日本の建物づくりを支えてきた技術-40の補足・・・・「古井家」の柱間装置・追補

2009-06-06 00:00:59 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

先回、「古井家」の柱間装置、特に「おもて」と「うら」の部屋境:「五」通りの「ち」~「よ」間:の復元にあたっての調査者の「考察」を、「古井家住宅修理工事報告書」からそのまま転載しました。

「報告書」では、その「考察」の前に、「柱間基準寸法」と「土間と部屋」の境:「ち」通り:の「考察」が記されています。
そこで今回、この部分も編集して、上掲のように、転載させていただくことにしました。
もちろん、内容は原文のままですが、分りやすいように項目ごとに段に分けて編集しました。
平面図は、お手数ですが、先回をご覧ください(「日本の建物づくりを支えてきた技術-40」)。

解説文の二段目にある図⑬は、「下屋の出」の検討のための図ですが、同時に、そこには「上屋柱」と「下屋柱」を繋いでいる「内法貫」の仕口詳細が示されています。

先回および以前にも書きましたが、「内法貫」の幅を片側だけ少し削って「上屋柱」を貫通し、「下屋柱」に差し、「楔締め」で固めています。
「下屋柱」の「貫孔」は「貫」の大きさ分あけられ、差されている「貫」は、丈が半分に欠かれていますから、孔の残りは「埋木」されることになります。
これは、「浄土寺・浄土堂」で見たのと同じ手法であり、「埋木」=「楔」になっているのです。
ということは、この手法が、当時あたりまえに行なわれていた、と考えてよいでしょう。

これも何度も書きましたが、この「内法貫」は、現在一般に「貫」と呼ばれる部材の寸面をはるかに越える大きさで、上屋部分では丈11cm(3寸6分)×幅7.4cm(2寸4分)あります。
柱が14.8cm角程度ですから、剤の幅は柱幅の1/2の厚さです。
この「内法貫」の一段上に、場所によって、ほぼ同じ材寸の「飛貫(ひぬき)」が設けられています。その様子は、「日本の建物づくりを支えてきた技術-23の付録」 に写真を載せてあります。

近世の建物の「貫」の厚さは、おおよそ柱径の1/3~1/5程度(高木家では柱4寸2分角で貫厚は1寸3分程度でした)ですから、それに比べてもかなり太いことが分ります。そしてそれは、「浄土寺・浄土堂」つまり「大仏様」の技法を想起させるのです。
なお、「古井家」よりも古い遺構「箱木家」でも、同様の太い貫が使われています(おって紹介したいと思います)。

   参考 最近法令が認めた貫工法(塗り壁も含む)の貫厚は、
       柱10.5cm角に対して
       貫は丈10.5cm×幅1.5cm以上となっています。
       柱を10.5cm角でよい、としていること自体がおかしいのです。
       このあたりのことについて、以前に紹介しましたが、
       建築史家 桐敷真次郎氏が、痛烈な批判の一文を著しています。
       「桐敷真次郎『耐久建築論』の紹介・・・・建築史家の語る-3」
      
解説文の三段目は、「土間」と「部屋:おもて、ちゃのま」境の「ち」通りの「復元考察」で、上掲写真は「土間」から「ち」通り:「ちゃのま」を見たものです。

以上、中世の「普通の工人たちの仕事」:「架構に対する考え方」を知る一つの参考にしていただければ、と思います。

実は私は、「古井家住宅修理工事報告書」を詳しく見るまでは、「わが国の中世の普通の工人たちの架構に対する考え方」について、まったく分っていなかったのです。
ここで、わざわざ「わが国の」と書いたのは、この工人たちは、当然のことながら、日本という環境に根ざした技術を持っている、ということを強調したいためです(はたして、今の「専門家」には、日本の環境に根ざして暮す、という意識があるでしょうか?)。
中世の工人たちは、軸組を立体構造にすると、地震や風に強く、地域の環境に応じて、任意、随意に壁を設ける、あるいは開放することができることを、身を持って知っていたのです。

これまで私が参考にしてきた「古井家」などについて紹介している書籍、たとえば「日本の民家」(学研刊)などでは、このような視点、「架構の考え方」という点では説明がされてはいないのです。他の本でも同じだと思います。
「修理工事報告書」を取り寄せて読んで、私ははじめて、中世の工人たちの知恵・技術のたぐい稀な深いなかみを知ったのです。それは、まことに“目からウロコ”でした。

肝腎なことが、これまで、一部に秘匿され、広く世の中に知らされていない。
それゆえに、わが国の工人たちが、わが国の環境の下で、古来考え、そして継承してきた建物づくりの技術:いわゆる「伝統工法」が、正当に、しかも正統に、理解されなくなっている・・・。
それが、今回、私が「報告書」のなかみを詳細に紹介しようと思い立った大きな理由なのです。

そして、この「事実」を知ったならば、現在の法令の「木造規定」が、そしてその裏側にある「理論」が、いかに、いにしえの工人たちの考え方より劣るものであるか、自ずと分るのではないか、私はそう思うのです。

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