私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

エルサレムのフランシスコ教皇

2014-05-28 23:20:16 | 日記・エッセイ・コラム
 以前のブログ『ホセ・ムヒカ(Jose Mujica)』(2013/12/03)で貧者大統領ホセ・ムヒカが「人として私は教皇に対して甚大な敬意を抱いている」と言ったことを書きましたら、それに関していくつかコメントを頂いたので、下記のように返事を書いておきました。:
■ 「おにうちぎ」さんと「一読者」さんから、フランシスコ教皇の正体については、もう少し用心深く考えたほうがよいのではないかという示唆を頂きました。たしかに、教皇就任のはじめから数多くの批判的な記事を目にして来ましたし、私のような立場の者が簡単に正しい結論に達することが出来るとは思っていません。しかし、教皇が極端な消費文化と貧富の差について声を高くするという現象は、それ自体として、大変興味深いものがあると考えます。アッシジの聖フランシスは裕福な親が着せてくれた衣類を投げ捨てて素っ裸の姿で出家しました。今の教皇がその真似をしてくれればよいのですが。■

 去る5月25日(日)、フランシスコ教皇はまず聖地ベツレヘムに足を運び、イスラエルが構築した威圧的な分離壁のパレスチナ側を訪れ、“アパルトヘイトの壁”と大きく落書きされたコンクリートの壁に掌を当てて、祈りを捧げました。この出来事については、数多くの報道や論説がありますが、ガーディアンの記事とJonathan Cookの論説を掲げておきます。

http://www.theguardian.com/world/2014/may/25/pope-francis-israeli-separation-wall-bethlehem

http://dissidentvoice.org/2014/05/palestinian-christians-need-a-political-pope-too/

今度のフランシスコ教皇のパレスチナ/イスラエル訪問で、私が直ぐに思い出したのは、今から約800年前に聖フランシスコ(アッシジの)が第5次十字軍(1218-1221)に参加して、全く無謀にも身を挺して敵陣に赴き、和平を実現しようとしたという史実(かなり伝説的に潤色されているのでしょうが)です。私が人間としてのアッシジの聖フランシスコのファンであることは既に申し上げました。十字軍とはイスラム教勢力の支配下にあったキリスト教の聖地エルサレムをヨーロッパのキリスト教諸国が奪還しようとした一連の軍事行動です。アッシジの聖フランシスコが敵陣に乗り込む決心をしたのは1219年8月29日の朝ということになっています。和文のネット上には適当なソースがないので、武田友寿著『聖者の詩?わがアッシジのフランシスコ』の204頁以降から引用させて頂きます。:
■ 彼はともかく、平和の道を望んだのである。まず彼は敵陣に乗りこみ、スルタン=アル・カーミルに会う。(藤永註:アル・カーミルは極めて面白い人物です。)つまり、コーランを高くかかげる敵中に福音書をたずさえて踏み入ったのである。前代未聞の暴挙であり、死を恐れぬ蛮勇である。実際、伴の二人の弟子は敵の兵士に暴行を加えられ、フランシスコは鎖につながれ、アル・カーミルの宮廷に引き出された。コーランと福音書の功徳について討論したがっているアル・カーミルの陪臣がいたために命拾いをしたらしい。
 ともかくスルタン=アル・カーミルは両者の議論が殺風景な戦場でひとつの気晴らしになると判断し、高みの見物ときめた。このあとには面白いエピソードがつづく---。十字架の踏み絵である。踏めばキリストの冒涜、踏まなければスルタン=アル・カーミルへの忠誠の拒絶。フランシスコは絶体絶命の状態に追いつめられる。これに対するフランシスコの態度は? ---- オ・エングルベールの本からそのまま借りることにしよう。
「カルワリオ山上にはそれぞれ異なった十字架、すなわち、キリストの十字架とふたりの盗賊のがあったことをあなたはご存じのはずです。この第一の十字架は私たちのものですから、私たちは拝礼します。ほかの十字架は喜んであなたがたの自由に任せます。それを地上にまき散らすのがお望みならば、どうぞそうしてください。私たちは、その上を踏み歩いても良心のかしゃくは受けないのです」
 アル・カーミルは、これは面白いことをいう人間だ、と思っただろう。<たちまちこの小さき貧者に生き生きとした友愛を感じ、自分の所にとどまるように>フランシスコに申し入れた、とこの伝記作家は書いている。■
 カルワリオ山とは普通ゴルゴダの丘と呼ばれる所と同じで、キリストが十字架に磔になって死んだ場所です。スルタン=アル・カーミルに対するフランシスコの答えは、我が一休さんの頓知を思わせます。武田友寿さんも「なんとも爽やかで自由なユーモアである」と書き、また「それは十字架の踏絵のフランシスコらしい解釈である」とも、「フランシスコ自身は、烈火も恐れぬ殉教精神を生きたわけだが、殉教をただ画一的に考えてはいず、弟子たちにそれをすすめることはしていない」とも指摘されています。九州の殉教者たちが聖フランシスコの「踏絵論」を知っていればよかったのに。
 この聖フランシスコの十字軍参加の逸話に絡むスルタン=アル・カーミルとキリスト教側の神聖ローマ皇帝のフリードリヒ二世、この二人の人物の話も興味津々です。彼らは、いま世界を無茶苦茶にしている政治家たちに較べると、英語で言う、a cut above な人たちだったようです。

藤永 茂 (2014年5月28日)



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2 コメント

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アミン・アマルーフ著「アラブが見た十字軍」を読... (海坊主)
2014-05-31 12:35:47
アミン・アマルーフ著「アラブが見た十字軍」を読んだ時、アル=カーミルとフリードリヒ二世の友情に似た奇妙な関係(逸話)について印象が残ったのですが、アッシジの聖フランシスコのエピソードに気づかなかったので再び読み直しました。どうやらアラブのあらゆる文献でこの出来事が全く触れられていないようです。聖フランシスコのその行為がキリスト教世界で崇高のものと受け取られたのに対して、アラブの世界にはとるに足らない一異教徒の酔狂、と受け取られたのでしょうか。

立ち位置が変われば歴史も変わるのが私たちが住む現世界です。一方からの見方では真実に到達しそうにないのはそのためかも知りません。現在の「教皇 フランシスコ」に対する見方も様々であるべきでしょう。
かくゆう私は、前にも述べましたが、南米左派(左翼)政権の転覆と軍政弾圧時代、ユーゴスラビア紛争、ルワンダジェノサイドなどの事例から、民衆が苦しむ世界の大事件に対するカトリックの総本山の冷淡な態度に批判的な立場を取り続けています。勿論、これもある一方からの見方であることに違いはありませんが。
フランシスコ教皇について、私はあまり追っていま... (千早)
2014-06-19 20:34:54
フランシスコ教皇について、私はあまり追っていませんが
ラトツィンガーの2代前でしたか、即位後33日で殺された法王が
いましたね。

ある程度以上の地位についた人間が、
本当に正しいことをしようとすれば殺されるのです。
そして、往々にして そうした地位につける ということ自体が
邪悪な超弩級の大金持ちたち、犯罪者イルミナティの
言うなりになることを約束したということです。

オバマも安倍も、皆その伝ですし
芸能界、映画界その他も皆同じです。

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