私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

『闇の奥』の曖昧さを減らすには (4)

2007-01-17 09:35:58 | 日記・エッセイ・コラム
 このシリーズの(1)で、『闇の奥』の曖昧さを減らす第二のポイントは、マーロウ/コンラッドが、人間として、黒人の方を白人よりも上に置いてはいないことをはっきり認識して読むことだと申しました。『闇の奥』を小説として味わうつもりで、言い換えれば、その政治思想を計るといった余計な考えを始めから持たずにこの小説を小説として読んだ人は、何故わざわざそんな心掛けが必要なのか、いぶかるに違いありません。大体の所、『闇の奥』の中で黒人たちは動物に近い原始の人間として描かれているのですから。
 しかし、コンラッドがひどい人種偏見を持っていたとアチェベに言われて不快に思い、コンラッド擁護に立ち上がった学者の中には、「よく読んでみろ。コンラッドは登場する白人たちの殆どすべてを、動物以下の存在として、こっぴどくこき下ろしている。それに引き換え、黒人には結構褒め言葉を進呈しているではないか」といった馬鹿げたことを言う人がいます。
 マーロウが口を極めて罵る白人の最たるものは中央出張所の支配人とその伯父です。蒸気船の修理を待つマーロウが中央出張所に滞在中に、その伯父は、エルドラド(黄金理想郷)探険遠征隊と称する、白人、黒人、それに荷物を一杯積んだ驢馬たちの集団を率いて、驢馬にまたがって出張所にやって来ます。「アザラシの胸びれみたいな短い腕」の男で「太ったほてい腹を短い足に乗っけて」歩き回ります。この忌まわしい一団は「大地の底からその宝を掠めとることが彼らの願望であり、金庫破りの盗賊さながらに、その願望の裏には何の道徳的目的もなかった」(藤永82)のであり、「数日すると、エルドラド遠征隊は、忍耐強く控えている荒漠たる大自然-ウィルダネス-の中に入って行ったが、それは、まるで、海がダイバーを包み込んでしまうように、遠征隊を吸い込んで閉じてしまった。それから随分たって、驢馬が全部死んでしまったという知らせが入ってきた。驢馬より値打ちの低いあの人間どもの運命はどうなったものやら。間違いなく、他の連中と同じように、彼らにふさわしい運命に遭遇したのだろう。別に僕は訊いてもみなかった。」(藤永91)この「驢馬より値打ちの低いあの人間ども」というのが肝心の文章です。アフリカの密林に呑み込まれて行方の絶えた白人たちは動物より汚らわしい存在としてマーロウ/コンラッドから蔑まれている。黒人たちは動物並みだが、白人たちは動物以下だと言っているではないか、とコンラッド擁護論者は言うのです。この部分をpick up した論文にはMitzi Anderson のものをはじめ、再三出会いましたが、これはコンラッド専門家としては、非専門の英文学者や文芸批評を覗いてみる一般読者を愚弄する行為です。専門家ならば、中央出張所の支配人とその伯父には、実在のモデルがあること知っている筈ですし、コンラッドがコンゴでその二人にひどい目にあわされたことも知っている筈です。私怨を下敷きにして作家が作品の中の白人の登場人物を「犬畜生にも劣る奴」と書いたとしても、その事を、その作家が白人一般を動物以下に評価していた証しとして提出しては、研究者の倫理に悖ります。
 中央出張所の支配人の実名はカミュ・デルコミューン、アフリカの密林に吸い込まれて驢馬の後を追って惨めな死を遂げるエルドラド探険遠征隊の隊長のモデルは、アレクサンドル・デルコミューン、カミュの伯父ではなく、実兄でした。『闇の奥』のマーロウは中央出張所と奥地出張所の間のコンゴ河の区間800マイルの往路と復路の船長を見事に務めますが、現実のコンラッドは支配人カミュに意地悪されて、船長コッホが病気になった数日間だけその代理を務めさせて貰っただけでした。中央出張所に帰ってきたコンラッドは新しい探険交易の旅に出る機会が与えられることに希望をつないだようでしたが、新しく中央出張所に乗り込んできたカミュの実兄アレクサンドルはコンラッドを探検隊に加えずに出発してしまいます。この辺の事情に就いては、以前のブログ「コンラッドの嘘」(2006年3月30日)に書きましたが、要するに、コンラッドはカミュ、アレクサンドルの兄弟にひどい目に会わされ、その怨念を『闇の奥』で意趣返し(リベンジ!)したことは、コンラディアンたちがあまねく認めるところです。
 コンラッド研究の重要文献の一つであるNorman Sherry の「Conrad’s Western World」にデルコミューン兄弟の写真が出ています。兄のアレクサンドルの方は全身像で、意地悪のような人相ですが、手も足も正常でほてい腹でもありません。驢馬にまたがって中央出張所に乗り込んできた腹の突き出た男のイメージは『ドンキホーテ』のサンチョ・パンサから借りてきたのかも知れません。小説『闇の奥』には、ベルギーとベルギー領コンゴに関係する人名、地名は、ドイツ系ベルギー人と思われる「クルツ」という名前の他は一切出てきません。その徹底した伏せぶりは異常とさえ思えるほどです。『闇の奥』を飽くまで帝国主義一般に対する批判だと強弁する人々は、人名地名を伏せることで弾劾の一般性を強調したのだと言うのですが、あばたもえくぼ、ということではありますまいか。『闇の奥』が世に出た時、弟のカミュの方は亡くなっていましたが、兄のアレクサンドルの方は健在でしたし、ブリュッセルの会社本社にあって「何百万という人間の活殺権をしっかりと握る男」(藤永30)アルベール・ティースもレオポルド二世も健在でした。それから百年経った今の日本の読者には分からない事ですが、当時のベルギーの当事者には誰がモデルなのか、痛いほどよく分かった筈であったと思われます。
 ここに興味をそそる事実があります。ティースがコンゴの鉄道敷設工事を利用して、自分のみならず、ユダヤ人投機家たちに大儲けをさせたといった内容の記事を、ティースの元部下のオランダ系のベルギー人がフランスの反ユダヤ新聞に発表したのですが、これに対してティースその人が有力な弁護士を立てて名誉毀損の訴えを起こし、1894年7月4日にその元部下に有罪判決が下り、高額の罰金の支払いが命じられました。この新聞記事にはコンラッドも目撃したコンゴの鉄道工事の奴隷労働の惨状も取り上げられていたようですし、この記事と訴訟事件がコンラッドの注意を引いたことは十分考えられます。『闇の奥』の執筆に当って、コンラッドがアルベール・ティースやアレクサンドル・デルコミューンから名誉毀損罪で訴えられないように十全の注意を払ったのは、トピカルな主題を選んだ作家として当然であったと言えましょう。
 あらためて『闇の奥』の「曖昧さ」のことを考えてみましょう。もちろん、この文学作品テキストにはその本質的構成要素としての irreducible な曖昧さがあり、それはこの作品の芸術的価値の一部として賞味すべきものでしょう。小説でも映画でも、私たちは、何よりも先ず、そこに提出されているものを、そしてそれだけを、そっくり心に受け止めるようにすべきでありましょう。コンラッドの『闇の奥』にしても、或る種の英文学者批評家によって不必要に増幅され、あるいは、外から付加された「曖昧さ」は大きい見事な貝にこびりついたフジツボ同様に適当な金具でこそぎ落すのがよいと思われます。

藤永 茂 (2007年1月17日)



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