私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

再び西日本新聞を讃える

2011-03-23 10:58:52 | 日記・エッセイ・コラム
 この記事を3月21日(月)の朝から書き始めています。昨年年末、歌舞伎役者市川海老蔵の傷害事件で日本のマスメディアを挙げて大騒ぎしたことがありました。それに関して、2010年12月15日に『西日本新聞を讃える』という記事を出しました。その終りの部分を下に再録します。:
# それにしても大メディアあげての暴露的で嗜虐的な報道姿勢は何という浅ましさでしょう。海老蔵だけでなく、その妻、母親,父親に対する、さらには、梨園全体に対する悪口雑言は、報道者としての、どのような精神的姿勢から生まれてくるのでしょうか。よく売れそうな商品をでっち上げて企業収益をあげるためでしょうか。ジェズアルド(Carlo Gesualdo)やカラヴァッジョの時代にテレビや週刊誌がなくて本当に良かったと思います。
 ただ今度の騒ぎを通して、私が快哉を叫んだ快挙があります。12月7日から10日頃にかけての期間に、海老蔵事件について、一貫して、必要最小限の報道しかしなかった新聞があります。西日本新聞です。この地方新聞には、ジャーナリストとしての当然の志の高さを保っている人々が、依然として、巣食っているに違いないと私は思いました。それにつれて私の脳裏によみがえった一つの人名があります。菊竹六皷(きくたけろっこ、六鼓とも書きます)。今の西日本新聞の前身である福岡日日新聞の編集局長・主筆であった菊竹六皷は五・一五事件(1932年)に当っては敢然と軍部を批判し、また早くも1925年に婦人参政の必要を強調しました。この菊竹六皷の伝統が今の西日本新聞にも受け継がれていると想像するのは、まことに心楽しきものがあります。硬骨のジャーナリストとしては大阪朝日新聞の長谷川如是閑(にょぜかん)が有名ですが、菊竹六皷はそれに比肩する存在であったのです。インターネットの便利さを利用して、是非、この特筆すべき人物のことを知って下さい。#
 3月20日(日)朝、配達された西日本新聞の第1面トップが黒地に大きな白抜きの太文字で「仏、リビア空爆」と飾られているのを見て私は興奮を禁じることが出来ませんでした。購読しているのはこの地方紙一紙だけですが、私はほぼ確信に近い予感を抱いて近所のコンビニに行き、全国紙のすべての第1面トップ記事が福島原発関係であることを確かめました。
 天然自然という外界は、厳然として存在します。我々に求められているのは、天災と人災の区別をしっかりと見定めることです。世界的規模で我々にのしかかって来る人災の凄まじさを見定めるためには、3月20日という日にリビアで起ったことは,朝刊第1面のトップを占めるにふさわしいニュースであると私は考え、そして、西日本新聞の勇気ある英断を讃えます。
 実は今週のブログ記事として『リビアは全く別の問題である』を用意中だったのですが、同じく3月20日の日曜に起った重大事件としてハイチの大統領選挙のことを報告したいと思います。東北関東大地震という未曾有の国難に直面しているのに,何がハイチの選挙騒ぎだ-とお考えの方もおありでしょうが、まあ辛抱して読んで下さい。
 フロリダ半島の南、眼と鼻のところにある黒人の小国ハイチでは、昨年1月12日その首都ポルトープランス地域がマグニチュード7の直下型大地震に襲われ、死者は25万人以上、負傷者数十万人、2百万人以上が家を失い、1年以上たった今も約百万の人たちが家無しさんレベルのテント生活を強いられています。テント村に住む家族の75%は日々の食べ物にも事欠き、45%は未処理の水を飲み、30%は非衛生な便所を使っているそうです。国際空港の周辺と上層階級の住宅地区の瓦礫は片付けられましたが、全体としては瓦礫の80%はそのままの状態だといいます。これに追い打ちを掛けるようにして昨年10月にはハイチを占領している国連軍の派遣兵士がコレラを持ち込み、患者十数万人、今日までに死者は4千人に及んでいると考えられます。日本の被災者、ハイチの被災者の一人一人の受難をおもうと、統計的数字を比較すること自体が不謹慎な行為ですが、来年3月の日本の状態を想像することが許されるとすれば、ハイチの人々のこの一年間の苦難がどれほどひどいものかが分かります。
 「東北関東大地震の惨禍に直面して日本人が如何に立派に振る舞っているか、いま世界中から賞賛の言葉が浴びせられている。ハイチの惨状はハイチ人の責任だ。ハイチ人が駄目なのだ」という人があるとしたら、私はその軽挙を絶対に許したくありません。そうした人々がいるとすれば、まず、過去200年間にハイチで、フランス、米国、英国が何をしてきたか、その歴史をしっかりと勉強して頂きたい。そうすれば、3月20日にこの三つの国がリビアに対して行なったことが、ハイチの今の惨状と直接につながっていることがお分かりになるでしょう。また、同じ3月20日にハイチで強行された大統領選挙も全く同一線上の事件です。いまから4年間のハイチ大統領を決める決選投票は、アメリカが自国の国益のために全面的に画策演出した選挙であって、争っている二人のどちらもアメリカの走狗に過ぎません。ただこれからの4年間に、必ずやハイチで何かが起ることは間違いありません。私は希望を捨てません。300年を超えて延々と続いてきた植民地時代の、今度こそ本当の終焉を告げる歴史的事件がアフリカとハイチで起ることを祈っています。ハイチではインチキ選挙の二日前の3月18日、ハイチの貧困大衆が7年間その帰国を待ち続けたアリスティド前大統領が、アメリカの強力で執拗な妨害にもかかわらず、ハイチに帰って来ました。民衆が熱狂的にアリスティドを出迎えたのは言うまでもありません。なぜアメリカの熾烈な反対を押し切ってアリスティドの帰還が実現したか? それは、アメリカが思うままに操っていると思われていた二人の黒人政治家、ハイチの現大統領プレバルと南アフリカの現大統領ズーマが、アメリカの手に見事に噛み付いたのです。まず、プレバルは、オバマ大統領の反対を押し切って、自分の大統領の任期が切れるぎりぎりの時点でアリスティドに帰国のためのパスポートを発行しました。続いて、南アのズーマ大統領は、3月20日の選挙以前にアリスティドが南アを出国するのを阻止するようにというオバマの強い要請を蹴ってアリスティドを出国させました。この胸の透くような「Revolt of Africa(アフリカの反乱)」については、回を改めてお話しするつもりです。さすがの西日本新聞新聞もこの素晴らしい国際ネタまでは拾ってくれませんでした。

藤永 茂 (2011年3月23日)