私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

核抑止と核廃絶(5)

2010-05-19 08:37:38 | 日記・エッセイ・コラム
 『ヒロシマ・ナガサキ』を考える時、きまって心に浮かぶ問いかけがあります。前にも何度か引用したことがありますが、故鎌田定夫氏(1929~2002)の「原爆体験の人類的思想化を」(『ヒロシマ・ナガサキ通信』122号)です。その末尾を引用します。:
■ なぜアメリカ政府と退役軍人たちは原爆投下を美化し、“人命救助・戦争早期終結論”などの欺瞞的弁明に固執し続けるのか。なぜ日本の一部閣僚と右派知識人、一部退役軍人たちは“大東亜戦争”を賛美し、正当化しつづけようとするのか。
 問題の根は深い。
 それは単なる文化や歴史観の違いの問題ではない。あの戦争と原爆によって真に魂の危機を体験したか否か。真に死者と被爆者の立場に立ってあの悲劇を受けとめ、思想化し得たか否か、その根本が問われているのだ。
 日本人として、あるいはアメリカ人としての総括、思想化に止まらない。まさに人類的な総括、真に深い人間的な立場に立つ『ヒロシマ・ナガサキ』の世界化、人類的思想形成への実践がいま要求されていると言わねばならない。■
この発言は、いわゆるスミソニアン原爆展論争に関連してなされたものです。この論争については米山リサ著『暴力・戦争・リドレス 記憶のポリティクス』(岩波書店、2003年)の第3章「記憶と歴史をめぐる争い-スミソニアン原爆展と文化戦争」(pp84~110)でも論じられていますが、考察が文化戦争的レベルで行なわれ、そこでとられている視座が、「単なる文化や歴史観の違いの問題ではない」とする鎌田さんの立場、「人類的な総括」や「深い人間的な立場」という語彙と馴染まないのは明らかです。原爆地獄の劫火の中で被爆者が立ち会った筆舌に尽しがたい表象は人間性の深淵に盤居する絶対悪の現前したものではなかったか。鎌田定夫氏の「原爆体験の人類的思想化を」という問いかけを心に思い浮かべる度に、この絶対悪を断固として拒否し、その廃絶を目指すことが、この問いかけに答えることではないかという想いが、私の心の中で、募って来ています。
 豊田さんのいう核保有国の核戦略立案者とはどんな人たちでしょうか。アメリカについて言えば、その代表は、何といっても、エドワード・テラーとヘンリー・キッシンジャーでしょう。彼らはレオ・シラード直系の核抑止論者で、「核兵器の抑止力こそが第二次世界大戦後の長い平和を維持して来た力だ。このイデオロギーの下での核軍備競争はソヴィエト連邦の崩壊という大ボーナスさえもたらした。この調子で、核廃絶が可能である国際情勢が実現されるまで、アメリカは十分な核抑止力を維持しなければならない」と主張します。吉田文彦著『証言・核抑止の世紀』(朝日選書、2000年)を読めば、(既に鬼籍に入った)テラーがキッシンジャーなどと共にあらゆる術策と詭弁を弄して恐ろしいアメリカの核戦略を立案し推進してきたことがよく分かります。キッシンジャーは1923年の生まれですが、1955年ハーバード大学の政治学部の大学院を終了してすぐの頃から、すでに核戦略論者として頭角を現し始めていました。1952年の末には、テラーの水爆実験が成功しました。キッシンジャーは、そのすぐ後から、ゲーム理論や集団心理学を核戦略の立案に応用しようとしていました。この新進気鋭の核戦略家、アメリカ政界の新しいスターの登場をオッペンハイマーが苦々しい想いで見つめていたことが記録されています。その後50年にわたってキッシンジャーがアメリカの外交政策に与えた巨大な影響とその悪名の高さについては、私がここで改めて言葉を重ねる必要はありますまい。ただ一つここで皆さんの注意を喚起しておきたいのは、アメリカの新しい顔オバマ大統領を前面に押し立てた核廃絶論が、依然として、核抑止の思想に基礎を置くキッシンジャーの核戦略の一つの切り口に過ぎないということです。この私の断定的提言に疑問をお持ちの方は、是非2010年2月17日付けのブログ『[号外] オバマ大統領は反核でない』をお読み下さるようお願い致します。特に、そこに含まれているキッシンジャーたち「四人組」の第三論文(ウォール・ストリート・ジャーナル、2010年1月19日)の内容の吟味が必要です。この四人組の提言がオバマ政権の核軍備政策と、去る4月6日に発表された2010年度の核戦略報告書「核態勢の見直し」(Nuclear Posture Review, NPR)の基礎になっていることは明らかです。NPR については『核抑止と核廃絶(2)』で論じました。アメリカの核政策の大黒柱は依然として核抑止のイデオロギーなのであり、その核心は「皆殺しの思想」であります。
 1969年1月ニクソンの大統領就任とともに、その補佐官(国家安全保障担当)になったキッシンジャーは、核戦略だけではなくアメリカ外交を牛耳る存在になって行きます。まず手がけたのは、旧友のエドワード・テラーと共に、弾道弾迎撃ミサイル(Anti-Ballistic Missile, ABM )計画の推進でした。詳細は前掲の吉田文彦著『証言・核抑止の世紀』の177頁以降を見て下さい。
 その頃のアメリカはソ連との冷戦とベトナム侵略戦争のドロ沼の中であえいでいましたが、丁度その擾乱の時代に、実に立派な若いアメリカ人夫妻と知り合いになりました。夫君の名前はダグラス・マクリーン、分子計算の分野では良く知られた量子化学者でした。夫婦でベトナム戦争反対の運動に身を挺し、奥さんはそのため拘束拘留されたこともあり、小学生の娘さんは小学校で、両親の“反愛国的行動”のために、イジメにも遭いました。スペインのバルセローナで量子化学の国際会議があった時、海沿いの道をダグラス君と二人で散歩中に、話題がたまたま核抑止と核廃絶に及びました。普段どちらかといえば口の重い彼が、突然、私にこう言ったのです。
「アメリカ人が勇気さえ出せば、核の廃絶は可能だ。アメリカが無条件で一方的に核軍備を廃棄してしまえばよい」
私はあっけにとられて
「そんなことをしたら、ソ連が核攻撃をかけて来てアメリカを占領してしまう」
というと、彼は
「いや、そんな事はしないだろう。出来ないだろう。ソ連がアメリカに勝つために水爆で一億の人間を殺すのなら、もし、人間というものがそんなことを実際に実行するものであるならば、そんな世界は生きるに値しない」
と答えました。私が聞いていたのは冷笑的なニヒリストの声ではなく、あくまで人間のサニティを信じて、奥さんと共に体を張ってベトナム戦反対運動に参加している男の力強い声であったのです。
 現実には絶対に起こりえないことですが、一つの空想が私の心を駆り立てます。ある日、突然、オバマ大統領が「核兵器のない世界を実現するために、アメリカ合州国は、一方的に(unilaterally)、無条件に(unconditionally)、あらゆる核兵器を廃棄する」と宣言するのです。ロシアはどう動くか。中国はどう動くか。イスラエルはどうするか。
 ダグラス・マクリーンにしたがって、人類の究極的な正気を私も信じます。オバマ大統領にそれだけの勇気があれば、世界の非核化の機運は一挙に進むでしょう。アメリカ国内ではオバマ大統領の精神病院への収容が真剣に討議され、要求されるかもしれませんが。
 次回はアウシュヴィッツとヒロシマ・ナガサキを区別するか否かの問題と、それと深く通底する核廃絶の思想について考えます。

藤永 茂 (2010年5月19日)



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1 コメント

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おはようございます。この場をかりて・・・今、日... (池辺幸惠)
2010-05-22 06:44:06
おはようございます。この場をかりて・・・今、日本は日米安保と日米軍事協定から抜け出せるか否かの瀬戸際なのに、なぜここまでアメリカに対し汲々と隷属せねばならないのでしょうか。アメリカは日本を足場に世界に覇権を広げようとしているのに、クリントンの態度はどういうことでしょうか。今後日本を足蹴にして中国に悪を持ちかけ蜜月に向かう魂胆かにみえます。これは、かの太平洋戦争の前段階と酷似していませんか? で、わたしたちは、このままテロリストアメリカの奴隷のままでいるのか、あるいはアジア諸国にはこれまでの非礼を重々詫びて、しかしながら世界を独裁国家アメリカの覇権としないように、決して煽られず、アジアの結束へと歩を進めてゆくか。国としての理念と理想、矜持を持って外交すべきでしょう。下は、仲間たちとまとめてみました。ここにご紹介させていたたくのはなんですが、どうぞ、広くみなさまにお伝えくださいますようよろしくお願い申し上げます。
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米政府が「代替え地」を要求するなら、安保の解消を

「普天間基地撤去」は日本国民・政府の意思であり、米政府への要求である
          市民が求め創るマニフェストの会

「対等な日米関係を築く」「在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」この民主党のマニフェストは安保見直し論を示している。

1 米国が代替え地を求めるなら、はっきり安保を解消するしかない、という見解を伝えることである

 2006年の日米合意は日米とも前政権下の約束事項であり、沖縄県民は県内移設を否定する、政権を選び、今の鳩山新政権が生まれた。その経緯を米政府に説明し、住民の意思の尊重は憲法と民主主義に基づくものであることの理解を求める。
 これが実現できなければ、基地は日本側の意思によって永久に縮小・撤去ができない事になる。

2「日米安保条約」を解消し、「日米平和友好条約」に

 どちらかの国が通告すれば条約は一年後に解消できる(安保条約10条)、鳩山政権は、そのことを国民に周知させることである。日本政府は米国政府に「安保」を「日米平和友好条約」に変更したい、という要請を正式に行うことである。

3 沖縄差別は許されない

 薩摩藩から400年、明治政府による琉球処分、その後アジア太平洋戦争では戦場となって約24万人の人々が亡くなった。その上戦後64年間基地被害を受け続け、屈辱に耐えてきた沖縄の人々に対し、「お気の毒」と言いながら、日本政府(自公政権)はこれまで何も解決策を示さず、犠牲だけを押しつけてきた。これは沖縄差別である。鳩山新政権は沖縄の人々と約束した自分の発言の重みを鑑み、政治生命をかけて新たな歴史を創るべき任務を遂行すべきである。

4 近隣諸国が攻めてくる、というのは国民を不安におとしめる脅(おど)しである

 「中国・ロシア・北朝鮮は米軍基地がなくなれば日本に攻めてくる」とは国民に対する脅しである。

<基地がある方が危険>
  周知の通り、米軍基地は初期の目的を離れ日本を守る為ではなく米国による世界支配の一環として日本支配をねらい、米国への利益を最優先するためにある。また基地の存在はそれに関わる権益を巡って国民の分断を引き起こしている。万一戦争が起これば日本の各基地は核を含む攻撃の的となる。これまで沖縄の基地がベトナム・中東戦争等アメリカの侵略の為に使われてきたことは事実であり、沖縄の基地撤去は世界平和に繋がることは明らかである。また世界一多額な「思いやり予算」(基地駐留費の74%)をいまだにストップできていない。国内では非正規雇用等無権利状態に置かれている低賃金労働者が増えている。これが安保体制の実態である。

5 東アジア共同体(民主党マニフェスト)の推進・平和外交を

  米ソ冷戦構造が終結して20年になる。その後米国はイラク、アフガン戦争、そして9.11以降の「テロとの闘い」という終わりなき戦争を続けている。フィリッピンでは市民の意思による米軍基地の撤退もあり、近隣諸国との、人的、経済、文化交流を拡大して平和友好条約を結び日本への信頼と友好を取り戻すことが真のわが国の防衛となる。北朝鮮とは戦後補償、拉致問題解決のため国交正常化を早期に実現させることである。

<民意を無視した政治は民主主義の崩壊>

 私たち国民、すなわち政治の主人公(主権者)は民意を尊重する政権として鳩山新政権を選んだ。

 自民党の対米従属、マネーとコンクリート支配に対して、主権者はNOと意思表示した。この意思表示に対し、それを否定する言動は民主主義の破壊であり、どんなことがあっても許されない。

 これを認めたら教育の場でも民主主義を教えることはできなくなる。今回の沖縄の闘いは人権を守り、日本の民主主義を守る闘いであり、米国国民・世界の人々からも支持される闘いである。

連絡先〒337-0032さいたま市見沼区東新井866-72市民が求め創るマニフェストの会 T・F048-686-7398 motoei@jcom.home.ne.jp(石垣敏夫・池邉幸恵・大津けいこ・丸山南里・石橋行受)
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