6丁目のつぶやき

歩く、登る、耕す、聴く、造る、採る、乗る、見る、の写真ブログ徒然草

広島城の立地位置

2021-12-07 | 

以前
広島へ出張した際は
幅の広い橋が多くその上を
路面電車が頻繁に走って
近代都市に生まれ変わる様子が
質、量、共に札幌に比し高く
歴史のある地域は文化も含め
違うなぁと感激して
広島城はサラッと観ただけだった

退職後
日本100名城にチャレンジしていて
広島城は是非とも見なければと・・・

原爆資料館で広島市の
強烈な惨状を見て
壊滅的な被爆から立ち直り
近代都市へ変わったのを驚きながら
広島城へ・・・
 
 
毛利元就の孫輝元が
秀吉の聚楽第、大阪城を見学して築城し
関ヶ原の合戦後萩に移され
福島正則が入城 洪水で破損し
修築許可の不備で
芸備を没収され
代わって浅野長晟が統治
廃藩置県まで250年間
治めたと
そして8月6日の原爆で全て焼き野原に・・・
 
太田川と京橋川に挟まれた三角州に
内堀、中堀、外堀の三重堀の広大な敷地が
内堀のみ残して埋め立て
かって毛利輝元の築いた平城の
面影は消え失せた
今は復元の二の丸、本丸だけで
寂しい限りだ
 
 
内堀の御門橋を渡り
真新しい表御門をくぐり
復元された二の丸
 
この門は馬だしの機能も兼ね
構内に被曝したユーカリの木が
大きく育ち
植物は強いと驚いた
 
再建された天守閣は外観だけ似せた
鉄筋コンクリート構造だが
エレベーターは無く
五層全高39mの華麗な姿を
四方から観られる
 
 
天守閣から望むお堀は眼下に大きな内堀
そして原爆の傷をのこした石垣と
復旧した現代石垣と紅葉の対比
どうしても原爆が頭から離れなかった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント (1)
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