私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

白人にも黒人にも公平にする?(4)

2007-08-29 14:56:23 | 日記・エッセイ・コラム
 現在のシリーズの(1)(8月8日)に、「私は60年代の終りから今日まで“新世界”の先住民たちのことに関心を持ち続け、アメリカ合衆国の黒人の過去と現在についても色々と思いをめぐらして来ました。アメリカの黒人の大多数がアフリカから奴隷商人によって交易品として運ばれてきた人達の子孫であることは心得ていましたが、過去500年にわたってヨーロッパ白人が行ってきた北中南米地域への奴隷交易の凄まじい全体像を知ったのは、『闇の奥』読後のことです。そして、過去から現在ただ今につながる、ヨーロッパが犯し続けている悪行の巨大さとその恐るべき一貫性に圧倒され、ともすれば、言葉を失い勝ちになっているのが、私の現状です。」と書きました。80歳を越した今になって、人間についてのこのような知識を得ることは、不幸なことであった、知らないままで死を迎えた方が良かったという想いが確かにあります。10年ほど前、原爆について書いた時、「人は人に対して狼なり」という西洋の古い格言をもじって、「人は人に対して人なり」と書き直してみたことがありました。人間ほど同類に対して残忍非情でありうる動物はないと言いたかったのです。しかし、今ふりかえってみると、あの頃はまだ、人間というものに対する絶望の度は今よりは抽象的で甘いものであったと思います。この500年間、アフリカの黒人たちがどのような取り扱いを受けてきたかに就いて、私の知識が僅少で浅薄で歪曲されたものであったからです。
 白人と黒人との関係について「公平で客観的な立場」とはどういうものでしょうか?
「白人が黒人をひどい目にあわせたのは、白人にそれをするだけの力があったからだ。もし、黒人がその力を持っていたら、黒人は白人をひどい目にあわせただろう」とするのは、「公平で客観的な立場」の候補の一つであり、それが人間というものについての真実であるのかもしれません。私はそれを恐れます。では、「ドイツ人がユダヤ人をひどい目にあわせたのは、ドイツ人にそれをするだけの力があったからだ。今はユダヤ人がパレスチナ人をひどい目にあわせているが、それは、ユダヤ人にその力があるからだ」というのはどうでしょう。この立場は、公平で客観的なものとして、ユダヤ人もパレスチナ人も決して受け入れないに違いありません。
 白人と黒人との関係について「公平で客観的な立場」を求めるには、先ず、過去から現在に至る白人の悪行を白日の下に曝すアカデミックに厳密な作業が行われなければなりません。同じように、「大東亜戦争」の美名にかくれて我々が犯した悪行も、妥協を許さないアカデミックな作業によって、その全貌が明らかにされなければなりません。勿論、こうした作業が容易に行えるとは考えませんが、それが容易には行われない理由をピンダウンすることから作業を始めることは可能です。第一に取り上げるべき事は、アングロサクソンの自己正当化、自己美化、自己欺瞞の驚くべき才能と、その長い伝統です。ブッシュが暴力的に展開している「民主主義のための聖戦」は、言うまでもなく、その伝統の現在形の顕示に過ぎません。困ったことに、英米の歴史家、評論家、ジャーナリストたちの間でも、この伝統を踏襲する人々が多数派を占めています。ホワード・ジンもノーム・チョムスキーも遂に「荒野に叫ぶ声」として終ることでしょう。この英国精神の瞠目すべき特質について、最近、中学校の旧友から、実に興味深い事柄を教えてもらいましたので、ご披露します。
 近衛文麿は、1945年、55歳で服毒自殺と遂げましたが、1918年、27歳の時、第一次世界大戦の休戦日の数日前に『英米本位の平和主義を排す』という論文を書き、発表しました。その全文、興味津々の内容ですが、ここでは上に論じてきたことと深く関連する部分だけを引用します。
■ かつてバーナード・ショウはその『運命の人』の中においてナポレオンの口を借りて英国精神を批評せしめていわく「英国人は自己の欲望を表すに当り道徳的宗教的感情をもってする事に妙を得たり。しかも自己の野心を神聖化して発表したる上は何処までもその目的を貫徹するの決断力を有す。強盗掠奪を敢えてしながらいかなる場合にも道徳的口実を失わず、自由と独立を宣伝しながら植民地の名の下に天下の半ばを割いてその利益を壟断しつつあり」と。ショウの言う所やや奇矯に過ぐといえども、英国植民地史を読む者はこの言の少なくとも半面の真理を穿てるものなることを首肯すべし。■
バーナード・ショウの『The Man of Destiny』は1895年の出版、コンラッドの『闇の奥』が世に出る5年ほど前のことで、この二人は可成りの交際があったようですから、コンラッドは、多分、この作品を知っていたでしょう。19世紀後半の英国の植民地経営や黒人奴隷制に対する英国のphony な「道徳的進歩性」を見るショウやホブソンの眼識には確かなものがあります。これと比較してコンラッドはどうでしょうか。コンラッド・スタディの重要文献として私が重視してきたケースメント宛の例の公開書簡(全文は<2007年1月3日>ブログ、または『「闇の奥」の奥』参照)を、ここで改めて読んでみましょう。「七十年も前に人道的立場から奴隷売買を廃止してしまったヨーロッパの良心が、コンゴの現状を黙認しているのは異常なことです。・・・昔はイングランドがヨーロッパの良心をしっかりと護っていた。イングランドが率先してそれを唱えていたのです。でも今では、我々は他のことにかまけて忙しく、重大事件の数々に巻き込まれて、人間性とか、品位とか、公正さのためにひと肌脱ぐことはやめてしまったようです。・・・」(『「闇の奥」の奥』115,116)。“七十年前”とは1833年英帝国領土内で奴隷制度が廃止されたことを指します。“ヨーロッパの良心”とは、勿論、イングランドのこと。このコンラッドの文章はナポレオンの英国精神批判がピッタリ当てはまるものと言えましょう。このコンラッドは、イギリス人から見て、バーナード・ショウ(アイルランド出身)などよりは遥かに立派な“one of us” に成りきっています。その“one of us” では確かにあり得ない私たちは、彼らの執拗で巧みな自己美化の筆の下をかいくぐって、この500年間、白人が黒人に何をして来たかを見定めなければなりません。そうすることによって、初めて、「公正で客観的な立場」というものが見えてくる筈です。

藤永 茂 (2007年8月29日)



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藤永さんのBlog「白人にも黒人にも公平にする?」... (川崎恭治)
2007-09-04 15:35:56
藤永さんのBlog「白人にも黒人にも公平にする?」シリーズ興味深く読ませて頂いております。これは先生の著書「「闇の奥」の奥」につての私のつたないコメントに触発されてかきはじめられたとの事です。したがって私も何かかくという立場にあるわけです。その前に前置きをかきます。
(1)私は藤永さんと同じ理系の人間ですがいまだに元の専門を多少引きずっており先生のようにこの興味深いテーマに専心する余裕はありません。したがって人名や日付けなどうろ覚えで不正確なところもあります。
(2)私は先生の著書でこれまでよんだのは「「闇の奥」の奥」と「オッペンハイマー」だけで、共に大変感銘しました。また他のご著書も高い評価を受けていると聞いています。
(3)したがって私が先生と多少違った立場をとるということでご著書にけちをつける意図は毛頭ありません。先生との意見の違いはこれまでの人生経験の違いもあります。私事になりますが半世紀もまえに私が大学院学生時代に私の人生をよくもわるくも変えてしまった大変異常な経験をし、白人と黒人という事に限らず人間性一般に懐疑的になってしまった事があります。
前置きは以上です。
先生が「白人にも黒人にも公平にする」立場について疑問を呈しておられますが私は絶対的な意味でそういう完全に公平な立場はないとおもいます。しかし先生の提起された問題は、勿論程度の違いはありますが白人と黒人の間だけの問題ではないと考えています。「程度の違い」というのは理系の人間では「定性的か定量的か」と翻訳出来るでしょう。先生は「「白人が黒人をひどい目にあわせたのは、白人にそれをするだけの力があったからだ。もし、黒人がその力を持っていたら、黒人は白人をひどい目にあわせただろう」(これは私が主張したことですが)とするのは、「公平で客観的な立場」の候補の一つであり、それが人間というものについての真実であるのかもしれません。私はそれを恐れます。」とかいておられますが私もそれを恐れます。しこれまで私の見聞きし体験した所ではこれが真実の様に思えます。それならば、我々の好みはどうであれ、それをありのまま受け入れるしかないと思うのです。人間の集団の間、或いは個人的レベルでさえも強い立場のものはつねに弱い立場のものからの収奪を繰り返してきました。(”収奪”というと私には”物を取り上げる”といっているように響くので本当は英語のという言葉がふさわしいように思えます。相当する日本語を今すぐには思いつきませんのでとりあえず先生に従って”収奪”という言葉をつかいます。)
人類の歴史はいわば強者が弱者を収奪してきた繰り返しであったとおもいます。先生の著書でアフリカの詩人が昔のアフリカの牧歌的な生活を歌った詩を紹介されていますがその様な牧歌的な社会が本当にあったのでしょうか?縄文期だったか弥生期だったか記憶していませんがわが国の先史時代の遺骨には傷ついたものが沢山でてくる事を何かでよみました。この事は先史時代から人間は弱肉強食をくりかえしてきた事を想像させます。吉野ヶ里遺跡をみても環濠や見張りやぐらを備えた要塞のような所で生活していた様です。アフリカと古代日本では事情がちがうかもしれませんが人間の本質に差があるとはおもえません。一方先生の著書から白人の黒人やアメリカ大陸の原住民に対する収奪は、その規模や期間において常軌を逸してすさまじいものであった事がよくわかります。 また先生のBLOGを読むと当時白人が黒人を人間とはみなして居なかったことも明らかです。  ここで翻ってアジアでは、特にわが国ではどうであったか振り返ってみたい。第二次大戦と元寇を別にすればわが国を襲った危機は歴史がはっきりしているだけで3回あったように思えます。一つは16世紀のポルトガル、スペインによるキリスト教化の試みと明治維新及び日露戦争です。16世紀にはイェズス会の宣教師が頻繁に来日し西日本の日本人の教化にある程度成功しました。しかし古文書の教える所では中南米やフィリピンなどと同じくこれは日本を植民地にする第一歩だった様です。島原の乱にしても叛徒がスペインやポルトガルからの救援軍を期待していたという説をききました。幸いな事に秀吉や家康が宣教師の本当の意図を見抜き彼らを追放しました。歴史の本にはキリシタン弾圧の残虐さばかり強調することが多いように見受けられますが、このような面も歴史学者がキチンと裏付けを取って教科書などで取り上げられるべきでしょう。明治維新にうつります。よく知られているように国内はフランスの支援を受けた幕府側とイギリスに支援された倒幕派が戊辰戦争を戦いました。内戦が本当に激しくなれば英仏をはじめ諸外国がこの機に乗じて日本をのっとることは容易だったと思われます。幸いなことに事情をわきまえた日本人がいて江戸開城となり事なきをえました。3番目の日露戦争はロシアに飲み込まれてしまう危機にわが国が自身の独立を保つために立ち上がった戦争でした。これらの事例で私が主張したいのは、世界が弱肉強食であるかぎり武力、知力その他あらゆる手段にうったえて自分達の独立は自分でまもるしかないということです。長くなりますので詳しくは言いませんがヨーロッパの中でドイツなどには多少あてはまる所があるように思えます。ここで注意したいのは今でこそドイツは欧州の大国ですが19世紀の始めころは弱小国の寄せ集めに過ぎませんでした。17世紀に起きた30年戦争や19世紀のはじめのナポレオン戦争では国土が欧州の真ん中にあったため外国勢力の侵入に逢い、人口が激減する程ひどい目にあわされました。ナポレオン戦争の後、これではいけないと言う機運が高まりビスマルクのもと統一を果たしました。前世紀2度の大戦にも拘わらず今では大国として栄えています。
私はアフリカの事情に疎く先生の本をよみ、その悲惨な過去をしりました。私が疑問に思うのはアフリカの黒人達が悲惨な運命に陥る前に何故自分達の国土を守れなかったか、またその為にどの様な努力がなされたのかと言うことです。余談になりますが私は以前米国フィラデルフィアの大学に3年あまり勤めておりました。大学は市の中心から北に広がる黒人のスラム街の真ん中にありました。彼らの住むアパートの窓は破れ空襲でもうけたあとの様な印象をうけました。何故自分達の住むところを良くしようとしないのか不可解でした。アジア人が集まる機会にこれが話題になりました。そのとき言われるのは米国在住の中国人、韓国人、日本人(おもにカリフォルニア在住)は人種差別をうけているにも拘わらず必死で米国社会で上に上がろうと努力し成功しているのに、大学の周りの黒人たちに何故その意欲がみられないのかと言うことでした。今は米国の東部の大都市は治安がよくなっていると聞きますしライス長官やオバマ議員などが出る時代になりましたから少なくとも米国在住の黒人たちは変わってきたのかとおもいます。しかしアフリカ本国で今なお悲惨な状態が続いているのはどうしてか、すべて過去の白人の収奪に帰せられるのか、問うてみたいと思います。
ここで又日本のことに話を戻します。日本人も非白人として嘗ては白人の蔑視の対象であったと思う。こんな話があります。20世紀を代表する数学者D.ヒルベルトの所に高木貞治というわが国を代表する数学者が留学しました。ヒルベルトは大変めずらしがりこう言ったと伝えられます。「日本人がきたか。次には猿がくるかもしれない。」20世紀初めころまではアジア人も人間以下とみられて居たのでしょう。その一因は欧米人がそれまで築いてきた普遍性のある文化に誇りをもち、それをなし得なかった他人種を見下したことでしょう。善悪は別としてそれにも一理ありますし一概に非難ばかりはできない。日本人にも少なくとも我々の世代から上の人は近隣諸国の人々を蔑視していた事は自分の心に聞いてみればわかる筈です。所で幸いなことに非白人国のなかでわが国はこの前の敗戦後の短期間を除いて独立を保つことができました。これには運が味方したことは間違いありませんが日本人が築いてきた優れた文化や高い教育水準にもあったと思います。例えば、幕末に来日した欧米人(米国の初代領事タウンゼントハリスだったとおもいますが記憶が定かではありません。)が「この様な高い文明を持つ国民がいる国を植民地にはできない。」と言ったと伝えられています。この様なこともあってこれまで日本人は非白人国の先頭を走っくる事ができました。我々として今でも残ると思われる白人の蔑視に対抗して何をなすべきか、私には明らかな様に思えます。即ち欧米社会からも彼らに劣らないと充分評価される高い文化を発信し続けることです。これには一人の人間が活躍できる期間、例えば50年単位の長期的努力が必要ですしそれが我々の歴史的使命でしょう。大袈裟ではありますが私は外国滞在中はつねにこんな事を意識していました。しかし現状はどうでしょうか?たしかに経済力は一流の域に達したけれども文化水準はまだまだ足りないというのが私の感想です。経済と関係しない文化的なものへの社会の理解が最近ますます減ってきていると感じています。村上陽一郎のような人物が東大名誉教授という肩書きで大手を振ってこの社会に存在すること自体が日本の社会の知的レベルを物語っている。こんな事では白人社会からアジア人蔑視が本当に消えるのは何時になるのでしょう?
「闇の奥の奥」に関しても一つ議論したい点は次の事です。ここでは「白人対黒人」の問題に焦点がしぼられていますが前にも述べたように、この収奪あるいはexploitationの図式は社会の色々な層でみられる事です。これを言い出せば際限ありませんが、一例としてこの前の大戦で一般の兵や国民が上層部からどう見られていたか考えてみます。その典型的例は特攻隊ですが、彼らは明らかに「人間」とはみれれて降りません。自爆機を操縦するロボット代わりに過ぎません。また補給を完全に無視したガダルカナル作戦やインパール作戦など一般の兵は家畜以下ではないでしょうか?さらに昭和20年はじめには、日本に勝ち目がなくなった事は、名古屋近郊に住んでいて直接体験した私には全く明白でした。人々が毎日大量の殺されていくのを上層部はどうみていたのでしょう?何故降伏までに半年以上かかったのでしょう?よく知られていることですが、この間に2発の原爆をはじめ国民は多くの恐ろしい犠牲を払わされました。私には上層部の人たちには一般の兵や国民は蛆虫くらいにしか見えていなかったとしか思えません。恐ろしいことは、これが平和になった現代日本でも形をかえて存在することです。私の耳に新しいのは北九州市で生活保護を受けていた人が市担当職員によって無理に生活保護の辞退届けを書かされ、その後餓死したことです。たった一人の事ですがことの性質において白人の黒人収奪と変わることはありません。これ以上は際限がないのでやめますが類似の話は日常茶飯事です。先生が詳細にお示しになった白人と黒人或いはアメリカ原住民との間のおぞましい関係をより現代的に捉えることによって、先生の著書がより広く我々に大事な教訓を与えてくれるのではないでしょうか。
これまで私は世界が本質的に弱肉強食であることを繰り返しのべましたが誤解ないよう付け加えれます。わたくしは現状を是として認めているわけでは決してありません。黒人にせよパレスチナ人にせよ、収奪されている側としてこんな立場は認められないのは当然です。しかしこれを改めて行こうとうすれば我々の感情を排除して先ず現状を出来るだけ正確に理解することが先決でしょう。私は自分の考えを言いましたが、理系の人間として素人ですから人に押し付ける気はありません。この方面の研究者にキチンと分析してもらいたいとおもっています。

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