「野の仏」の近くで撮った写真。
もう少し近づくと、こんな様子。
畑の表面です。
大型の耕運機で耕したばかり、つい最近まで平坦だった。
何か作物をつくるための準備ではなく、雑草がはびこるのを避けるための耕運。
これは地割れではありません。先日の時ならぬ暴風雨の際、雨水がつくった水の道の姿。
埋まっていたマルチのビニールの残材が顔を出しています。
あちらこちらの畑でも同じ光景に会います。
この土は、典型的な関東ローム層。数十m掘っても、こんな土です。山砂として重宝する土質らしく、掘られた跡があちこちにあります。乾くと、もう少し黄色っぽくなります。黄土色。
畑の全貌が下の写真。奥の方が北になります。
手前は谷地田へ向って下っています。
じっくりと眺めていると、測量をしなくても、水の道の付き方から、その土地の性向:傾斜の実相:等高線のおおよその姿が見えてきます。
耕運機で土を均質にほぐし、ほぼ平坦に均しても、決して完全・絶対に均質になることや、平坦になることはありません。
それで当たり前。だから、こういうことが起きる。
見ていると、最初のうち土に浸み込んでいた雨水は、そのうち浸みこまなくなり、探していたかのように水は僅かな低地を見つけ、そこに水溜りをつくります。一帯の大きさに応じて、いくつもできます。
まわりから見て、そこが最も低い場合はそのまま水溜りが大きくなるだけですが、もっと低い所がまわりにあると、あるとき、水はそれが分っていたかのように、あたりの中で「弱い」場所を選んで、そちらへ向って流れだします。
水の道は、一帯の大きさにより、1本から数本になります。この畑は、著しい。
部分だけクローズアップすると、あたかも「大峡谷」のよう。
相対的に弱いところ弱いところへと、水は重力に素直に従って下ってゆき、できた溝は深く深くなってゆきます。
それはまるで、「地形の誕生の実験」をしているかのようです。
川はどういう所を流れるのか、平野はどのようにできるのか、なぜ川の河口が「湾」を形づくるのか・・・・も、よく分ります。
川のまわりの平野は、地盤が悪い。それは、川が運んだ堆積物のためだけではなく、元々、弱い地質・地盤のところなのです。だから川道ができた。
逆に言うと、強い地質・地盤のところは侵蝕に耐える。私の居る霞ヶ浦に飛び出している出島や房総半島もその一例。
房総半島の南端に暮す方が、茨城県沖や千葉県東北部、茨城県南部を震源とする地震でも、揺れを感じない、と語っています。逆に、遠方の地震で揺れるのだそうです。地盤が堅固らしい。
畑の侵蝕を防ぐ手立ては、地表が露わにならないこと。
ダムをつくってもだめです。土嚢を積んで防ごうとした畑もありましたが、うまくいっていません。「自然」はそれこそ人智を超える。
農業者は皆よく知っている。畑は道路よりも一段高くする。道路から水が流れこまない(後から道路が造成され、畑が一段低くなっているところもありますが、そういうところは苦労しています)。
ただ、土が道路に流れ出る。時折り、掬い上げる。それでも決して擁壁はつくらない。ダムになり畑が水溜りになるからです。
耕作物がよく育ち、あるいは雑草が繁っているときには、こういうことは滅多には起きません。
農閑期のこの季節、普通はこういうことは起きません。裸地でも問題がない。この季節にしては、雨の量が異常だったのです。
この季節、普段なら、強い風で乾燥した土が舞い上がる。この写真で奥に見える青い帯は、防風ネット。ソラマメ畑を風から護っています。ススキの穂が、この季節の風の向きを物語っています。