しの寒中見舞いとなりました。 お返しの紋切り型の文章では、母が天に還っていったことが、相手には伝わらないと思い、パソコンに残っていた母の写真と、私がブログの中で書いた母とのことをまとめ、お返しの通販会社に、カタログと一緒に送ってもらうようにしました。
写真などをまとめたものを、姉と弟にも送付しておきましたので、姉に電話をして、内容についてどうであったかを聞きました。 一昨年の5月からブログを書き始めましたので、まだその頃の母は、特別養護老人ホームにいて、元気に歌を歌ったり習字をしたりしておりました。
一昨年の9月に救急車で病院に運ばれて以来、14ヶ月の闘病生活をする中で、私が日々母と接した記録をブログという形にして残していました。
姉は、実は昨日、母と父の夢を見たので、私に連絡をしようとしていたと話してくれました。 姉の家で、母が眠いといって和室に布団を敷いて寝込んだら、庭においてある車のライトがピカッと光ったので、あれ、なんだろうと思い玄関のほうに向かうと、そこに父が立っていたといいます。 どうしたのと声をかけたところで、目が覚めたとのこと。
子供の頃に、父への不満を全て姉に向けていた母。 そんな母のことを、つい最近までトラウマと考えていた姉。 父が30年ほど前に亡くなった直後に、姉のことが心配で、姉の枕元に現れた父。
そのような背景がある中での、姉の夢の中に現れた父と母。 思わず姉の話を聞きながら、とめどなく涙が出てきて堪らず、涙声を姉に聞かせたくないように、我慢をしました。 姉は、いつも夢の中で交信をするようです。
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