私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

白人にも黒人にも公平にする?(1)

2007-08-08 17:09:38 | 日記・エッセイ・コラム
 ガストン・バシュラールは私の大好きな哲学者です。彼は「二つの異なった意見の対立がなければ、真実は見えてこない」という意味のことを言いました。彼のお弟子さんのミシェル・フーコーは「私はポレミックがきらい」と言いました。二人は同じことを言っているのです。これについては、以前、私のブログ「ノン・ポレミシスト宣言」で論じたことがあります。その冒頭を引用します:
ミシェル・フーコーは、エイズで亡くなる直前に、カリフォルニアでポール・ラビノウと話をして「私はポレミックがきらいで、今までポレミシストであったことはない。ポレミシストは自分の考えを変えるつもりはなく、意見の違う相手を何としてでもねじ伏せようとする。敵に勝つのが目的なのだ。私が議論にたずさわるのは、それを通じて少しでもより真なるものに近づきたいからだ」という意味のことを言っています。(Paul Rabinow, ed. The Foucault Reader, 1984)
これまで、このブログ「私の闇の奥」に対するコメントは、数も少なく、バシュラールやフーコーが推奨する意味での、反対意見をいただいたことはありませんでした。幸いに、今回、川崎恭治さんが次のような貴重な反対意見を送ってきて下さったので、それに答えて、私の考えを述べさせて頂きます。バシュラールやフーコーの精神に従って、実りのある「論争」を始めたいと思います。関心のある皆さんのご参加をお願いします。川崎恭治さんは日本を代表する世界的に高名な理論物理学者の一人で、長い海外生活の経験もお持ちです。川崎恭治さんから戴いたコメントの全文:

「「闇の奥」の奥」を読んで

この年初に平川金四郎さんから「「闇の奥」の奥」(藤永茂著)をすすめられましたが、やっと最近手にする機会があり、この程読了しました。久しぶりに感銘をうけた本に出会いました。著者は私と同じ物理学が専門ですが、ご高齢にもかかわらず専門外の事柄につきこれだけ多くの資料を集め徹底した論考を著書にまとめられた事に率直に脱帽したい。ここに書かれたことがすべて真実であり著者の考えも妥当であることを疑う者ではありません。しかし私は何か釈然としない感じも持ったので率直にコメントしたい。
西欧社会のこれまでの繁栄は過去数世紀に亘る彼らの非白人社会の収奪に基づいていてその事自身原爆やアウシュウィッツが霞んでみえる程の罪業であるとの主張は、全くその通りであろうとおもいます。一方これらの歴史的事実を、より客観的に公平に見る必要もあろうかとおもいます。白人社会による非白人社会の収奪を可能にした背後には西欧社会が他の追随を許さない圧倒的な力を持つようになった事が大きいのではないでしょうか。ここで力といったのは武力だけではなく経済力や自然科学、技術、音楽その他の文化力も含みます。著書で述べておられる収奪のシステムもこの一部ではないかと思われます。人は他から掣肘をうける事なく自己の利益を得る(収奪する)ことが可能ならそれをためらわないのが本性であると思います。全く仮定の話として日本人があるとき優位にたつことがあれば白人とおなじ様に収奪をした事は充分あり得るものと考えます。日本人が過去に近隣諸国で行ったことにその片鱗がみられます。収奪する際その行為を尤もらしいオブラートで包むのも常套手段です。今米国が中東やアラブに押し付けている米国流「民主主義」、或いは我々の過去でいえば「大東亜共栄圏」「八紘一宇」「五族協和」などです。
今世界は地球環境の悪化など全人類が人種にかかわらず協力してとりくまねばならない状況にあります。一時発展途上国がこの責任を先進国に押し付け自国は制約をまぬかれようとした事がありましたが現状はそれを許さない厳しいものがある様です。白人のこれまで或いは現在の数々の罪業を明確にするのも結構ですが公平で客観的な立場も今の様な時代には求められるのではないでしょうか。

 この川崎恭治さんのコメントに触発された私の想いは多岐にわたりますので、今後、何回かに分けて書き綴ります。まず、次の部分:
「今世界は地球環境の悪化など全人類が人種にかかわらず協力してとりくまねばならない状況にあります。」
これには全く賛成です。しかし、誰についても「公平で客観的な立場」はどのようにすれば設定できるでしょうか? 問題を、一般論としてではなく、具体的に考えるために、白人と黒人という二者の関係に限定することにします。拙著『「闇の奥」の奥』では、白人の行為を、その過去だけではなく現在についても、きびしく糺弾する立場を取りました。感情的になり過ぎたきらいがあったかも知れません。しかし、私は、決して、白人一般に対する怨念のようなものから出発したのではありません。コンラッドの『闇の奥』をよく読もうとしたことが契機で、「アフリカ問題」に、ある意味では心ならずも、引きずり込まれてしまったのです。『「闇の奥」の奥』の「あとがきに代えて」に書きましたが、私は60年代の終りから今日まで“新世界”の先住民たちのことに関心を持ち続け、アメリカ合衆国の黒人の過去と現在についても色々と思いをめぐらして来ました。アメリカの黒人の大多数がアフリカから奴隷商人によって交易品として運ばれてきた人達の子孫であることは心得ていましたが、過去500年にわたってヨーロッパ白人が行ってきた北中南米地域への奴隷交易の凄まじい全体像を知ったのは、『闇の奥』読後のことです。そして、過去から現在ただ今につながる、ヨーロッパが犯し続けている悪業の巨大さとその恐るべき一貫性に圧倒され、ともすれば、言葉を失い勝ちになっているのが、私の現状です。「こんなことは知らないままで人生を終った方がよかった」と私が言うとすれば、それは一つの不甲斐ない弱音ではありますが、ひと様を意識したまやかしの言葉ではありません。
 前回取り上げた『ジェーン・エア』で、ジェーンが結ばれるエドワード・ロチェスターの上に、西インドの英国植民地ジャマイカが落した暗影は、この波瀾万丈の物語の核を占めています。エドワードの父親は格式高いロチェスター家の所領地を分割することを嫌い、財産は一つにまとめてエドワードの兄ローランドに譲ることに決め、エドワードには金持ちの娘との結婚で財産を確保することを考えます。「西インドの農場主で商人のメースン氏は、父の古い知り合いでした。その財産は確実で莫大のものだと父は信じていました。父は調査してみた。メースン氏には、息子と娘が一人ずつあることがわかりました。そしてまたメースン氏が、娘には三万ポンドの財産を与えることができ、またそうする意向でもあることを彼から聞きました。それだけで十分でした。大学を出ると、わたしは、すでにわたしのために結婚を申しこんであった花嫁を娶るために、ジャマイカへやられたのです。」(大久保(下)136)。その当の娘バーサ・メースンが怪物的な狂女と化して、ロチェスター氏を破滅に追い込むわけで、これが『ジェーン・エア』にゴシック恐怖小説のフレーバーを与えるわけですが、日本の読者で英国植民地ジャマイカがどんな所であったかを気にする人はあまりいないでしょう。しかし、私はここから話を始めたいと思います。
 岩波文庫にラス・カサス著染田秀藤訳『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
という重要貴重な古典の書があります。ラス・カサスは、人間というものに対する私たちの絶望を食い止めてくれる稀有の人物の一人です。上の著書から一頁(p39)を引用します。
 「1509年、スペイン人たちはサン・フワン島[プエルト・リコ]とジャマイカ島へ侵入したが(その二つの島はまるで実り豊かな果樹園のような所で、そこには巣に群がる蜂のように大勢の人がひしめきあって暮らしていた)、彼らの考えや目当てはエスパニョーラ島へ渡った時と同じであった。彼らはこれまでに述べたのと同様の甚だしい悪行と罪を犯し、目を覆わざるをえなくなるような残虐非道ぶりを発揮した。
 スペイン人たちはインディオたちを殺したり、火攻めにしたり、また、彼らに獰猛な犬をけしかけたりした。さらに、スペイン人たちはインディオたちを鉱山での採掘やそのほか数数の労働で酷使し、圧迫し、苦しめ、結局、その哀れな罪のない人びとを全員絶滅させてしまった。両島には、かつて六十万以上、いな、100万人を越える人が暮らしていたであろうが,今ではそれぞれ二〇〇人ぐらいしか生き残っていない。そのほかの人びとはみな信仰の光も秘跡も授かることなく死んでしまったのである。」
これがヨーロッパ人にとってのジャマイカの歴史の始まりです。よく憶えておきましょう。ついでに、「キューバ島について」ラス・カサスが書いたことも少し引用しておきます。キューバ島はジャマイカ島のすぐ北に位置します。やがて、私は、キューバについて、フィデル・カストロについて、多くを語るつもりです。
「ある時、ある大きな村から、インディオたちは多くの食糧や贈り物を携えて、われわれを10レグワも先に出迎えてくれた。村へ着くと、インディオたちは沢山の魚や食糧、それに彼らが差し出せるものはすべてわれわれに与えてくれた。ところが、突然、悪魔がキリスト教徒たちに乗り移り、かれらは私の目の前で、何ひとつしかるべき動機も原因もないまま、われわれの前に座っていた男女、子供合わせて総勢約三〇〇〇人以上のインディオを短剣で突き殺した。その場で、私はかって人が見たことも想像したこともないような残虐な行為を目撃したのである。」(ラス・カサスp42-3)。
この岩波文庫のカバーには「形態は変貌しつつも今なお続く帝国主義と植民地問題への姿勢をきびしく問いかける書である。」とあります。今からは、「形態は変貌しつつも今なお続く」という所によく注意して頂きたいと思います。
 ジャマイカは1509年スペインが領有を宣言し、次第にサトウキビの農園を拡大して行きますが、虐殺と酷使で先住民の人口は激減してしまったので、アフリカ西海岸から送られてくる大量の黒人奴隷を使うようになります。これに就いては、『「闇の奥」の奥』にも書きましたが、是非しかるべき書物を読んで下さい。このあと1555年から1655年の百年間、スペイン領ジャマイカは海賊の攻撃に悩まされますが、このいわゆる「海賊」についても、私は自分の無知を告白しなければなりません。『闇の奥』の勉強をする前には、privateer(プライヴァティア、私掠船)という言葉の意味も知りませんでした。英国の物理学者で私掠船のことを知らない人は恐らく皆無だろうと思われますが、日本の物理学者の大部分は私と同じでしょう。このあたりに私たちの英国史についての常識不足が露呈されています。Wikipediaには「戦争状態にある一国の政府からその敵国の船を攻撃してその船や積み荷を奪う許可を得た個人の船」とあり、“著名な私掠船船長”のトップにフランシス・ドレークが挙げられています。彼は英国政府からお墨付きを貰った海賊、海の傭兵の指揮官であったのです。『闇の奥』には,彼の船ゴールデン・ハインド号について「丸くふくれた形の船倉一杯に財宝を積んで帰還し、女王エリザベス一世訪問の栄に浴した」(藤永16)とありますが、私掠船とその事業は、現在イラクで活躍しているBlackwater などの傭兵会社と同じで、出資者の投資の対象であったのです。女王エリザベス一世もその出資者の一人で、彼女がフランシス・ドレークの掠奪事業に対して行った投資の利益率は6000%、或は、投資1ポンド当り47ポンドの利益が返ってきたとされています。これでは、女王エリザベス一世がわざわざゴールデン・ハインド号を訪問してフランシス・ドレークに爵位を与えたのも当然です。実は、現在、イラクでアメリカ合衆国軍が行うべき軍事行動をブラックウォーターなどの民間企業に大々的に委託して代行させています。イラク侵略開始以来、こうした民間企業の株価は急上昇しています。ブッシュ大統領やチェイニー副大統領が、家族として、女王エリザベス一世みたいに、莫大な投資利益を懐にしている可能性は十分あります。しかし、そのことより、私が問題にしたいのは、アングロサクソン的な物の考え方の伝統が「形態は変貌しつつも今なお続」いている点です。つまり、実績を挙げる為の奸計を編み出す智慧に長け、実行力に富むという点です。ブラックウォーター社についてはお話すべきことが沢山ありますが、今日はその一つだけ。民間の傭兵会社の雇員を戦闘員として使う利点の一つは、その死傷者をアメリカ軍の死傷者として報告する必要がないということです。雇員がアメリカ人であってもそうですが、私的兵員を外国でリクルートすれば、万事が都合良くなります。ブラックウォーター社は中南米やインドなどの貧しい人々に狙いを定めて、アメリカ人の数分の一の給料で雇っているようで、こうなるとイラクでは有色人種の傭兵と有色人種のイラク人が無残な殺し合いをしていることになります。
 つい話が横道にそれてしまったような形になりましたが、私の頭の中では必ずしもそうではなく、私としては、一貫して、「公平で一般的な立場」とは一体何か、という問題について語っているつもりです。それと同時に、私の思いは、コンラッドの『闇の奥』にも戻って行きます。コンラッドが『闇の奥』の冒頭で、フランシス・ドレーク、ゴールデン・ハインド号、そして、女王エリザベス一世について書いた時、私掠船に対する投資、そして、それがもたらした超高配当という歴史的事実を知らなかった筈はありません。われわれ日本人読者は、フランシス・ドレークという栄光に輝いた英国海軍提督が居たらしい、と思いながら読み進むのが普通でしょうが、英国の読者たちはどう読むのでしょうか? コンラッドの辛辣な皮肉が込められた文章だと読むのでしょうか? 私はそうだとは思いません。コンラッドは皮肉など言ったのではなかったのであり、「英国の海の英雄たち」に対する賛美はコンラッドが一生持ち続けた気持であったことは晩年の文章から明らかです。
 それてないと言いながら、やっぱり横道にそれてしまったようです。次回は本筋に戻ることをお約束します。

藤永 茂 (2007年8月8日)



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7 コメント

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はじめまして。 (泣寝入男)
2008-05-09 22:47:58
はじめまして。
先生およびご意見を述べられている方には遠く及ばない浅学の輩ですが、白人が他の追随を許さない社会を築き上げていく過程を主に歴史学的なアプローチではなく、自然科学者の視点で分析した書物がありますので紹介させていただきます。
「白人社会による非白人社会の収奪を可能にした背後には西欧社会が他の追随を許さない圧倒的な力を持つようになった事が大きいのではないでしょうか。ここで力といったのは武力だけではなく経済力や自然科学、技術、音楽その他の文化力も含みます。著書で述べておられる収奪のシステムもこの一部ではないかと思われます。」
題名:銃、病原菌、鉄
著者:ジャレド・ダイアモンド
白人が優位な文明社会を持ちえた原因を地理的・自然的要因に帰結させて、白人の人種的な優位性は否定しています。
また、この書物とは関係ありませんが、白人がいわゆる植民地の人々に対しての残虐な行為を正当化する理論としては、選民思想の宗教、それ以上にダーウィンの進化論が存在しているようです。
小生、白人、特にアングロサクソン系の独尊性・欺瞞・高慢は大多数のその他人類にとり、有益とは思いません。しかし一方自然界に目を向ければ、食うものと食われるものがあるのが常。食う側の理屈もあれば食われる側の言い分もあるはず。
「アメリカインディアン秘史」「闇の奥の奥」に続く書物、先生に続く賢人が世にでることを願っています。
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泣寝入男 様 (Unknown)
2008-05-10 22:10:18
泣寝入男 様

ご教示いただいた著書については、原著が1999年に出版された時に、書評をあれこれ読んだ記憶はありますが、まだ読んで居りません。アメリカでも、日本でも、大変評判になったようですし、こうして、ご親切なコメントも頂きましたので、機会を求めて、読んでみたいと思います。「食う側(殺す側)の理屈もあれば食われる側(殺される側)の言い分もあるあるはず」というご意見、まことにおっしゃる通りですが、何だか悲しくなりますね。          藤永 茂
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勉強させていただいております。質問なのですが、... (大森俊紀)
2010-01-23 18:37:04
勉強させていただいております。質問なのですが、泣き寝入り男さんのコメントにあります「アメリカインディアン秘史」ですが、これは 藤永茂著 「アメリカインディアン悲史」のことでしょうか?インターネットで調べてみますと、「アメリカ・インディアン秘史 」藤永 茂、昭47という本もあるみたいですが、これは取り扱い古書店の表記ミスと言うことなのでしょうか?お忙しいところ誠に恐縮ですが、ご教授を戴けますようでしたら幸いです。「闇の奥の奥」も買わせていただきました。これからも益々のご活躍を祈念しております。呉々もご自愛下されませ。稚拙な質問で申し訳ありません。
返信する
大森俊紀 様 (Unknown)
2010-01-23 20:03:08
大森俊紀 様

私には『アメリカ・インディアン悲史』という著作しかありません。「秘史」は文字化けの結果でしょう。なおこの本は、昭和47年(1972年)に、まず、ハード・カバー版が出版され、2年後に「朝日選書」に組み入れられました。私として残念だったのは、「選書」になる時に、「チーフ・ジョセフ」と題した、この本では最長(67頁)の章がカットされてしまったことです。この人物は、私の崇拝する英雄なので、一番力を入れて書いた章でもありました。もし、図書館で手に取って下さる機会があって、お読み頂けたら、まことに幸甚です。

藤永 茂
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藤永 茂様 (大森俊紀)
2010-01-23 22:36:31
藤永 茂様

わざわざ御返信いただきまして有り難うございました。もう少しで朝日選書の方を注文するところでした。貴重な御助言を有り難うございました。残念ながら古書のみの扱いとなってしまっておりますが、早速拝読させていただこうと思っております。藤永様の益々のご活躍を楽しみにしております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

大森俊紀拝
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 食う側のいい分、わたしはお肉はあまり食べない... (池辺幸惠)
2010-01-27 01:34:55
 食う側のいい分、わたしはお肉はあまり食べないほうだと思いますが、それでも料理していますから、豚さんも鶏さんも牛さんも・・・お魚だって、殺される時はほんとうに辛いだろし食べられていやだろうな・・・、それを平気で食べているこの人間とは一体なんだろう。それに野菜も穀物もそのいのちをいただいて、自分のいのちをつないでいる・・・それは食物連鎖でいたしかたがない・・・のだろうか。

 だけど、同じ種で食う、食われるはないんじゃないかしら・・・、戦うことはあっても、自然界の方がまさに自然です。

 ところが人間は、同じ種どうしで殺し合っています。それは食いあうと同様です。魂も同様に殺し合っています。同じ人種どうしで、黒か黄色か白かで、まるで食物連鎖同様の上下関係をヒエラルキーをつくりだし、食ってあたりまえ、食われてしかたがないという虚構に囚われてそれを当然のことと思ってしまう怖ろしさ・・。

 これは、「闇の奥」の人間同士のつながりの、人の心の囚われの虚構を、人は自分の好む幻影の中で生きているかのような、それが白人至上主義であり、宗教戦争をおこし、人と人との関係性も同様の誤解の中でなりたっているという・・・。

 ありのままの事実を囚われなくすなおに見れること、そしてその背景のみえないところそれぞれの囚われが分かること、それは思い込みや、決めつけ、やたらな想像力などではなく、理路整然と筋道のたつ推理でもって謎を解き明かしてゆく・・・「闇の奥の奥」はこれから読んでみます。
 他の方の「闇の奥」をも一度読んでみましが、昔々よんだことがあったのを思い出しました。その時の感想は、上と同様進歩していないようです。つかみどころのない作品だなと・・・の印象がありました。
 ではしばらく忙しくなりますが。どうぞ、お元気になってくださいませ。
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上の解説・・・は『闇の奥の奥』を読んでから読も... (池辺)
2010-01-28 06:42:40
上の解説・・・は『闇の奥の奥』を読んでから読もうと思っています。(笑)
で、これから私の書くことなどは、みなさまにはあたりまえのことかもしれませんが、わたしなりに書いてみたいと思います。先ほどの走り書きしたあと、まだ言い足りないように思ったので、書かせていただきました。場所とって申し訳ありません。。。

---つづきです------------

 感情を書くのを忘れていました。昔読んだ時悲しみとやりきれなさを感じていたように思います。そして人間の持つさまざまな欲のあざとさあさましさそしてむなしさも・・・、しかし、社会的な大きな背景までは思い至らなかったと思います。

 人の手のつけないアフリカという材料と、魔境ともいわれる未開の地と対照的なヨーロッパの文明(これも笑止ですが)との関係とそのギッャプ、そこに暮らす人間の心のひだや生活を克明に描いた多くの問題をはらんだ小説、真実を垣間見るのに恰好の材料がそろっていたのでしょう。

 たとえば「罪と罰」も青年の自分勝手な妄想、自己中の狂気の世界に誘います、今の世相にも重なりそうな若者の貧困の追い詰められてゆく感覚、若い頃の乱読ですからあきらめにも近い表層的なとらえ方しかしていなかったかもしれません。「闇の奥の奥」のとらえ方を楽しみにしています。

 しかし人類の仕分け、白人至上主義での搾取の連鎖の人種のヒエラルキーは、この西欧からのヨーロッパ文明に数百年にわたって毒されて教育されてきた結果だと思います。この西欧文明より前には十字軍に焼き払われ打ち壊されたイスラムの輝く文明、中東のバクダード中国の唐の長安など大都市をかかえる東洋のきらめく文明があったはずです。

 ゲーテでさえ、イスラムの大詩人の詩集をいつも携え、彼の知識もイスラムの構築していた壮大で奥深い文化の断片だったやもしれません。その頃、西欧は暗黒の原始的な黒魔術の中世であり、イスラムこそが空の青と砂漠の茶色と黄金色に輝く華やかなりし文明を謳歌していましたもの。それは、私からみれば、今より精神的にも高く純粋だったのではないかと思います。

 イエスキリストも白人ではなかったはず。それにずっとずっと大昔、さはらが水のあふれる緑の森だった頃、南米でなくアフリカに古代の黄金の都があったとききます^^。まさにブラックイズビュティフルの時代が滔滔とあったとも思われます。と・・・、わたしたちの意識は、さまざまなものの囚われや洗脳と見える事実とのはざまで揺れているみたいです。^^しかし、見える事実も科学信仰の囚われでは見えないものを否定し軽蔑さえするという間違いを犯しています。これはまさに科学信仰です。
 だのに、目に見えない虚像のテロリストたちとの闘いに、生命と大枚のお金をはたいて闘っているのですからおかしなものです。

 科学的に対象を細分化しミクロにしゆいくと、大元の大きなつながりはとらえにくくなると思います。が、その細かな追求も究極までいけば、反転しすべてが見えてくるかもしれません。がしかし、たいていは切り離されたバラバラのままで反目しあっています。しかし宇宙の目から見るならば、全てをひとつのいのちとして捉えれるならば問題は問題でなくなります。すべては因縁・ご縁でつながっているものですから決して排斥したり搾取するものではない、全ては一如の世界観、これが東洋的な観点だと思います。ここに立てば孤独などあるはずがなく、戦争など全く無明で笑止千万であることが分かります。

 これからの世界を平和に向けようとするなら、もっと東洋本来の思想を、自然にゆだねる、自然とともにある思想を、広く世界の人々に輸出し広めるべきでしょう。自分たち以外を排除する一神教でなく、まして現代の欲望の限りを尽くのを善しとするかのようなネオコンのような金にまみれた意識は粉砕されるべきです。それらがどれだけこの地上に悲しみと苦しみをもたらしてきたかを、もうみんな分かっていいころです。

 思想からの、意識からの改革をしなければ、この社会は根本的に変われません。でなければどうどう巡りのままです。もっと、普段に日常に東洋の思想を哲学し実践すべきかとわたしは思っています。
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