郡山城の今
2021-12-18 | 城
広島駅から単線の芸備線は
各駅停車のワンマン電車
すれ違いの電車待ちで
運転士さんに郡山城下車駅を聞いたが
自装のiPadで調べてくれ
吉田口駅が近いと・・・
地方鉄道ののんびりした気分を
味わいながら吉田口駅で下車
電車の前を運転士に挨拶して横切る
降りた人は我一人
駅員も居なく
タクシー会社の連絡先が
バス時刻表の下に小さく書いてある
携帯で呼んだらおばさんのだみ声で
15分後に行くから
駅前で待つようにと
誰もいないバス停にまもなく
小さな小型タクシーが来た
おばさん運転手曰く
ここは日曜日はバスが無い
平日マイクロバスが
家庭まで行くのだと・・・
郡山城跡に行くと言って
時々ここから乗せるが
皆さん間違って来てるみたいです
と嬉しそうに・・・
私もその一人になってしまった
安芸高田市からバスが
広島市まで何本も出ているので
帰りはそこからと・・・
親切に教えてくれて
安芸高田市歴史民族博物館まで
お喋りしながら退屈しなかった
ザックを博物館にあずけ
郡山城跡案内図をもらい
そこから海抜325mの山城へ
久しぶりの空身の登山気分
元就火葬場や毛利一族墓所を経て
三の丸、二の丸、本丸跡地の石碑を
見て想像 上から見ると峰が
蜘蛛のように本丸に向かって履い
そこへ堀切を造り
天然の要害堅固だったのだろう
築城は15世紀後半らしいが
元就が郡山全山を城郭化したのは
16世紀中頃だそうで
戦国時代最大級の山城だった
堀切の跡も崩れてよくわからない
往復三時間の外回り一周ではあったが
どこも石垣は崩れて青く苔むし
城の跡は窺い知れない
名将元就の三矢の訓と百万一心の
石碑は木陰にたち
堀切はあちこちに微かに残り
注意しないと見落す
巨大な城だった面影は
400年間の時が朽ちさせ
自然林に埋没して無常だ
日本100名城のひとつと言うが
戦国時代の城を考えれば
規模の大きさと毛利家の名声で
100名城かも・・・