私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ボリビアの先住民たちは戦い、そして、勝った

2020-11-07 23:39:03 | 日記・エッセイ・コラム

 私が毎朝まず読んでいる『マスコミに載らない海外記事』の11月3日付の記事「アメリカ帝国は、にこにこ顔の連続殺人犯」:

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2020/11/post-75bede.html

の冒頭に

“アメリカ大統領選挙の結果を待つているのは、バットを持った強盗、バールを持った強盗、一体どちらに殴られるか、わかるのを待っているようなものだ。”

とあります。まさにその通り、この選挙の結果は、米国という国に、対外的にも内政的にも、基本的には何の変化ももたらさないでしょう。米国国民のことを本当に気にかけている識者たちは、選挙投票という行動ではどうにもならないことを懸命に告げていますが、大衆は聞く耳を持たないようです。BLM(黒人の命も大切)のような黒人白人一体の民衆の街頭運動もあるではないかという反論は成り立ちません。BLMもANTIFAも巨大資本に操作されているからです。

 しかし、ボリビアでは事情が違います。それを知る為に、次の記事を訳出しましたので、読んで下さい。

https://www.blackagendareport.com/black-bolivia-and-socialist-electoral-triumph

Black Bolivia and the Socialist Electoral Triumph

Erica Caines (エリカ・ケインズ) 2020年10月28日

ボリビアの先住民たちとアフリカ系住民(アフロ・ボリビア人)は、彼らの政党の社会主義願望を遂げるために、毎日毎日をクーデターに抵抗して過ごしてきた。

"選挙で票を投じることだけで社会主義が実現すると信じるのは愚かなことだ"

"民主主義が勝利した!"と、ルイス・アクレは、月曜日、ボリビアの次期大統領の座を確保した後に宣言した。国民の一貫した意志に支えられ、エボ・モラレス政府の前財務相は祖国を奪還した。

社会主義志向運動党(MAS)のこの注目すべき勝利は、いい加減な形で、"投票の力 "をめぐる曖昧な言論をもたらした。その議論は、2019年にボリビアで何が起こったかについてだけでなく、それ以来、先住民とアフロ・ボリビア人が自分たちの党の社会主義願望を成し遂げるために力を合わせて抵抗し、どのように毎日を過ごしてきたかについても、何も語っていない。

この度のボリビアの選挙の教訓は、単に "投票によって事は成就する "とするだけでは全く方向を誤ることになる事である。投票は先住民やアフロ・ボリビア人が選挙の実施を強いた後にやっと実施された政治プロセスである。社会主義が投票で成就すると考えるのは愚かなことだろう。社会主義は建設されなければならないのだ。ボリビアからの真の教訓は、組織化された大衆集団から直接得られる。

先住民とアフロ・ボリビア人は、クーデターが始まって以来、ファシスト国家による準軍事組織の弾圧に対して、集団的な武力抵抗をもって積極的かつ継続的に反撃をしてきた。クーデターに抵抗した多くの人々は、自国の支配権を取り戻すための闘いで命を落としている。8月には、OAS/米国に後押しされた軍事クーデターで政権を奪取したジャニーヌ・アニェス政権が、コロナウイルスの世界的流行を理由に今年3月以来4回も総選挙を延期した後、数万人の人々がその延期を拒否してボリビア全土で街頭に打って出たのだ。

"クーデターに抵抗した多くの人が命を落とした"

このようなレベルの組織化は、ここ米国では見られない。二つの帝国主義政党(ボリビアのクーデターを全面的に支持した当の二政党)の間で継続的に票を分け合っている黒人の投票圏には、確かに見られない。投票をめぐる問題は、投票そのものではなく、「私たちの票は数に入らない」ことを公然と示してきた資本主義・帝国主義国家における投票力に対する人々の期待なのである。しかしながら、私たちの(不足している)政治力について何が実質的に正しいのかを評価し、独立した黒人の政治力を生み出すために組織化する代わりに、黒人はシステムの枠組みの中にどんどんと組み込まれていく。何がファシズムであり、何がファシズムではないかの線は、国とその有権者が "バイデンで我慢するか "としている間にどんどん右に移動して、曖昧になってしまっている。

ネオリベラルの民主党の民主党が「すべての人のための政府」を約束するとき、それは有権者を投票に誘い出すような事なら何でも支持するように装って、民主党の有権者基盤の歓心を買おうとすることを意味する。バイデンは、相変わらず、彼の内閣を、国防総省の予算をさらに肥大化させることに積極的なネオコンで一杯にして、アフリカとグローバルサウスに荒廃をもたらすであろう。とは言え、彼は "トランプではない "ので、この事態は、一つの善行として、植民地化されたアメリカの人々に提示されることになる。こうした事態が我々の選択肢なのだ。

それが政治力というものなのか?これが黒人の解放なのか?

"アメリカ合州国の黒人はそのシステムの枠組みの中にますます組み込まれている“

黒人指導者(政治家であれ著名人であれ)として担ぎ出されるのは、黒人の政治的権力として認知される全てのものに通じる道であった。しかし、これらの人々は、黒人たち一般が、この夏全体の間、動員され反対運動をしてきた当の白人の権力構造の下で、自分たちの既得権を守ることに主に関心を持っている。これらの“指導者”たちは、組織的な集団闘争と黒人生活集団との関わりによって得られる黒人の政治的な力、最終的には黒人社会のメンバーが自分たちのために声を上げる能力を植え付けることになる政治力について気を配っているのではない。そうではなくて、彼らは、“あなたの投票は重要だ”という彼らにとって有利な語り口を続けていたいのである。

我々がボリビアに目を向けるとすれば、まず理解すべきは、先ほど実施された選挙は、人民の集団運動がファシストたちを追い詰めて獲得した一つの譲歩だという事である。ボリビアに目を向ける人々は、また、先住民とアフロ・ボリビア人が依然として国内と国外の両方の反革命勢力からの脅威に曝されていることを理解しなければならない。社会主義に向けての戦いは今からも続くであろう。

ここアメリカでの投票は、我々が黒人の政治権力なるものを持っていない限り、黒人の政治的利益を確保するために役立つ戦略とか手順とみなす事は出来ない。我々がなすべき事は究極的な本物の民主主義を獲得するためのボリビア・タイプの力を築き上げる事である。

MAS 万歳!

(記事翻訳終わり)

 

藤永茂(2020年11月7日)」